安倍内閣に対する忠告:
第三者機関には勿論かの「専門家会議」を含んで言っている。私は既に独断と偏見で指摘したが、安倍内閣が専門家会議に過度に依存しておられるというか、諮問機関を表に出して、この未曾有の危機に対する処置を語らせているのは疑問であると断じてきた。特にあの尾身茂副座長については、カタカナ語の乱用だけで軽佻であり、信頼に値しないと勝手に決めつけていた。何度でも言うが、その専門分野では権威あるお医者様だろうが、権威は飽くまでもその分野での事で、政府の仕事の範囲の事をさせ、重大な判断業務までさせるのは如何なものかという意味だ。それは「総理の任務ではないのか」とも言いたいのだ。
解りやすいか否かは知らないが、私の経験を例に挙げてみよう。私がMead Corp.に勤務していた頃に、パッケージ部門が全員出払っていてフランスから来た技師を問題が生じている自動包装機の修理の通訳を依頼されたことがあった。全く知らない分野の機械の運転の通訳を、余り馴れていないフランス人の英語と戦いながら1時間ほど務めた。惨敗だった。英語の表現には“It’s all Greek to me.”というのが「ちんぷんかんぷん」に当たるが、専門語を知らない私は全く役に立たなかった。その意味は「医療の専門家のお医者様に政治的な判断を表に出して語らせるのか適切か」なのである。
私は忌憚のないところを言って専門家会議の代表を表に出すのは反対である。「それは総理大臣か少なくとも閣僚の“job description”に記載されているべき事であって、感染症か疫学の専門家か、WHO如きに在籍された方々に依存すべき事柄ではない」と私は言いたいのだ。政治と「病人を診察して診断して治療法を決める事」と、国家の重大事に際して如何にして最善の方法で対処すべきかを決めるのは、諮問機関が具申した意見を基にして決めるべき総理大臣だと言いたいのだ。その諮問機関の長に「10の何とか」を発表させるのは、私は総理の責任回避だとすら思っている。
私はこれまでに何度も指摘したが、現在の世の中ではやたらに第三者委員会依存が流行しており、何か一寸でも難しそうな事件が発生するや、唯々諾々と弁護士を長とする第三者委員会に任せてしまう。私はこういう委員会の方々は「グラウンドに立って球を投げるとか打つとか、蹴ってゴールに入れるとかを経験された訳ではなく、スタンドからの観戦者だっただけだったにも拘わらず、実際に試合をやっている選手たちを知った風な顔で指示を与えているだけだ」としか評価しない。私は「ルールすらろくに知らない方々にお任せするのには無理がある」と信じて疑わない。
現に常に傾聴すべき鋭いことを言われている写真家の宮嶋茂樹氏は「現場を知らないジャーナリストやキャスターたちが何を言おうと」と堂々と発言している。今回は事が“virus”即ち「新型ウイルス」であるから、専門家会議に(その構成は発表されたとは思わないが)お医者様が多いのは解る。だが、それは、新型ウイルスの正体というか実態を知らない政治家が色々と知識を得て、政治的にも経済的にも緊急に対策を打ち出す為に問いかけて参考にする事の教えを乞うのだろう。だが、その委員の方にしたところで、持ち合わせているのは過去の経験だけではないのか。
極論を言わせて貰えば「だからこそPCR検査の数を抑えて病院が患者で溢れないようにしよう」というような一見合理的なような無慈悲なシステムを構築して、保健所に全てを決めさせて自宅療養中に不幸にも亡くなってしまった方がでるような結果になったのではないか。そういう問題点を抱えていながら、専門家会議を存続させ尚且つ依存するのが政治の本来の姿だろうかどうかは、私如きには解らない。だが、宮嶋茂樹氏の口を借りれば尾身氏他の方は、どれほど今回のウイルスの現場を踏まれたのだろうか。
私は声を大にして「怪しからん」と言いたいことは「7割にせよ8割りにせよ、爆発的かどうか知らないが蔓延する感染を減らすことが具体策だと言うのならば、数字を言ったときに誰にでも解るような具体策を列挙すべきだ」と言いたいのだ。だが、「政治の専門家ではないお医者様にそこまで言わせるのは酷だ」と総理も側近も、西村大臣も加藤大臣も解っていたはずだ。いや、そういう閣僚だって現場を踏んでいないのではなかったか。
結論的に言えば、総理はあのように丁寧に言われずに「外出はするな。会社はテレウワーキングに徹して社員を出勤させるな。違反者には罰金だ」くらいの強気でいて欲しいのだ。もっと言えば、尾身氏に言わせずに、ご自分で眼前のプラステイックスのシートに出てくる原稿を読まれても良いから、自分の口で国民に命じて頂きたいのだ。要請ではアホどもが「メジャナイ」とばかりに海岸に出掛けたり、パチンコ屋に出ていくのだ。私は要請の効果は専門家の口を借りた為に薄められてしまったとすら考えている。それに、小池都知事の独断先行も抑えるべきではないのか。
総理に申し上げておきたいことは、「加藤の乱」の時に「貴方が大将なんだから」と誰だったかが言ったように「安倍総理、貴方が大将なんであり、何とか会議ではないのです」なのである。当事者は総理大臣なのです。
第三者機関には勿論かの「専門家会議」を含んで言っている。私は既に独断と偏見で指摘したが、安倍内閣が専門家会議に過度に依存しておられるというか、諮問機関を表に出して、この未曾有の危機に対する処置を語らせているのは疑問であると断じてきた。特にあの尾身茂副座長については、カタカナ語の乱用だけで軽佻であり、信頼に値しないと勝手に決めつけていた。何度でも言うが、その専門分野では権威あるお医者様だろうが、権威は飽くまでもその分野での事で、政府の仕事の範囲の事をさせ、重大な判断業務までさせるのは如何なものかという意味だ。それは「総理の任務ではないのか」とも言いたいのだ。
解りやすいか否かは知らないが、私の経験を例に挙げてみよう。私がMead Corp.に勤務していた頃に、パッケージ部門が全員出払っていてフランスから来た技師を問題が生じている自動包装機の修理の通訳を依頼されたことがあった。全く知らない分野の機械の運転の通訳を、余り馴れていないフランス人の英語と戦いながら1時間ほど務めた。惨敗だった。英語の表現には“It’s all Greek to me.”というのが「ちんぷんかんぷん」に当たるが、専門語を知らない私は全く役に立たなかった。その意味は「医療の専門家のお医者様に政治的な判断を表に出して語らせるのか適切か」なのである。
私は忌憚のないところを言って専門家会議の代表を表に出すのは反対である。「それは総理大臣か少なくとも閣僚の“job description”に記載されているべき事であって、感染症か疫学の専門家か、WHO如きに在籍された方々に依存すべき事柄ではない」と私は言いたいのだ。政治と「病人を診察して診断して治療法を決める事」と、国家の重大事に際して如何にして最善の方法で対処すべきかを決めるのは、諮問機関が具申した意見を基にして決めるべき総理大臣だと言いたいのだ。その諮問機関の長に「10の何とか」を発表させるのは、私は総理の責任回避だとすら思っている。
私はこれまでに何度も指摘したが、現在の世の中ではやたらに第三者委員会依存が流行しており、何か一寸でも難しそうな事件が発生するや、唯々諾々と弁護士を長とする第三者委員会に任せてしまう。私はこういう委員会の方々は「グラウンドに立って球を投げるとか打つとか、蹴ってゴールに入れるとかを経験された訳ではなく、スタンドからの観戦者だっただけだったにも拘わらず、実際に試合をやっている選手たちを知った風な顔で指示を与えているだけだ」としか評価しない。私は「ルールすらろくに知らない方々にお任せするのには無理がある」と信じて疑わない。
現に常に傾聴すべき鋭いことを言われている写真家の宮嶋茂樹氏は「現場を知らないジャーナリストやキャスターたちが何を言おうと」と堂々と発言している。今回は事が“virus”即ち「新型ウイルス」であるから、専門家会議に(その構成は発表されたとは思わないが)お医者様が多いのは解る。だが、それは、新型ウイルスの正体というか実態を知らない政治家が色々と知識を得て、政治的にも経済的にも緊急に対策を打ち出す為に問いかけて参考にする事の教えを乞うのだろう。だが、その委員の方にしたところで、持ち合わせているのは過去の経験だけではないのか。
極論を言わせて貰えば「だからこそPCR検査の数を抑えて病院が患者で溢れないようにしよう」というような一見合理的なような無慈悲なシステムを構築して、保健所に全てを決めさせて自宅療養中に不幸にも亡くなってしまった方がでるような結果になったのではないか。そういう問題点を抱えていながら、専門家会議を存続させ尚且つ依存するのが政治の本来の姿だろうかどうかは、私如きには解らない。だが、宮嶋茂樹氏の口を借りれば尾身氏他の方は、どれほど今回のウイルスの現場を踏まれたのだろうか。
私は声を大にして「怪しからん」と言いたいことは「7割にせよ8割りにせよ、爆発的かどうか知らないが蔓延する感染を減らすことが具体策だと言うのならば、数字を言ったときに誰にでも解るような具体策を列挙すべきだ」と言いたいのだ。だが、「政治の専門家ではないお医者様にそこまで言わせるのは酷だ」と総理も側近も、西村大臣も加藤大臣も解っていたはずだ。いや、そういう閣僚だって現場を踏んでいないのではなかったか。
結論的に言えば、総理はあのように丁寧に言われずに「外出はするな。会社はテレウワーキングに徹して社員を出勤させるな。違反者には罰金だ」くらいの強気でいて欲しいのだ。もっと言えば、尾身氏に言わせずに、ご自分で眼前のプラステイックスのシートに出てくる原稿を読まれても良いから、自分の口で国民に命じて頂きたいのだ。要請ではアホどもが「メジャナイ」とばかりに海岸に出掛けたり、パチンコ屋に出ていくのだ。私は要請の効果は専門家の口を借りた為に薄められてしまったとすら考えている。それに、小池都知事の独断先行も抑えるべきではないのか。
総理に申し上げておきたいことは、「加藤の乱」の時に「貴方が大将なんだから」と誰だったかが言ったように「安倍総理、貴方が大将なんであり、何とか会議ではないのです」なのである。当事者は総理大臣なのです。