新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月15日 その2 菅義偉新自由民主党総裁に期待すること

2020-09-15 14:10:39 | コラム
菅氏は「改革派で、適材適所の人材を」と言われた:

私はこの2点に大いに期待している。専門家やジャーナリストや政治評論家の諸先生方は色々と人事の予測をしておられるようだ。だが、私はそれらが当たるか当たらないかは別にして、菅氏が「アッ」と言わせて下さるような清心の気溢れる党役員人事と組閣をされることを真剣に期待している。決して、一部のマスコミが自分で勝手に予想しておいて「第三次安倍内閣」とオウンゴールのような戯れ言を言っているようなことにならないと希望的にも信じている。

だが、今朝の新聞等の党役員の布石を見ている限りでは「アッ」というのではなく「アレッ」と思わせられてしまった。それは2人がマスコミ辞令にはなかった顔ぶれだったし、二階幹事長の留任(何度でも言うが、私は「続投」の如き野球用語は軽蔑している)だったのは、密かな期待を外されのだった。二階氏が菅氏にとっては大恩ある人なのだろうが、私は81歳は高齢に過ぎるし、中国寄りの定評があるのは、菅氏の中国に対する配慮を示す証拠かと思うが、それをアメリカ側が何と受け止めるかが気懸かりだった。この布石は矢張り「手堅さ」の表れか。

組閣は明日以降になるようだが、ここでは何としても「改革」を目指す若さとやる気に溢れる精鋭の登用を期待したいのだ。特にデイジタル庁の新設を言われる以上、この分野に精通し尚且つ組織を運営する経験を十分に積んだ人物を起用して頂きたいのだ。私が何故そう言うのかは「専門家と言ってその分野に精通し、そこでも経験豊富な人物が必ずしも組織の長として本当に有能かどうかは別問題なのである。私はビジネスの場で有能と見込まれた専門家が昇進して「無能レベル」に到達した悲しい例を何度か見ているのだ。例に挙げては悪いが、近くは長妻昭氏の場合があった。

新聞辞令は既に麻生副総理と茂木外相の留任が決まったかのようだが、本当にそうならば手堅さは十分だが、新鮮味にはやや乏しいのかと感じてしまう。自民党の幹部は常に「我が党には有能な人材が幾らでもいる」と言われるが、如何なる因果か安倍内閣では改造される度に「デッドストック」(=不良在庫)の一掃セールかと思わせられた大臣が出て来た。私の密かな希望は「現在の内閣かの手の大臣を起用することなく、真の若き統率力ある専門家をその得意の分野に適材適所で起用して改革に邁進して貰うこと」なのだ。積み残され組には、この際「次に期待」して貰うことだ。


あらためて「我が国とアメリカの文化比較論」を

2020-09-15 10:01:25 | コラム
我が国は機会均等で平等か:

この度菅義偉氏が自民党総裁に選出された。菅氏は「秋田県生まれで農家の長男である」とあらためて述べられた。またマスコミ報道も美談扱いにしていた「集団就職で上京され、法政大学の2部のご出身だった」という誤報も修正した。地盤・看板・鞄の背景もない無派閥の菅氏が総裁(総理)になられることは、私が日頃指摘して来た「我が国が如何に機会均等で人を平等に扱っているか」を明らかに示しているかの、凄い実例であると思う。妙な表現になるが、これで野球の東京6大学の中で総理大臣が出ていないのが立教大学を残すだけになった。

ここで、私が機会均等でも平等でもないと看做しているアメリカはどうかと眺めてみよう。アメリかではトランプ大統領はIvy Leagueのペンシルバニア大学出身だがMBAを取得されてはいない。前任者のオバマ大統領はLL.D.(法学博士)の弁護士だった。だが、トランプ内閣でも中央省庁の長官と幹部、補佐官等々はほとんどがMBAが法律の博士号保持者である。即ち、そのよう地位にある者は富有層かアッパーミドル以上の出自の人たちだという事だと思う。中央の官庁の幹部は下から上がってくるのではなく、大統領が替わる度に入れ替わるのがアメリカ式だと理解している。

ここでビジネスの世界にも目を転じれば、アメリカの大手企業でも地位の上昇、職の安定・安全を確保する為には、今やMBAは必須だし、LL.D. 乃至はJ.D.の有資格者が多いのだ。尤も、私が転出したW社でも1970年後半にはその辺にMBAが幾らでもいた。我が国でもここ何年かは大手企業の会長・社長、役員というのか執行役員には大学院博士課程修了者かMBAが多くなっている。明らかに時代は変化したと。私は認識している。

これまでに何度か指摘してきたことで、アメリかではビジネススクールには入学までに4年間の実務経験が求められるようになってきた。即ち、我が国との違いである。そこでの2年間の学費は最低でも1,000万円/年を要するが、そこには授業料の他に教材費や寮費がかかる。寮費が必要な訳はアメリカ全土から遙か彼方の東部もIvy Leagueを目指すのだから当然だろう。法科大学院(Law School)もこの程度の学費が必要だろう。富有層の子弟でなければ、そこで学ぶのは大きな経済的負担だ。だから奨学金制度があるし、返済を滞らせてはならない学生ローンがあるのだ。

このアメリカの制度と比較すれば、深く考えなくとも分かることで、我が国の方が遙かに誰に対しても平等で言わば機会均等であると言えると思っている。卑近な例を挙げてみれば、昨14日の「夜報道1930」に出ていた立憲民主党(になるはずの党)の小川淳也氏は東大を出て総務省経由で衆議院議員になったのだが、自ら「パーマネント屋の息子」と名乗り、我が国の機会均等説を語っていた。それを言うならば、過去に故・田中角栄氏がおられたではないか。

余談の部類かと思うが、我が友YM氏はアメリカのビジネススクールで1週間1コマを受け持ち、その1度の(彼の場合は120分にして貰ったとか)の収入は1,000ドだったそうだ。即ち、2校を掛け持ちしていたのだから、年収にすれば10万ドル見当。何が言いたいかと言えば、これでは有名私立大学には裕福なというか、大手の企業の幹部の子弟が多くなるのは当然だし、その授業料が年間で5~7万ドルにも達する訳だということ。

私には我が国とアメリカの何れの制度と言うか文化が良いかは俄に断定できない。だが、我が国の文化から考えれば「明らかにその世界というか、アメリカの企業に身を投じていくのは向き・不向きがある」とは言える。少なくとも私はの場合はアメリカの会社の仕組みのお陰で61歳まであの世界で生き残れたのだと考えている。私は四大出身者で、修士号はなくてしかも外国人だから、出世できない為の条件が整っていた。アメリかでは中間層は「肩書きは貰えても地位の上昇はほぼ絶対にない」と承知で入って来ていると聞いた。聞けば、州立大学の4年制の出身者が多かった

最後に確認しておくと、私はこれまでに何度か「アメリカの大手企業がこういう世界だとは知らないで転出していった。迂闊だったかも知れない」と回顧した。だが、我々が大学の4年間を終えた頃には、ビジネススクール等があったかどうかすらも知らなかった。だからこそ、述懐していたことは「アメリカの会社があのような文化というか仕組みで動いていると事前に承知していたら、果たして転出しただろうか」なのだ。