新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月8日 その2 緊急事態発令の効果は

2020-04-08 14:01:50 | コラム
“Better late than never.”の感は免れないが:

私は緊急事態発令の効果に期待する以外にないと思っている。確かに昨7日夜の総理の記者会見での語りは長過ぎたと思う。情緒的だったという批判も当たっているかと思わせられた。だが、現時点ではそんな揚げ足を取っている場合ではないと言いたい。矢張り遅かったと言うか、またもや後手だったとの感も免れなかった。だが、私はここまで来れば残された重大な課題は「老若男女を問わず、新型コロナウイルスを甘く見ているような気配がある連中が、何処まで総理の外出自粛要請に素直に従うかだ」と思っている。

それにつけても思うことは「何故安倍総理があれほど発動までに時間を費やしたのか」という点である。総理は「専門家会議にはかって」と言われたが、私には本末転倒のように思えてならなかった。私には無闇にカタカナ語を使って流行らせた尾身茂氏に対して偏見があるが、総理足る者「こう心に決めたから貴君たちは賛成するか。するだろうな」と決めつけられて然るべきだとしか思えないのだ。彼等委員たちがどれほど優れたお医者様なり専門家かも知れないが、彼等に判断業務をさせて欲しくなかった。彼等は諸般の事情をご進講申し上げるべき存在だと思っている。

事ここに至ると、何度か引用してきた事だが、橋下徹氏が指摘した「我が国は民主主義政治なので」という所に戻ってきてしまう。安倍晋三氏は総理大臣ではあっても、トランプ氏のように大統領ではないのだから、独断専行と言われようと何だろうと“executive order”(=大統領令)を発して自分の思うような政策を打ち出してはいけないのでもどかしいのである。発令すると景気に悪影響を与えると総理を引き留めた官庁があるやに聞いたが、景気の悪化など今更論じている場合ではないようにしか考えられない。

視点を変えて「人の動き」を考えて見よう。早朝の出勤時間帯の電車はそれほど空いていなかったという報道もあった。私はさもありなんと思う。それは、これまでに何度か批判してきた我が国の企業社会独特の文化である「遅刻制度」が足を引っ張っていると見ている。文化的にも我が国のお勤めの方々は、アメリカ人などには想像も出来ないほど雇用主である会社に対して忠実であり、忠誠心を持って行動している。故に、槍が降ろうと何だろうと最善の努力をして、朝は絶対に9時までに出勤しようと動いている。その美風が今日には仇をしているのだろうと思っている。

経営者や管理職たちが今日の状況下で社員をどのように管理しているか知る由もないが、三つの「密」の危険性を考えれば、出社時刻を柔軟に設定しても良くはないか。いや「テレウワーキング」を云々する時であれば、従業員に対して「何時に出勤して何時に帰ろうと、仕事さえキチンとこなしていれば自由にしても良い」というくらいの度量があって然るべきではないのだろうか。社員の健康を考えれば、そのくらいの自主判断を認めても良くはないか。最新の報道によれば、テレウワーキングの比率は6%だとなっていた。もしかすると経営者や管理職たちの頭が古いのかも知れない。

私は我が国の法律の立て付けがどうのこうのというか、強制力に欠けるとの意見もあると思う。だが、何と言っても我が国は世界にも希な「性善説信奉国」なのである。即ち、老いも若きも又無分別な分からず屋たちも、安倍総理のあの情緒的とも批判された演説を真摯に受け入れて、外出を自粛し、人混みの中に立ち入らず、小まめに手を洗って、他人の面前で咳をせずに、マスクを買い占めたりせずに、自宅でジッとしていてくれれば、必ずや新型コロナウイルスを制圧できると信じて行動すべきだと思う。私はそれ以外に道はないと思っている。


アメリカという学歴偏重社会の考察

2020-04-08 09:32:16 | コラム
こういう時だからこそCOVID-19から離れて:

私は昨日「アメリカを格差社会と言うよりも、学歴偏重社会と見る方が適確では」と述べた。そういう根拠の一つには、私はアメリカの企業社会の中でだけ22年半を過ごし、飽くまでも企業人(ビジネスパーソンでも良いだろう)として、他の階層を見てきた経験があると思っている。そして「今やアメリカの大手の企業社会で生き残り、ある程度以上の地と年収を確保する為にはMBAという学歴が必須と化してきた」と理解しているし、現地の人たちからもそのように聞いている。そこで、私はその経験からも「企業社会におけるチャンスとは」を語って見ようと思うのだ。

ここに二つの実例を挙げるが、そこで言わんとしていることは「仮令、資産家の良家の子弟に生まれても、運悪く(?)州立大学にしか進学できなかった場合には、そこでその若者の将来はほぼ決まってしまう世界である」という冷酷な現実である。念の為再確認しておくと「ベニハナオブ東京」で成功したロッキー青木氏とか、アカデミー賞を受賞したメークアップの巨匠の某氏のような例は私の守備範囲にはないという点だ。確かにやり方次第では、徒手空拳で入っていってもアメリカで成功できる機会もあるということ。

明治大学に留学して:
90年代の終わり頃だったか、成田に向かう京成スカイライナーの車中で偶然に語り合った中年のアメリカ人夫妻の奥方の方が、何とウエアーハウザーの木材部門の中のある事業部の統轄経理担当マネージャーだったのだ。日暮里駅の改札口に見送りに来ていた若者が明治大学に留学中の息子さんだったそうで、是非一度会って色々と相談に乗ってやってくれと依頼され、メールアドレスを交換した。我々夫婦もアメリカに出掛けるところだったので、語り合っている間に成田に着いてしまった。帰国後に息子さんと会って3時間ほど語り合った。


彼は州立では上の部に属するオレゴン大学の学生だったのだが、先ず「何故、明治大学への留学を選んだのか」と尋ねてみた。答えは「州立大学にしか受け入れられなかった時点で自分の将来は決まってしまったと暗澹たる思いにとらわれて反省した。そこで、自分の将来を自分で切り開こうと考え、母親の勤務先のウエアーハウザーが海外との関係が密であり特に日本との貿易が活発だ。であれば、日本語の力を付けた上で日本の事情を学ぼうと明治大学を選んだ」と言うのだった。その頃の我が社は対日輸出ではアメリカの企業の中で上位にあったと思うので、理解できる話だった。

彼の考え方で注目すべきは「州立大学では」と言い切っていた点だろう。それほどアメリカの企業社会ではIvy Leagueや西海岸ならばスタンフォード大学等の私立大学の出身者が、あの競争社会にあっても出世と生活安定への道なのだという点を、彼が素直に指摘していたのだ。ここから先はやや話が本筋から逸れるが、彼に「明治大学での日本語の講義について行けているか」と尋ねてみた。答えは悲しかった。「楽勝だ。オレゴン大学で2年間学んできたので十分についていける」と胸を張られてしまったのだから。

何が悲しいかと言えば「我が国の英語教育で中学から大学の教養課程まで英語を教えられ、アメリカの大学に留学して英語の講義や討論を楽勝でこなせるか」との点である。以前にも回顧したが、この(英語力を誇る?)私が本社で1週間、朝は8時から夕方5時までのセミナーに参加して、1日中は集中力が続かずに午後になると「自分の目の前を英語という川がゴウゴウと音を立てて流れているだけ」という状態に陥って瞬間的に呆然となってしまったことが何度かあったのだった。

それなのに、このアメリカの若者は僅か2年間勉強しただけで、明治大学の講義を問題なく理解できるとは、アメリかではどのように日本語教育をしているのかと調べてみたくなったのだった。同時に、我が国の英語教育は何をやっているのかという嘆きでもあった。彼は別れ際に「今日は長時間有り難う御座いました。久しぶりに相手の英語力を気にしないで思い切り英語が話せました」と言ったのだった。あーあ。

何時かは国際市場で:
二例目は2010年1月にカリフォルニア州のマリーナ・デル・レイという場所にある会員制のホテルで経験したことを。一緒にいた息子とレンタカーでロスアンジェルス市内観光に出掛けることにした。レンタカー会社からは迎えに来てくれるというので待っていると、人品骨柄卑しからぬスーツ姿の青年が来てくれた。道中色々と語り合ったところ、彼は州内では一応名の通った州立大学(カリフォルニア州にはUC以外にも沢山大学があるのだ)の経済学部出身で「何時までもこういう会社で燻っていないで、何とかチャンスを掴んで国際市場に出てみたい」と希望を述べていた。

念の為に確認しておくと「アメリかでは銀行・証券業界を除いた大手企業では、先ず新卒を採用することはない」のである。そこで大企業を狙いたければ、「中小企業で腕を磨き名を挙げて大手からの勧誘か引き抜きを待つか、一流私立大学のビジネススクールでMBAを取得して資格を取って入りたい事業部を決めて願い出るか、会社側の募集を待って挑戦する手段しかない」と思っていれば間違いではないのだ。今や、ビジネススクールは4年の実務経験を積まない限り入学できないし、そこから又2年間学ばねばならないのだから、学費の準備だけでも容易ではないのだ。

レンタカー会社の若者の話に戻そう。彼は私の経験談を聞いて海外市場で活躍する為には何が必要かと熱心に尋ねてきた。勿論条件は色々とあるが、矢張り先ずはMBAだろうし、外国語の能力も必要になるだろうが、私は何はさておいても「自国の文化とは如何なるものかを知ることが重要だと思う。アメリカこそが世界最高だと自負しているだけで井の中の蛙であり、自分の足下を見極めた上で、日本なり何なりの外国の文化を知って初めて国際人としての一歩を踏み出せるのでは」と述べておいた。

ここではそういう自慢話をしたいのではなく、「アメリかではある程度の州立大学を出ただけでは、先ずはこのレンタカー会社のような実務の世界で経験を方々で積んで置かないことには、大企業(製造業でも良いか)への道は開けてこない」という実際にに聞いた話に基づいたことを述べておきたいのである。この青年は礼儀正しかったし、将来必ず何とかしてみせると希望に目を輝かせていた。これもアメリカの一面なのである。