新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月3日 その2 新型コロナウイルスに思うこと

2020-04-03 09:03:35 | コラム
政府の対策は思い切りが良くないな:

読売新聞の特ダネか:
本日、この新聞は「現金の給付と散々言われていた全世帯に10万円ではなく、収入が減少した世帯の自己申告で20万円」と報じていたそうだ。西村康稔大臣が「10万円でも5月末の給付」と言っていたのとえらい違いだ。何でも否定的に受け止めてしまう当方は「そんなことにすれば、申請者が区役所なり何なりに長蛇の列を作るだろう」と先ず考えた。大体からして「収入減の証明資料をどうやって作れというのか」と「虚偽の申請があった場合の罰則は」などと考えると気が遠くなりそうだった。思うに申請はネットでとでもなるのかななどと考えていた。

何れにせよ、アメリカが12万円の小切手配布で、韓国が9万円という報道がある中で、財務省が本当にこういう案を出したのか、自民党内の発案なのか知らないが、思い切りが悪い間延びがした対策だとしか思えなかった。申告を受けて審査して、漸く給付した頃には、ウイルスが制圧された後になっていなければ良いがなとしか思えなかった。

緊急事態発令:
総理の国会での発言を聞いていると、今よりも状態が悪化しない限り発動しないと言われているのだとしか解釈できない。非常に慎重なご発言だと思って承っていた。だが、医師会は早急に発動して欲しいと主張していた。例の専門家会議はそこまでせっついてはいないような言い方だったが、私は専門家会議には判断業務をさせるべきではないというか、尾身茂副座長に記者会見をさせるのは筋が違うと思っている。諮問機関であれば「陰の存在であるべき」ではないか。お医者様を表に立てるべきではないと思うのだ。

要するに「思い切りが悪い」ということは、これまでに繰り返してきた「後手・後手」と「継ぎ足し方式」になってしまうのではないのか。言いたいことは、加藤勝信厚労相と西村康稔大臣がいみじくも見せたような、官僚的自己保身優先主義者ばかりに任せておくと、手遅れになってしまうような気がしてならないのだ。総理にはあの「学校の一斉休校」のような果断な措置を願いたいと思うのは誤りか。

オリンピックの1年延期:
私は後難を恐れて言うと「またしてもバッハ会長以下のIOCの我が国の意向などを軽視した独断専行の延期の表明だった」と思っている。あの延期の決定の発表は森喜朗組織委員会長が「今週中には決定」と言った直後に「1年延期」の決定が飛び出してきたのだ。私は何度か「白人同盟」という禁句のような表現を使って、バッハ会長とIOCを経験から批判したが、彼等は唯我独尊なのだ。しかも、延期には悪条件が山積しているし、週刊新潮には楡周平氏が「来年では開催できない」という論陣を張っている。どうなって行くかは予断を許さないと思う。

オリンピックと直接の関連はないが、私はこの最早国家的な大経済的な負担となって行きそうな2020オリンピックが1年延期となった今年の夏場に、高野連は甲子園の野球を開催する気かあるのかと、大いなる興味を以て注視している。高野連は春の選抜を中止して、マスコミは挙って「夏があるではないか」と高校生を慰めていた。だが、学校の再開がゴールデンウィーク開けまでに延ばされた現時点で、その直後には予選を始めねばならない地区もあるのだ。NPBだって開催の延期を言い出したし、世界の名だたる大会が皆中止だ。どうする、高野連。これも思いきりの問題だ。

人工呼吸器とECMO
ここに来て静かにだが公然と「重症者が若者と高齢者で、器機が1台しかない事態が生じたら何れの患者を選ぶか」という議論という係の説が出てきた。聞くだに恐ろしい話だ。人工呼吸器(これが英語では“ventilator”というとは今回初めて知った)の不足は、このウイルスの感染が発生した頃から言われていたが、こういう形で採り上げられるとは恐ろしいのだ。斯くなる上は、一歩も外に出ず、出る場合には万金を投じても「N95」のようなマスクを手に入れて着用せねばなるまいかと、日夜恐怖におののいている今日この頃だ。

安倍総理、思い切りよく先手必勝の策に打って出る方針で行って下さい。お願いしますよ。


恣意的にカタカナ語を使うのを止めろ

2020-04-03 07:54:27 | コラム
「クラスター」って何のこと:

これまでは「オーバーシュート」と「ロックダウン」という英語擬きの言葉の意味を解説もすることなく使っておられる方を批判してきたが、それ以外にも新型コロナウイルスの関連で「クラスター」が当たり前のように使われている。私はこの言葉をも使う必然性はないと思っている。何故、素直に「集団感染」と言わないかと不思議に思っている。率直に言えば、使っている連中は英語の単語の知識を衒っているとしか思えないのだ。あの偉い方もマスコミも、即刻「クラスター」ではなく、チャンとした日本語の「集団感染」とすべきだと主張する。

私はもとより余り日常的に使うことがなかったこの“cluster”という単語の意味は承知していた。というよりも、使われた場合の前後の脈絡からして「何らかの塊」だと推察していた。アメリカ人の中で暮らしていれば、知らない言葉が出て来る度に一々「それ何のこと」などと尋ねる訳にはいかないので、流れの中で推理して考える他ないのだ。

実は、このカタカナ語の登場があって、今回初めてジーニアス英和辞典を引いてみた。そこにあったのは「(花・果実などの)房、かたまり」が最初に出てきた。2番目が「動物の群」だった。実は、M社の包装システムには“Cluster Pak”という商品もあった。念の為に、Oxfordも見ておくと“a group of things of the same type that grow or appear close together”となっていた。不勉強にして英語では「集団感染」をどのように言うか考えたこともないが、何れあの賢夫人に教えを乞うてみよう。ふと思い当たった言葉は“massive”と“collective”だった。

何れにせよ、こういう重大な危機が迫っている時に、何も紛らわしい中途半端なカタカナ語を使う必要も必然性もないと思うが、如何なものだろうか。