新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月3日 その2 天皇杯サッカー選手権観戦記

2020-01-03 14:18:24 | コラム
組み合わせが決まった時点での閃きは「ヴィッセル神戸の勝ち」だった:

1日遅れの戦評だが、昨2日はここ何年も経験していなかったような思わしからぬ体調で、1日に行われたサッカーの戦評などが出来る状態ではなかった。何卒ご理解の程を。

ヴィッセル神戸が有利と見ていたのは何も「閃き」だけのことではなく、三木谷氏があれほど金に飽かしてヨーロッパの強豪国の代表選手を集めただけに止まらず、我が国のA代表級を2名も加えたのだから強化できた訳だ。その一流選手たちが私が非難する「寄せ集め」以上の効力を発揮すれば、主力が何名か抜けて中心的な者が不在の鹿島アントラーズより強いという予想もしていた。それだけはなく、ヴィッセル神戸にはイニエスタという大黒柱とまでとは敢えて言わないが、ゲームを臨機応変に組み立てられる名手がいたことが決定的だと思っていた。

私は以前に「ヴィッセル神戸の問題点はイニエスタを除く回りの者どもが彼に付いていけるだけの力がないので、私が往年の中田英俊は彼以外の10名が中田英俊でなかったのが悲劇だったと同様の状況だ」と批判したことがあった。だが、元日の神戸は明らかにイニエスタ以外が彼の意図を読んで動けるに成長していたし、イニエスタも巧妙なパスの出し甲斐があっただろうと思わせてくれた。そこにあの古橋と藤本の懸命な動きと労働力を惜しまない前線での寄せの速さは、大いに勝利に貢献していたと見ていた。

換言すれば、ヴィッセル神戸はスペインやドイツの名手が空回りしないでも済むようなサッカーが出来るように進歩しており、ゲームメーカー不在の鹿島アントラーズを退けた言えると思う。私はこれまでに繰り返して「A代表はややもすれば寄せ集めとなって、単独テイームのような力を発揮できない欠陥があるので、単独テイームの方が好ましくないのか」との説を唱えてきた。神戸も立派に「寄せ集め」と言われても仕方がないと思う編成だが、今回だけはそのテイーム構成でも勝てる域に達したと褒めても良いだろう。

私は先頃のACLの決勝戦で浦和レッズが、同じクラブと言っても世界各国の代表選手級を集めていたアルフィラルに歯が立たなかった敗戦を思い起こさせられた神戸の勝利だった。あの浦和の敗戦には如何にJリーグで勝ち上がったとは言え、世界各国の代表級を集めていた訳ではない浦和には同情していた。そう言うのならば、浦和も世界から呼んでくれば良いじゃないかという声が上がるかも知れない。だが、浦和のオウナーは三木谷氏ではないのだ。この辺りに、私はACLのチャンピオンの決め方には多少疑問を感じざるを得ないのだ。いっそ三木谷氏に一層の出資をお願いするか。


続・外国人不信論

2020-01-03 09:11:23 | コラム
「外国人不信論」のアクセス数が伸びなかったのには落胆した:

昨日の私の「外国人不信論」はある程度予期していたとは言え、ブログではアクセス数が低下していたのには正直なところ落胆している。私はこれまでに繰り返して「私は少ないとは言え世界の20ヶ国を歩いてきて多くの外国人と接触してきたし、アメリカ人の会社の中に単独で入り22年以上も彼らの思想信条・哲学等に従って永年仕事をしてきてきた。その結果で、彼ら外国人の中には抜群に優れている者がいると思い知らされと同時に、どれほど狡猾で悪知恵も発達している者たちもまた多いのだと承知している」と述べてきた。


その私が採り上げた昨日の「外国人不信論」をそれほど興味を持って下さった方が少なかったのにはガッカリだった。思い切ったことを言えば「我が国には矢張り外国人を私ほど厳しく見ておられる方が少ないということだろうが、カルロス・ゴーン氏のような社会的地位も高かるべき人が平気で我が国の法を犯すような挙に出ても、未だ外国人を敬う気でいるとは」なのだ。それでは「貴方たちはどれほど外国人のことをご存じですか」と問いかけたくもなってしまうのだ。

私は我が国でももうそろそろ皆が目を覚まして「性善説信奉」から離れていくべきだと思っている。何度も指摘して来たことで「我が国は世界でも珍しい性善説信奉」なのである。外国に出た経験をお持ちの方は感じ取ったと思っているが、西欧の諸国は見事なばかりの性悪説信奉である。解りやすいだろうと思う例を挙げれば「外国ではホテルのチェックインに際してクレデイットカードの提出は必ず求められる」ではないか。これが食い逃げならぬ「泊まり逃げ防止策」なのである。彼らは「逃げるもの」との前提でお客を見ているのだ。

ゴーン氏はサッカーをやると最も小汚い反則を主体に最も危険な反則もする地域のご出身ではなかったか。彼の日産自動車再建の優れた手腕とは全く別の次元のことだと思うが、「矢張り彼もその地域の人だった」と思わずにはいられなかった。私は寡聞にして彼はどの宗教の信者だったかは知らない。その点にも少し興味がある。