新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月13日 その2 kazk様

2020-01-13 09:24:52 | コラム
Kazk様

こちらこそ、本年もよろしくお願いいたします。

早稲田大学の強さの解説を興味深く拝読いたしました。何もラグビーだけに限ったことではないのですが、事重要な試合(例えば甲子園ボウル)や早慶戦となった場合の持てる力を振り絞ってみせる強さには、何時も感心しております。いや、必ず力を出すだろうと読んで観戦しています。技術水準が同じならば、精神力が強い方が勝つのは当たり前でしょう。

私はあの明治との試合の前半は見なかったのですが、私は明治が戦術が変わって展開ラグビーになってきたのが良い傾向かどうか解りかねていました。だが、もしかして気の緩みが出るのではないかとは予想していました。また、アナウンサーが未だに明治を「重戦車のFW」とか「北島監督時代の『前へ』」に拘っていたのには、時代錯誤だと思わずにはいられませんでした。中途半端で変わり切れていないのが欠点かなとも感じました。

甲子園ボウルはテレビ観戦されたと勝手に拝察しますが、愚息も「観るまでもなく、結果は見えている」と言ってしましたが、簡単に関学に勝たせないのが早稲田であり「もしかすると」と思わせ得くれたのが凄いと思います。NHKの中継では出身校を出してくれないので困りますが、学院からの者が多いと思っています。だが、それでも中学から高等部を経てきた関学には一歩も二歩も及ばなかったと見ました。橋詰功君に言わせると「最も素材が揃っているのがフェニックス」だそうですから、その点では早稲田の指導者は偉いと言えるのでしょう。

私も87歳の高齢となってしまいましたし、昨年は命を取られるようなことではなかったにせよ病気の連続でした。最後の腱鞘炎は2ヶ月目の今でもブロック注射で痛みを止めて頂いている状態です。本当はスタンドで観戦したいのですが、部分的にしか見えないテレビ観戦をしながら論評をせざるを得ないのでしょう。正直に言えば、フェニックスの復活を期待していますが、十分なコーチが揃っていない状態では早稲田に勝つのは難しいかと思っております。

真一文字拝

好い加減にしようよ、カタカナ語を使うのは

2020-01-13 08:50:13 | コラム
カタカナ語排斥論者は諦めの心境:

先ほどもニュースでアパートの階下に住む者が、上の階の住人の騒音に腹を立てて「殺すしかない」と上がっていて刺殺したと伝えていた。被害者と容疑者の間には「騒音トラブル」があったそうだ。また、イランの革命防衛隊が誤射でウクライナの旅客機を墜落させて167名もの犠牲者を出した悲惨な事件も、当初はイラン側が「エンジントラブルがあった」と発表したと報道された。兎に角、我が親愛なるマスコミは何が何でも、何でもかんでも「トラブル」で括ってしまうのだ。中には「両者の間には金銭トラブルがあった」などという使われ方もある。


事ここに至れば、その結果として、英語を良く知っているはずだと自負している当方は、そもそも“trouble”とは如何なる事を意味しているかが解らなくなってしまった。この件はこれまでに何度も採り上げてきた。だが、流石の私も訳が解らなくなって、あらためてジーニアス英和辞典に訊いてみた。すると、そこに先ず出てきたのは「心配、苦労、悩み」だった。「騒音の心配」があって他人を刺殺するか。「飛行機のエンジンに苦労」があると爆発墜落するのかという問題だ。

念の為にOxfordも見てみると“a problem, worry, difficulty, etc. or a situation causing this”と出てくる。どうもカタカナ語の使われ方とは余り符合しないようだ。これなどはほんの一例に過ぎないが、マスコミは何を勘違いしたのか何でもかんでもカタカナ語を使って報道したいようだ。勿論、「これらのカタカナ語は最早日本語の一部だから、とやかく言うことはないのでは」と言う多くの方々のご意見は承知しているし、「使いたければご随意に」とも言って来た。

だが、世を挙げてか、文科省が狂っているのか知らないが、国際化の時代にあっては国民の英語力を強化しようとばかりに小学校の3年から英語を教えようと言い出している。だが、そのニュースを報じているテレビも新聞も何でもかんでも「トラブル」で表現して平然としている。外国人に“The guy stabbed him due to noise trouble.”と言って解って貰えるだろうか。本気で国民の英語能力を高めようと少しでも考えているのだったら、カタカナ語の乱用を慎むべきではないのかな。

そんなことを言っても無駄だと思うのだ。兎に角テレビに登場される知識階級であるはずの専門家たちは平然として「フリップを出して下さい」などと言うし、「セキュリティ」や「チケット」や「ホリデー」や「ウイン・ウイン」などと言うのだから堪らない。私は彼等がそれら誤ったカタカナ語であるとか使い方が間違っているとご存じではないとは思えないが、思うにテレビ局にそう言ってくれと指示か依頼されているのだと疑っている。文科省や英語学者は何故沈黙しているのかと言いたくもなる。当方は勿論「無駄な抵抗だ」と信じて言っているのだが。