自分には「閃き」と「先が見えること」があるので:
兎に角、ここに十分に後難を恐れて、私独得の「空白の部分がある絵が見えること」の不思議さを述べてみようと思うのだ。
私は東京オリンピックが決まった頃に「果たして2020年まで生存してテレビ中継でも何でも、オリンピックを見ることが出来るのかは疑問だ」と感じていた。オリンピック開催が決まった頃が3度の心筋梗塞を経験した前か後だったかも定かではないが、見られるようになるとは予想していなかったというか、そのような「閃き」は来ていなかった。ところが、有り難いことなのかどうか知らないが、遂に2020年の今日にこうやって何か書ける状態には辿り着いているのだ。
だが、「見られるのかどうか」と疑い始めてから(私にはテレビ中継しかないことだが)東京オリンピックを見ている自分の姿は一向に見えてこないのだ。何のことを言っているのかとお疑いの方はおられると思うが、私には20歳台に入った頃から「将来こういうことになるか、こういうことが起きるのか起きないかが見えてくる」ようになったのだった。それは自分でも良く解らない奇妙な現象で、そこから先に自分がどうなるのかが見えてきたり、こなかったりするのである。それは屡々採り上げている試合でどちらが勝つか負けるかが開始前に「閃く」のにも似た現象なのだ。
これだけでは何のことかサッパリだと思うので、具体的な例を挙げてみよう。昭和35年(1960年)12月にウイルス性肝炎に襲われて、会社を長期欠席したことがあった。退院して会社に来週から出勤しますと挨拶に出掛けた。ところが、その時に上司に申告しながら、実際に翌週から出勤して自分がその席にいる姿がどうしても見えてこないのが本当に不思議だった。すると、その翌日から高熱が出る風邪で倒れ、仕事への復帰は1週間延期の止むなきに至った。「なるほど、こういうことだったのか」と妙に納得した。
その頃、隣の部に東大出身の一風変わった課長さんが着任された。挨拶に伺って私に見えた絵は「何時かこの方の部下になって仕事をすることになる」だった。「まさか」と思った。この課長さんはその後大阪支店長に栄転された。肝炎から復帰した私は諸般の事情があって、所属していた部としては初めての事で新卒で入社した若手の第1号で大阪支店に転勤する辞令が出たのだった。あの時に見えた絵の通りになったのだった。でも、当たってしまったのは何となく気味が悪かった。
試合が始まる前に結果が見えてくるというか「閃き」が来ることは何度も採り上げたが、1990年に日大フェニックスが今は建て直されてしまった国立競技場でライスボウルを3連覇したときのことも振り返ってみよう。社会人の王者である松下電工(現パナソニック)インパルスに先制のタッチダウンを取られた際にも「心配することはない。私にはフェニックスの勝利が見えているから」と宣言して、周囲の応援の父兄たちに「妙なことを言う人だ」と笑われてしまった。だが、結果は「閃いた通り」で見事な3連覇だった。
「見えてくる」のと「閃き」の具体例はこれくらいにさせて頂いて、東京オリンピック開催への疑念に行こう。実は、この期に及んでも私に見えてくる絵では、東京オリンピックの所が、何故か解らないが、大きくポッカリと空白なのだ。だが、何もその空白を埋めるような考えも浮かんでこないままに、今日に至ってしまった。そこに困った隣国の中華人民共和国でコロナウイルス性肺炎という大問題が生じたのだった。中国の体質から見れば不思議ではないのだが、意図的なのだろうが実体の発表は遅れているだけではなく、統計的な隠蔽体質まで露わになってしまった。
新聞にもテレビにも連日のように専門家が登場されて解説され、その行き先がどうなるかを予測して下さっている。だが、白鴎大学の岡田晴恵教授はのっけから罹病者は万単位だと断言しておられたが、中国当局の発表は未だに6~7,000人程度だ。しかも、世界各国に罹病者が現れているし、1,100万人の人口を抱える武漢市からは500万人もが脱出したというではないか。その中にどれほどの肺炎患者がいるかなどは推定するしかないのが実情だろう。中国全土に患者が拡散されている状態のようだ。中国がSARSの経験から何ら学習していなかったとしか思えない。
そこで漸く私に見える絵に「東京オリンピックが空白になっている訳」が解ったような気がするのだ。即ち、中国当局が残る半年の間にこのコロナウイルス性肺炎を終息させて、人畜無害の大選手団を送り込んでこられるか否かには、大きな疑問符を付けざるを得ないと思うのだ。肺炎がオリンピックの予定通りの開催を阻むかも知れないのだ。事は中国にマスクが十分にあるかないかなどではなく、中国内の何処に真正の患者どれだけいて、確たる治療法を6ヶ月以内に確立して終息できるのかだ。しかも、我が国は何を中国に遠慮するのか、未だに団体ではない観光客を受け入れているし、街を歩けば北京語がこれでもかと聞こえてくるのだ。
私に見えてくる絵の空白を埋めるのは森会長でも山下IOC委員でもなく、横車押しのバッハIOC会長であり、習近平主席ではないのだろうか。自国の医療の限界を知る中国国民は安全だと思う近場の我が国の整った医療体制を当てにしてくるし、マスクを買いまくっている。我が安倍政権は邦人の救出までは立派にやり遂げようとされたが、疑わしき中国人の訪日の締め出しまでは手が回っていないようだ。外務省は何故毅然とした態度に出られないのだろうか。習主席に「このコロナウイルス性肺炎を終息させてからお出で願いたい」と言えば良いのではないのかな。
兎に角、ここに十分に後難を恐れて、私独得の「空白の部分がある絵が見えること」の不思議さを述べてみようと思うのだ。
私は東京オリンピックが決まった頃に「果たして2020年まで生存してテレビ中継でも何でも、オリンピックを見ることが出来るのかは疑問だ」と感じていた。オリンピック開催が決まった頃が3度の心筋梗塞を経験した前か後だったかも定かではないが、見られるようになるとは予想していなかったというか、そのような「閃き」は来ていなかった。ところが、有り難いことなのかどうか知らないが、遂に2020年の今日にこうやって何か書ける状態には辿り着いているのだ。
だが、「見られるのかどうか」と疑い始めてから(私にはテレビ中継しかないことだが)東京オリンピックを見ている自分の姿は一向に見えてこないのだ。何のことを言っているのかとお疑いの方はおられると思うが、私には20歳台に入った頃から「将来こういうことになるか、こういうことが起きるのか起きないかが見えてくる」ようになったのだった。それは自分でも良く解らない奇妙な現象で、そこから先に自分がどうなるのかが見えてきたり、こなかったりするのである。それは屡々採り上げている試合でどちらが勝つか負けるかが開始前に「閃く」のにも似た現象なのだ。
これだけでは何のことかサッパリだと思うので、具体的な例を挙げてみよう。昭和35年(1960年)12月にウイルス性肝炎に襲われて、会社を長期欠席したことがあった。退院して会社に来週から出勤しますと挨拶に出掛けた。ところが、その時に上司に申告しながら、実際に翌週から出勤して自分がその席にいる姿がどうしても見えてこないのが本当に不思議だった。すると、その翌日から高熱が出る風邪で倒れ、仕事への復帰は1週間延期の止むなきに至った。「なるほど、こういうことだったのか」と妙に納得した。
その頃、隣の部に東大出身の一風変わった課長さんが着任された。挨拶に伺って私に見えた絵は「何時かこの方の部下になって仕事をすることになる」だった。「まさか」と思った。この課長さんはその後大阪支店長に栄転された。肝炎から復帰した私は諸般の事情があって、所属していた部としては初めての事で新卒で入社した若手の第1号で大阪支店に転勤する辞令が出たのだった。あの時に見えた絵の通りになったのだった。でも、当たってしまったのは何となく気味が悪かった。
試合が始まる前に結果が見えてくるというか「閃き」が来ることは何度も採り上げたが、1990年に日大フェニックスが今は建て直されてしまった国立競技場でライスボウルを3連覇したときのことも振り返ってみよう。社会人の王者である松下電工(現パナソニック)インパルスに先制のタッチダウンを取られた際にも「心配することはない。私にはフェニックスの勝利が見えているから」と宣言して、周囲の応援の父兄たちに「妙なことを言う人だ」と笑われてしまった。だが、結果は「閃いた通り」で見事な3連覇だった。
「見えてくる」のと「閃き」の具体例はこれくらいにさせて頂いて、東京オリンピック開催への疑念に行こう。実は、この期に及んでも私に見えてくる絵では、東京オリンピックの所が、何故か解らないが、大きくポッカリと空白なのだ。だが、何もその空白を埋めるような考えも浮かんでこないままに、今日に至ってしまった。そこに困った隣国の中華人民共和国でコロナウイルス性肺炎という大問題が生じたのだった。中国の体質から見れば不思議ではないのだが、意図的なのだろうが実体の発表は遅れているだけではなく、統計的な隠蔽体質まで露わになってしまった。
新聞にもテレビにも連日のように専門家が登場されて解説され、その行き先がどうなるかを予測して下さっている。だが、白鴎大学の岡田晴恵教授はのっけから罹病者は万単位だと断言しておられたが、中国当局の発表は未だに6~7,000人程度だ。しかも、世界各国に罹病者が現れているし、1,100万人の人口を抱える武漢市からは500万人もが脱出したというではないか。その中にどれほどの肺炎患者がいるかなどは推定するしかないのが実情だろう。中国全土に患者が拡散されている状態のようだ。中国がSARSの経験から何ら学習していなかったとしか思えない。
そこで漸く私に見える絵に「東京オリンピックが空白になっている訳」が解ったような気がするのだ。即ち、中国当局が残る半年の間にこのコロナウイルス性肺炎を終息させて、人畜無害の大選手団を送り込んでこられるか否かには、大きな疑問符を付けざるを得ないと思うのだ。肺炎がオリンピックの予定通りの開催を阻むかも知れないのだ。事は中国にマスクが十分にあるかないかなどではなく、中国内の何処に真正の患者どれだけいて、確たる治療法を6ヶ月以内に確立して終息できるのかだ。しかも、我が国は何を中国に遠慮するのか、未だに団体ではない観光客を受け入れているし、街を歩けば北京語がこれでもかと聞こえてくるのだ。
私に見えてくる絵の空白を埋めるのは森会長でも山下IOC委員でもなく、横車押しのバッハIOC会長であり、習近平主席ではないのだろうか。自国の医療の限界を知る中国国民は安全だと思う近場の我が国の整った医療体制を当てにしてくるし、マスクを買いまくっている。我が安倍政権は邦人の救出までは立派にやり遂げようとされたが、疑わしき中国人の訪日の締め出しまでは手が回っていないようだ。外務省は何故毅然とした態度に出られないのだろうか。習主席に「このコロナウイルス性肺炎を終息させてからお出で願いたい」と言えば良いのではないのかな。