新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月7日 その2 自由民主党総裁選挙に思う

2020-09-07 15:19:51 | コラム
マスメディアは閣僚候補者を話題にしている:

彼等は菅義偉官房長官に決まってしまったような状況なので、話題作りに苦心しているかの如くである。即ち、表だって菅氏で決まりという訳に行かぬようで、何を今更というような世論調査の結果を持ち出して、驚いて見せたりしている始末だ。そこで、少しでも視聴率を上げようというのか、菅内閣の新閣僚名簿というか候補者の予想も始めている。だが、その専門家たちの予想を見れば「手堅い」という枕詞まで付けてしまった菅氏の意向を勝手に推察したのか、何ら新鮮味に思しい「第三次安倍内閣」と揶揄されたと言われている顔ぶれになってしまっている。

結局は「空白は許されない」と「新型コロナウイルス制圧対策等々を始めとして、未曾有の困難な時期である」というような根拠で「今更何らかの斬新な手法乃至は政策を打ち出すとは期待できない、言わば即戦力ばかり」なのだ。私は菅氏に与えられた選択肢は「こういう既製戦力」に依存するか「日頃から目をかけておいた若い伸びしろが期待できる新戦力重視」の二案だと思っている。対中国戦略を考える時にアメリカ、就中新大統領が誰になるかを考えるときに、菅氏自身の外交戦略と外務大臣の選択は非常に重要になると思う。派閥がどうのと言っている場合ではないと思うが。

話題は大きく変わるが、私は岸田文雄氏が「この戦いを云々」という言葉を使ったのは気に入らないのだ。憲法は兎も角「戦争をしない」と決めさせられた国にあって総裁選挙を「戦う」というのは適切かと思ってしまう。あれは「争い」であると同時に「同じ党内での競い合い」なのである。菅氏も石破氏もそういう言葉を使っていなかったと思う。岸田氏はあの過度な慎重さと何をやりたいのかが全く見えてこない優柔不断さが、安倍総理と麻生副総理に見限られた最大の原因ではないのか。事ここに至っても何がやりたいかに具体性が全く感じられないのでは仕方がないだろう。

世論調査の結果では何時も先頭を走っていた石破氏も、最早その神通力を失ったようだ。その前にマスコミが言う「石破潰し」の総裁選挙方式に遭って、完全に命脈を絶たれたとしか思えないのだ。いや、それどころか「彼がこれ以上自民党内に止まっている必要が無くなってしまったのではないか」と、私には思えるほどの手を二階幹事長は打っていたのだ。石破氏もそれくらいは読んだ上でのこれまでの行動だったのではなかろうか。

ビジネスの世界でもスポーツの世界でも上層部や監督・コーチにも好き・嫌いがあるのは世の常で、その人物の能力や人柄の評価だけで人事が行われるとは限らないのだ。石破氏の場合は上司である安倍総理総裁と内閣を批判してきた以上、それなりの覚悟があっての言動だったのだろうと思っている。菅氏が「失いたくない人材」と判断されるか否かが鍵だろう。私の目には菅氏があそこまでの各派閥の長の支持を得たが為に、岸田氏と石破氏の問題点が「これでもか」と言わんばかりに抉り出されてしまった、来たるべき総裁選挙だと思って見ている。

英語の零れ話

2020-09-07 10:24:56 | コラム
二進法的表現が多い:

アメリカの会社の事業部にたった一人の日本人として入って22年半も過ごせば、あらためて「英語とはこういうものだったか」と思い知らされた表現に出会ったものだった。こういう表現は聞かされた途端には、何のことか直ぐには理解できないこともあった。恐らく、我が国の単語重視の英語教育や英会話教室などでは採り上げていないだろうと、勝手に解釈していた。そういう表現の例をいくつか採り上げてみようと思う。

裏か表か:
昨日、ゴルフ用語で「向かい風」と「追い風」を採り上げて“head wind”と“tail wind”と言うようだと述べたが、このheadとtailを複数にして使うのが「裏か表か」を問う「コイントス」である。勿論と言うべきか何と言うべきか、私は「コイントス」は和製英語であると思っていた。何時だったか、シアトル空港の今はデルタになってしまったノースウエストのチェックインカウンターで座席の事前割当(pre-assigned seatと言っていた)の件で係員と大もめになったことがあった。近頃大流行のカタカナ語にすれば「トラブルになった」となるだろう。

これは明らかに彼等の誤りだったのだが、謝罪の文化がないアメリカのことなので、私の正当な主張を認めずに時間の浪費になる論争になった。すると、お仕舞いにには主任が出てきて「コイントスで決めようじゃないか」と言い出した。この際の英語は“by a flip of a coin”だった。「上等じゃないか。受けてやろう」と言うと流石に折れて私の主張は認めたが、最後まで“We are sorry.”とは言わなかった。これぞアメリカである。なお、確認しておけば、一般的には“coin flipping”と言うようだ。そこで“Heads or tails”となるのだ。

仕事か遊びか:
1972年8月から1993年11月までアメリカには社用の出張で50回以上も行っていたが、空港の入国審査で係官が何と言って聞いているかにはほとんど注意していなかった。英会話のテキストにも旅行者も入国の目的を「ビジネス」か「サイトスイイング」と言えと指示されていたと思う。ところが、何年か経ってから気が付いたことは、係官は“Business or sightseeing?”とは訊いていない点だった。そこで落ち着いて耳を傾けると、“Business or pleasure?“と聞こえたのだった。在職中はビジネスの「B-1,B-2」のヴィザだったので、“Business.”の一言で終わりだった。

即ち、彼らはアメリカに来たのは“business trip”か“pleasure trip”かと尋ねていると分かったのだった。これはもしかすると自慢話になるが、シアトル空港の入管では“I am with Weyerhaeuser.”と申告してみると「それご苦労様。これからも沢山日本に売ってアメリカに貢献してくれ」と言われて、何も聞かずにポンと判を押してくれたことがあった。「へー、そこまで知られているのか」と感心し感謝したこともあった。

現金かクレデイットカード払いか:
これは今風に言えば「キャッシュレス化」が進んでいるアメリカで買い物をすると、ごく当たり前のように尋ねられるのが“Cash or charge?”だ。面白いのは現金即ちキャッシュで支払いをする人が少ないにも拘わらず、“cash”が先に出てくることか。私は2012年にアメリカに行ったのが最後だから、現在のように「何とかpay」が普及しているかどうかは知らないが、兎に角彼等は現金を持ち歩かず、スーパーマーケットでの2~3ドルの買い物でも平気で小切手で払ったりするのだ。

以前に採り上げたことがあったが、我が国からの30人ほどの団体をシカゴでBrooks Brothersにご案内した時のことだった。ほとんど全員が現金で支払われた。するとどうだろう。店側の動きが止まってしまったのだ。「何をやっているのか」と問い質すと「これほど多くのお客様が現金払いをされたことが未だ嘗てなかったので、釣り銭用の現金がなくなって経理係を両替に銀行に走らさせたところなので、暫時お待ちを」と言われた。確か1980年代の末期だと思うが、相互の違いを痛感させられた出来事だった。

イエスかノーか:
最後になるが、考えようによっては「アメリカ式の強引な高飛車な商法」と受け止められそうな仕事上の表現を。それは“take it or leave it”という言い方なのだ。思い切り意訳すれば「当社の(条件の)申し出でを受けるのか、受けないのか」と二択で迫っているのだ。即ち、「採るのか、またはそのまま受け入れずに立ち去るのか」という表現なのだ。我が事業部では我が国との取引に馴れているので、このような強引というか高飛車というような交渉はしなかったが、ごく普通にこういう言い方で迫っていく会社もあるやに聞いていた。換言すれば「イエスかノーか」と言っているのだ。