新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月20日 その2 何故カタカナ語を使いたがるのだろう

2020-04-20 08:57:52 | コラム
カタカナ語の排斥論者のつぶやき:

これは意見でも何でもない。唯々嘆かわしいと呟いているだけだ。何度も批判したように天皇陛下にご進講申し上げるような偉いお医者様なのだろう尾身茂副座長がお使いになったが為に、“overshoot”という英語の単語が本来の意味を離れた「感染者の爆発的増加」という意味になってしまって、小池都知事を筆頭にテレビに登場するあらゆる人たちが、尾身氏の真似をしてしまっている状態だ。「オーバーシュート」はそういう意味ではなく「ある一定の目標値を設定していたが、そこを超えてしまった」と、何人ものアメリカの知識階層に解説して貰って採り上げた。

「オーバーシュート」などはごく最近の例だが、我が国では1960年代の始め辺りから既に話や書き物の中にカタカナ語(使っているご当人は英語の知識が豊富だと見せたいのだろうと解釈していたが)を混ぜたがるキザな偉い人がいたものだった。その頃でも既に「ドラスティック」は方々で頻繁に使われていて、格好が良いなと思わせる効果があった。不思議なことに、アメリカ人の世界に移ってみると、この“drastic”という言葉を使ったのをほとんど聞いたことがなかったのだった。聞こえてきたことがあったのは“dramatic”だった。

Oxfordには“drastic”は“extreme in a way that has a sudden, serious or violent effect on ~”とあった。ジーニアス英和辞典には〈行動・方法などが〉徹底的な、思い切った、極端な」とあって、寧ろカタカナ語の解釈をしている感があるが、Oxfordとは意味が違うような気がする。「徹底的」と言いたければ“thorough”の方が当たっている気がするし、「思い切った」ならばOxfordが言っているような“extreme”が良いと思ってしまう。矢張り、単語帳に依存しすぎた勉強の成果かと疑っている。

昨日採り上げた「アイテム」が出てきた時には驚かされた。それは、どう考えても「商品」、「製品」、「品物」という意味で使われることはなく、「項目」か精々「種目」という使われ方しか聞いたことがなかったし、第一にこれもほとんど日常的にも業務上でも登場してきていなかったのだ。それにも拘わらず、堂々とカタカナ語になって「これも日常生活に役立つアイテム」などと言うCMになってしまったいるのだから怖い。私が聞いたことがあり、使った経験では“itemize”として「箇条書きにする」という意味で報告書の書き方として採り上げたことだけだった。

私には如何なる事があってもカタカナ語、それも英語本来の意味からかけ離れた使われ方をしている言葉、を使いたい気持ちは当然だが更々ない。だが、一寸偉くなったというか人の上に立つようになると「英語通」ぶってカタカナ語を使いたがる人が多いように思えてならない。しかも、その使い方が誤りである場合が確実に90%以上であるのは非常に怖くて且つ情けないのだ。思うに、何度でもいうが、我が国の英語教育の致命的な欠陥である「単語重視」が引き起こした誤りだと断定したい。世の英語教師にも猛省を求めたいのだ。

2008年にこれらのカタカナ語と造語等を集めて21世紀パラダイム研究会でプリゼンテーションをしたことがあったが、その当時でも200語近くを集めることが出来ていた。21世紀の現在に至れば、恐らくその数は300に迫っているのではないかと考えている。その原因の一つだと見ていることに、製造業者が勝手にでっち上げている場合がる点だ。その一つに「食べ物などの量が多いこと」を「ボリューミー」と平気で言うのがある。恐らく元は“volume”だろうが、そういう形容詞はない。「滑りやすい」を「スリッピー」と語尾に勝手に“y”を付けて形容詞に仕立てたのと同じ手法だ。

カタカナ語を多用して気取るのは「どうぞ、ご勝手に」と言うが、学校で英語を勉強させられる時に、もう少し神経を集中して新しい単語、知らない単語に出会ったならば、チャンと英和とOxfordのような英々辞書を引いて、意味と使い方と発音記号くらいは確かめておいて欲しいのだ。それに「文法を誤るようでは知識階級というかチャンとしか階級の仲間入りは難しくなる」という点を十分に心得ておいて欲しいのだ。その第一歩に位置付けたいのが「カタカナ語の乱用を慎むこと」だ。


マスコミの弱腰を責める

2020-04-20 07:52:30 | コラム
武漢ウイルスは武漢市から流出した:

我が国のマスコミは「中国科学院武漢ウイルス研究所の袁志明という研究員が、アメリカのトランプ大統領が力説されるこの研究所からのウイルス流出説を真っ向から否定した」と何らの注釈無しで報じている。私は良く考えなくとも分かる事で、中国という国がこのような主張に対して素直に「その通りで我が研究所が迂闊にも外部に漏らしてしまいました」と言う訳がないくらいはマスコミの連中が知らないはずがないと思う。だが、テレビなどでの報道の仕方は飽くまでも中立的で、袁志明の言い分をそのまま流している。そこまで中国に対して気を遣わねばならないのかという事。

彼等が中国に対してそこまで及び腰になっている理由は解る気はするが、彼等には我が国が中国が言いたいような“G2”とやらの何れに与しているのか程度は分かっているだろう。そのような及び腰を中国に読まれているから我が国で発注しているはずのマスクの出荷を止められたり、武漢ウイルスの発症を根拠にして多くの機会等の部品の出荷を遅らせて、我が国が出荷を願って跪くのを待っているのだとは考えないのか。イヤ、仮令知っていても言わないのだろう。

今日の世界における新型コロナウイルス蔓延の途方もない状況を見ている他に、中国がヨーロッパの諸国に対して支援の手を差し伸べている態度を見ていれば、何処かの新聞が書いていたように「最初から意図的にマッチポンプ作戦に出ていたのか」と疑いたくなってしまう。テレビ局だってそれくらいは承知しているだろうに、何とも情けない弱腰及び腰だ。