無意味な数字いじりを止めよ:
本18日も「国内の感染者がクルーズ船を除いて1万人に迫った」とさも大事のように伝えているメデイアが多かった。私は「彼らの焦点の絞り方は何時も間違っている」と思ってその報道を聞いている。
それが何故かという前に恐らくご存じの方はもう少ないと思う、往年の野球評論家の話を採り上げておきたい。その人のペンネームは「大和球士」といって恐らく本当の野球経験者ではなかったと記憶するが、独得の皮肉が評論で人気は高かったと思う。どれほど昔のことかと言えばタイガースの監督も務めた投手から打者に転向した田宮謙次郎の大胆な投球を評して「この大打者に対して真ん中に直球を投げ込んだので、まさかそんな球が来るとは思わなかった大打者が見送って『妙な奴だなー』と呆れた表情」と言ったような書きぶりだった。
未だテレビなどなかった頃の評論家のその大和球士が「新聞記者さんたちは数字いじりがお好き」と皮肉ったことがあった。それは彼等が「やれ何試合連続でヒットを打ったの」とか「何処の投手が何連投をした」とかばかりを報じて、そういう選手たちが自分たちのテイームの勝利にどのように貢献したかとか、どのように研究して練習を積んできたかというような点を衝いていないと言っていたのだった。
この点では、私が「彼等がトリプルスリーと言って褒め称える山田哲人君は『ここぞ』という時には先ず打てないが、どうでも良い時には打つと批判するような報道をしないと批判しているのと同じだ」と思っている。極端に言えば「10対0で勝っている試合でホームランを打っても、どれほど意味があるのか」という意味だ。言いたいことは「表面に出た現象だけを捉え手論じるのではなく、事の内容をキチンと分析して褒めるべきは褒め、批判するとか反省を促すべき事は真っ向から言うのが、報道する者たちの務めではないのか」なのである。
野球の話が長くなってしまうが、私は名球会とやらでその入会資格が2千本安打などと騒ぐが、もしも1,999本に終わった打者は何ら顕彰の対象ではないのか、立派な成績ではなかったのかとマスコミに尋ねてみたいのだ。投手の場合は200勝と言って騒ぐが、199勝では価値がないと言うのか。私は未達でも立派な選手だと言って褒め称えて上げるべきだと思っている。かかる数字いじりに何処まで意味があるかと言いたいのだ。
感染者の数の報道に戻そう。私でさえ1万人に迫ったこと自体は重大なことだとは思って聞いていた。だが、彼らの報道の仕方を聞いていれば如何にも「さー、大変だ。感染者はここまで増えてしまった。しっかり驚きなさい、皆の衆」的であるだけで、何らの具体的な事態の分析もせず警告もせずに、面白がって騒いでいるだけのようにすら聞こえるのだ。これでは何の役にも立っていない。彼等が報ずべきは「これでは未だ不要不急の外出をする者や、何の危機意識もなく社員を出勤させている管理職が未だいるのではないか」と指摘すべきだ。
それだけではない「県境を越えてストレス(言葉の誤用だが)解消の為に車でパチンコをしに行く者たちがいるとは怪しからん。懸かる不心得者どもを取り締まる方式を考えるべきだ」くらいのことを、専門家や評論家の口を借りることなく自分たちで言うくらいの見識があって然るべきではないか。「やれ東京都では今日は201人の感染者が出た」とニュースの中に割り込ませて一大事のように伝えるのでは、単なる扇動者ではないのか。
彼等には「感染者が急増するのは重大事だが、その報道をする前に背景の分析でもチャンとやってから、市民に自覚を促すくらいの仕事をせよ」と言ってやりたい。そんな程度の連中だから、小池都知事の自己宣伝としか聞こえない訓話を流してしまうのだ。
本18日も「国内の感染者がクルーズ船を除いて1万人に迫った」とさも大事のように伝えているメデイアが多かった。私は「彼らの焦点の絞り方は何時も間違っている」と思ってその報道を聞いている。
それが何故かという前に恐らくご存じの方はもう少ないと思う、往年の野球評論家の話を採り上げておきたい。その人のペンネームは「大和球士」といって恐らく本当の野球経験者ではなかったと記憶するが、独得の皮肉が評論で人気は高かったと思う。どれほど昔のことかと言えばタイガースの監督も務めた投手から打者に転向した田宮謙次郎の大胆な投球を評して「この大打者に対して真ん中に直球を投げ込んだので、まさかそんな球が来るとは思わなかった大打者が見送って『妙な奴だなー』と呆れた表情」と言ったような書きぶりだった。
未だテレビなどなかった頃の評論家のその大和球士が「新聞記者さんたちは数字いじりがお好き」と皮肉ったことがあった。それは彼等が「やれ何試合連続でヒットを打ったの」とか「何処の投手が何連投をした」とかばかりを報じて、そういう選手たちが自分たちのテイームの勝利にどのように貢献したかとか、どのように研究して練習を積んできたかというような点を衝いていないと言っていたのだった。
この点では、私が「彼等がトリプルスリーと言って褒め称える山田哲人君は『ここぞ』という時には先ず打てないが、どうでも良い時には打つと批判するような報道をしないと批判しているのと同じだ」と思っている。極端に言えば「10対0で勝っている試合でホームランを打っても、どれほど意味があるのか」という意味だ。言いたいことは「表面に出た現象だけを捉え手論じるのではなく、事の内容をキチンと分析して褒めるべきは褒め、批判するとか反省を促すべき事は真っ向から言うのが、報道する者たちの務めではないのか」なのである。
野球の話が長くなってしまうが、私は名球会とやらでその入会資格が2千本安打などと騒ぐが、もしも1,999本に終わった打者は何ら顕彰の対象ではないのか、立派な成績ではなかったのかとマスコミに尋ねてみたいのだ。投手の場合は200勝と言って騒ぐが、199勝では価値がないと言うのか。私は未達でも立派な選手だと言って褒め称えて上げるべきだと思っている。かかる数字いじりに何処まで意味があるかと言いたいのだ。
感染者の数の報道に戻そう。私でさえ1万人に迫ったこと自体は重大なことだとは思って聞いていた。だが、彼らの報道の仕方を聞いていれば如何にも「さー、大変だ。感染者はここまで増えてしまった。しっかり驚きなさい、皆の衆」的であるだけで、何らの具体的な事態の分析もせず警告もせずに、面白がって騒いでいるだけのようにすら聞こえるのだ。これでは何の役にも立っていない。彼等が報ずべきは「これでは未だ不要不急の外出をする者や、何の危機意識もなく社員を出勤させている管理職が未だいるのではないか」と指摘すべきだ。
それだけではない「県境を越えてストレス(言葉の誤用だが)解消の為に車でパチンコをしに行く者たちがいるとは怪しからん。懸かる不心得者どもを取り締まる方式を考えるべきだ」くらいのことを、専門家や評論家の口を借りることなく自分たちで言うくらいの見識があって然るべきではないか。「やれ東京都では今日は201人の感染者が出た」とニュースの中に割り込ませて一大事のように伝えるのでは、単なる扇動者ではないのか。
彼等には「感染者が急増するのは重大事だが、その報道をする前に背景の分析でもチャンとやってから、市民に自覚を促すくらいの仕事をせよ」と言ってやりたい。そんな程度の連中だから、小池都知事の自己宣伝としか聞こえない訓話を流してしまうのだ。