高野連は夏の甲子園の野球を無観客でと検討:
この競技団体の在り方は中々一筋縄では対処できない独得の個性があると、かねがね聞いている。だが、今回は報道によれば春の選抜は中止としたが、夏の場合は無観客での開催を検討中だという。この「無観客開催」は既に一種の免罪符のような形で普及する傾向が見えていたし、現に興行の組織体である相撲協会はその免罪符を行使したようだった。中にはK-1のように観客を入れるところまで押し切った組織もあった。
昨日、日本医師会の横倉会長は「オリンピックは仮令来年に延期してあっても、ワクチンが実用化されない限り開催されるかどうかは見通せない」と穏やかにに控え目に外国人記者クラブで語っておられた。医師会長の新型コロナウイルスが何時になれば制圧できるかの見通しが、そこまでに至っている状況下でも、高野連は免罪符さえ整っていればと考えているのかと、私は「如何にもこの団体らしいな」とあらためて痛感した次第だ。
我が国では「夏の甲子園野球」は勿論戦前からの長い歴史もあるが、戦後は復興しつつある我が国での絶好の楽しみと、清く正しく美しい高校球児たちの澄んだ瞳を輝かせて、日頃の血と汗の練習の成果を発揮する場面を、手に汗握って中継放送を夢中で見たし、郷土の誉れの活躍振りに一喜一憂してきたのだった。それは我が国独得の「全国大会」という文化を象徴しているかの如き存在になっていた。私の持論では「我が国における野球界では高校野球がその頂点に位し、次に嘗ては職業野球と蔑まれたNPBが続き、大学と社会人が続いている」となっている。
その頂点にある高校野球のそのまた頂点にある夏の甲子園野球までも中止しようという所までには、高野連と雖も唯々諾々とは踏み切れないのだろうとは、容易に想像できる。だが、現実は東京オリンピックでさえ無観客開催の免罪符をも行使することなく、21年の夏まで延期とIOCも組織委員会も踏み切っていた。そこに日本医師会長が来年の開催の時期すら疑念を公開の席で表明されたのだった。これを高野連の会長以下幹部はどのように受けとめたのかには、私は大いなる興味を持っている。彼等は「無観客開催で」を強行する気だったのではと疑っている。
残すは歴史ある主催者の朝日新聞社が、如何なる判断を下すのかにかかっているのではないか。彼等は現在の国家の危機を招いている新型コロナウイルス制圧対策や経済政策に腐心しておられる安倍政権に対してはあれほどの批判を繰り返し何でも反対するのだが、オリンピックですら延期を受け入れた組織委員会や日本医師会の会長に対しても反抗的に出ていこうとして、無観客開催に突き進むのではと、私は疑っている。背景には「高校球児が可哀想だと言うだろう世論」辺りを背景にするのではないか。私は高野連にどうせよなどと言う気はない。黙って決定を待っているだけだ。
この競技団体の在り方は中々一筋縄では対処できない独得の個性があると、かねがね聞いている。だが、今回は報道によれば春の選抜は中止としたが、夏の場合は無観客での開催を検討中だという。この「無観客開催」は既に一種の免罪符のような形で普及する傾向が見えていたし、現に興行の組織体である相撲協会はその免罪符を行使したようだった。中にはK-1のように観客を入れるところまで押し切った組織もあった。
昨日、日本医師会の横倉会長は「オリンピックは仮令来年に延期してあっても、ワクチンが実用化されない限り開催されるかどうかは見通せない」と穏やかにに控え目に外国人記者クラブで語っておられた。医師会長の新型コロナウイルスが何時になれば制圧できるかの見通しが、そこまでに至っている状況下でも、高野連は免罪符さえ整っていればと考えているのかと、私は「如何にもこの団体らしいな」とあらためて痛感した次第だ。
我が国では「夏の甲子園野球」は勿論戦前からの長い歴史もあるが、戦後は復興しつつある我が国での絶好の楽しみと、清く正しく美しい高校球児たちの澄んだ瞳を輝かせて、日頃の血と汗の練習の成果を発揮する場面を、手に汗握って中継放送を夢中で見たし、郷土の誉れの活躍振りに一喜一憂してきたのだった。それは我が国独得の「全国大会」という文化を象徴しているかの如き存在になっていた。私の持論では「我が国における野球界では高校野球がその頂点に位し、次に嘗ては職業野球と蔑まれたNPBが続き、大学と社会人が続いている」となっている。
その頂点にある高校野球のそのまた頂点にある夏の甲子園野球までも中止しようという所までには、高野連と雖も唯々諾々とは踏み切れないのだろうとは、容易に想像できる。だが、現実は東京オリンピックでさえ無観客開催の免罪符をも行使することなく、21年の夏まで延期とIOCも組織委員会も踏み切っていた。そこに日本医師会長が来年の開催の時期すら疑念を公開の席で表明されたのだった。これを高野連の会長以下幹部はどのように受けとめたのかには、私は大いなる興味を持っている。彼等は「無観客開催で」を強行する気だったのではと疑っている。
残すは歴史ある主催者の朝日新聞社が、如何なる判断を下すのかにかかっているのではないか。彼等は現在の国家の危機を招いている新型コロナウイルス制圧対策や経済政策に腐心しておられる安倍政権に対してはあれほどの批判を繰り返し何でも反対するのだが、オリンピックですら延期を受け入れた組織委員会や日本医師会の会長に対しても反抗的に出ていこうとして、無観客開催に突き進むのではと、私は疑っている。背景には「高校球児が可哀想だと言うだろう世論」辺りを背景にするのではないか。私は高野連にどうせよなどと言う気はない。黙って決定を待っているだけだ。