新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月21日 その2 緊急事態発出後の大久保通りに出てみれば

2020-04-21 14:16:40 | コラム
大久保通りは人出で賑わっていた:

2日間も降り籠められた状況から脱出出来たので、約1週間振りに遙か600 mも彼方の大久保通りにまで、不要不急ではない買い物に出掛けた。家を出る時には家内と時間をずらして、それぞれの用事が済んでから合流した。人の動きについて目立った現象は高齢のご夫婦(とは言うが、我々もそのうちだ)が多いことだった。思うに好天に恵まれたからだろうが、外国人の若者に次いで多いなという印象だった。多いと言っても、当然のことだが小池都知事が指摘されたような戸越銀座や吉祥寺のような混み合った状態ではない。

私はこの街を我が物顔で闊歩している異邦人どもに「英語が解るか」と言った後で“Do you know by any chance that the State of Emergency was issued by Shinzo Abe, prime minister?”と尋ねてみたいのだ。知りはしないだろうと本気で疑っている。だが、もしかして彼等がウイルスに冒されていたらと考える時に「接近するなどと無謀なことはすべきではない」と思って取り止めにしている。しかし、あの連中にどれほどの危機意識があるのかと常に疑問に思っている。

本日はイスラム横町で小さな発見があった。それは1軒のハラルフード販売店で50枚入りのマスクの値段を¥3,500の表記から「5」の字を「0」に書き換えていたことだった。11時から開店の最も古いハラルフード販売店は¥3,300に書き換えただけで、バラ売りは相変わらず¥300のままだった。この違いを見ると、どうやら彼等は談合していないらしいなと考えるに至った。二男に「値下げはシャープが¥2,980で通販を開始した為か」と尋ねると「それは違う。シャープでは送料の¥660がかかるので、割高になる。今や¥3,000が相場だ」と教えられた。

マスクの市場価格の件はこれくらいにして、矢張り外国人を除く一般市民の危機意識は未だ不十分だと感じていた点を語ろう。と言うよりも、バイキングだったかで誰かが言っているように「出歩く連中はアーケードではない屋外に出ても、三密の一つである『密』には当て嵌まらないから安全だとでも思っているのか」ということだ。Ips細胞の山中博士は「ジョギングをする時でも呼吸が荒くなれば、飛沫は2 m以上飛ぶから要注意」と警告を発しておられたように、三密だけが危険ではないと考えるべきだろうと、あらためて痛感させられた。

私が唖然とさせられた報道があった。それは、片瀬江ノ島周辺で神奈川県以外のナンバープレートを付けた車での大渋滞の発生と、小田急の片瀬江ノ島駅の人の出が+87%だったという報道だった。テレビに出演する人たちも皆「ストレス解消」と言うが、誰かが英語というか心理学の知識が不十分で「ストレス」と「フラストレーション」(=欲求不満)とを混同した為に、カタカナ語の誤用が普及したのは誠に嘆かわしいが、このアホどもの欲求不満解消策には呆れて物も言えない。手前勝手の度が過ぎる

この背景にあるのが(憲法上の制約だがあると言うが)継ぎ足し方式の安倍政権の新型コロナウイルス制圧対策の不備が、悲しくなるほど表れていると思う。「許可なく外出すれば罰金」というような制度を打ち出せないのでは仕方がないと総理は思っておられるのだろうか、丁寧な言葉遣いで「自粛の要請」を何度されても自覚に乏しく新型コロナウイルスを舐めている連中には3ヶ月経っても発出以来2週間を経ても、「めじゃない」という程度の自覚と認識なのだろう。橋下徹氏は西村大臣に「制限の為に特別な立法を」と迫ったが、例によって逃げてしまった。

私はアホどもは「西村大臣がやると言わなかったのから、構わないのだ。何しろこっちはストレスに悩んでいるのから」くらいにしか事態を認識していないのだろうと思っている。当方は志村けんよりも17歳も年長なのだから、あの状態をあれほど繰り返して報道されては「高齢者としての真の危機意識には、あれ以来逃れようもなくとらわれている」状態だ。安倍総理には「あれほどの苦心と苦労をして10万円の給付を決めたのだから、国民の方々も外出を自粛して協力せよ。それが貴方方の為にもなるのだ」くらいの強いことを言って欲しいのだ。


「オーバーシュート」は言葉の誤用だ

2020-04-21 08:01:09 | コラム
尾身茂副座長と小池都知事に告げる:

先ほど、テレビのニュースで小池都知事が「日曜日には感染者数が少ないと見ていたが、100を超えた」という趣旨で語っておられた。私に言わせれば「これぞ、将に“overshoot”そのものなのであり、屁理屈と言われることを承知で文法を守って言えば「感染者の数が“overshot”」なのである。即ち、これまでに繰り返して指摘して来た「オーバーシュートとは、ある一定の目標値なり何なりを想定していたが、実際にはそれを上回った」という意味なのだから、日曜日の感染者の数は「オーバーショット」だったのだ。

私は「しつこいな」とか「くどいな」と言われることを覚悟で言っているのだ。それは、このような英語の言葉の誤用が、内閣が重要視しておられる権威のある方が誤って使ってしまった(あるいは、本当に“overshoot”の意味を知らずにか)為に、常に英語知っているような振りをされる小池都知事が真っ先に真似され、思慮分別に欠けるマスメデイアも追随して「言葉の誤用」の範疇に入れたいカタカナ語が出来上がって、日本語の語彙に加わってしまった、これは私が知る限りの初めての新カタカナ語の例なので、「何をやっているのか」と非難するのである。

実際には、私が幾らここで叫ぼうと喚こうと「オーバーシュート」というカタカナ語は定着してしまったので、取り返しが付かないと諦めている。故に、我々同士の会話の中で幾ら使おうと構わないが、間違っても「英会話」などをなさった時に、“Number of those people who were infected by the China virus on Sunday, April 19th, was an overshoot.”などとは言わないで欲しい。