新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月18日 その2 マスメディアに告げる

2020-04-18 13:49:09 | コラム
無意味な数字いじりを止めよ:

本18日も「国内の感染者がクルーズ船を除いて1万人に迫った」とさも大事のように伝えているメデイアが多かった。私は「彼らの焦点の絞り方は何時も間違っている」と思ってその報道を聞いている。

それが何故かという前に恐らくご存じの方はもう少ないと思う、往年の野球評論家の話を採り上げておきたい。その人のペンネームは「大和球士」といって恐らく本当の野球経験者ではなかったと記憶するが、独得の皮肉が評論で人気は高かったと思う。どれほど昔のことかと言えばタイガースの監督も務めた投手から打者に転向した田宮謙次郎の大胆な投球を評して「この大打者に対して真ん中に直球を投げ込んだので、まさかそんな球が来るとは思わなかった大打者が見送って『妙な奴だなー』と呆れた表情」と言ったような書きぶりだった。

未だテレビなどなかった頃の評論家のその大和球士が「新聞記者さんたちは数字いじりがお好き」と皮肉ったことがあった。それは彼等が「やれ何試合連続でヒットを打ったの」とか「何処の投手が何連投をした」とかばかりを報じて、そういう選手たちが自分たちのテイームの勝利にどのように貢献したかとか、どのように研究して練習を積んできたかというような点を衝いていないと言っていたのだった。

この点では、私が「彼等がトリプルスリーと言って褒め称える山田哲人君は『ここぞ』という時には先ず打てないが、どうでも良い時には打つと批判するような報道をしないと批判しているのと同じだ」と思っている。極端に言えば「10対0で勝っている試合でホームランを打っても、どれほど意味があるのか」という意味だ。言いたいことは「表面に出た現象だけを捉え手論じるのではなく、事の内容をキチンと分析して褒めるべきは褒め、批判するとか反省を促すべき事は真っ向から言うのが、報道する者たちの務めではないのか」なのである。

野球の話が長くなってしまうが、私は名球会とやらでその入会資格が2千本安打などと騒ぐが、もしも1,999本に終わった打者は何ら顕彰の対象ではないのか、立派な成績ではなかったのかとマスコミに尋ねてみたいのだ。投手の場合は200勝と言って騒ぐが、199勝では価値がないと言うのか。私は未達でも立派な選手だと言って褒め称えて上げるべきだと思っている。かかる数字いじりに何処まで意味があるかと言いたいのだ。

感染者の数の報道に戻そう。私でさえ1万人に迫ったこと自体は重大なことだとは思って聞いていた。だが、彼らの報道の仕方を聞いていれば如何にも「さー、大変だ。感染者はここまで増えてしまった。しっかり驚きなさい、皆の衆」的であるだけで、何らの具体的な事態の分析もせず警告もせずに、面白がって騒いでいるだけのようにすら聞こえるのだ。これでは何の役にも立っていない。彼等が報ずべきは「これでは未だ不要不急の外出をする者や、何の危機意識もなく社員を出勤させている管理職が未だいるのではないか」と指摘すべきだ。

それだけではない「県境を越えてストレス(言葉の誤用だが)解消の為に車でパチンコをしに行く者たちがいるとは怪しからん。懸かる不心得者どもを取り締まる方式を考えるべきだ」くらいのことを、専門家や評論家の口を借りることなく自分たちで言うくらいの見識があって然るべきではないか。「やれ東京都では今日は201人の感染者が出た」とニュースの中に割り込ませて一大事のように伝えるのでは、単なる扇動者ではないのか。

彼等には「感染者が急増するのは重大事だが、その報道をする前に背景の分析でもチャンとやってから、市民に自覚を促すくらいの仕事をせよ」と言ってやりたい。そんな程度の連中だから、小池都知事の自己宣伝としか聞こえない訓話を流してしまうのだ。


安倍総理の低姿勢が気になった

2020-04-18 09:00:26 | コラム
何故あそこまで謙られるのだろうか

昨17日の安倍総理の記者会見を聞いていて非常に気になった点があった。同様な指摘を時事通信社もしていたが、それは「言葉遣いが過剰に丁寧で何を言われが求められるにしても、一国の総理大臣ともあろうお方が、国民にお願いしておられる語り口」だったのだ。私はこの国家的難局に対峙するに当たって、情けなくも無自覚な国民が散見される状態では、もっとハッキリと我々に向かって規律を保って置くにの為と自分たちの為に毅然として行動せよ」と自信を持って語りかけて頂きたかった。私は自信がない指導者を頼りにしたくないのだとハッキリ言っておく。自信がない指導者の言うことを部下は聞かないのだ。

後難を恐れずに言えば、安倍総理は元々聞き取りやすい語り方ではないのだが、昨夜のような自信がないように聞こえる語りかけ方では、迫力に欠けていた嫌いがあった。それに、2ヶ月以上も未だ且つなかったようなご苦労が続いていたのだから止むを得ないと思うが、表情にも明らかに疲労感が出ていたのも気懸かりだった。私には総理がお疲れだからChina virusに対して目が覚めるような効果的な対策が打てないのか、または側近と閣僚に未曾有の危機に対して毅然として対応できるだけの腹の据わった知恵者がいないのか分かる由もないが、あの右往左往振りは誠に心許ない。

私の極論的な考え方は「一国の舵取りを国民に任された総理大臣と閣僚と間抜けばかりの国会議員たちは、国難を自分の知恵と経験と知識で乗り切ろう。専門家会議だの第三者委員会如きに依存しているべき時ではない」くらいの覚悟と意気込みで事に当たって貰いたいのだ。総理には何とか言う副座長か会長が知らないが、インチキなカタカナ語を使って恥じないようなお医者様を頼りにするのではなく、「俺は誰が何を言おうとこの策で進むから皆で付いてこい。責任は当然俺が取る」くらいの強引さが欲しいのだ。

私はこの危機に際して感染症や疫学がご専門の医師に意見を聞くのは良いとは思うが、それはウイルスという天敵の実態を知る為に限ったことにして欲しいのだ。昨夜も総理は尾身氏に質問を振ったが、あれは間違いだと言いたい。会社のCEOがそんな無責任なことをして良いのか。尾身氏を政治面まで引き出して判断業務までさせるのはおかしいと思う。少なくとも、私は尾身茂という人に国事を託そうと選んだ覚えはない。だが、自民党は選んでいた。総理も内閣も西村も加藤も、この辺りから為すべきことの選択を誤っているのだ。猛省を促したい。