新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月5日 その2 2020年8月の東京都新宿区の人口

2020-09-05 14:40:31 | コラム
20年8月も減少傾向が続き346,198人となった:

昨4日は35度と猛暑だったが、もう既に9月に入っているのにこの異常気象だ。その所為かあらぬか8月にも人口が減少し、対前月比△0.1%の346,198人になっていた。日本人は183人の減少で308.474人となり、その比率は△0.06%だった。外国人は対前月比628人も減り、その率は△1.6%で37,724人なっていた。彼等が区全体に占める比率も10.8%にまで低下した。これは7月の11.0%から更に落ち込んで、この記録を取りだしてから最低の比率となっていた。

だが、大久保通りなどに出てみる限りでは、日本語学校が3~4校は開校して大勢の留学生が出入りしているし、イスラム横町に群がる連中の数が減ったとは思えないのに、減少傾向が続くのは何故かと、素朴に疑問に感じてしまう。彼等は昨年12月から減少し始めて、8月までで5,459人にも達していた。一体全体何処に消えたのだろう。不思議な現象(減少?)である。イスラム横町のマスクの安売りには益々拍車がかかり、今では¥500/50枚一箱までの安値は珍しくないのだ。でも通行人は誰も見向きもしない。

先日、何ヶ月ぶりかで高田馬場駅前まで出掛けたが、そこには未だ「街」があった。日本人相手の普通の店があったのだ。だが、ここ百人町というか大久保通りを見れば、銀行の支店は皆無でATMのみ、洋品店、洋服屋、まともな書店、八百屋、魚屋、所謂スーパーマーケットはない。靴屋が1軒あったが、昨年末に店仕舞いした。即ち、我々日本人相手の店は全滅状態なのだ。私がこの街に移転してきた32年前とは大違いである。私はここまで異邦人に好き勝手をさせていて良いとは、とても考えられないのだ。改善すべきだが、区や都は現状を認識出てきているのだろうか。

我が新宿区は新型コロナウイルス感染者数では他区を圧して第1位の座を確保している。昨4日までの実績では2,562人と7月4日の2003人から559人の増加だった。これは東京都全体の感染者21,475人の19.3%となる。因みに、新宿区の感染者数が国全体の70,900人に占める比率は30.2%とかなり高いのだ。私は小池都知事には何時までも政府に刃向かうかの如きスタンドプレーを捨てて、30%を占めるような事態の改善に注力すべきだと言いたい。何時まで経っても標語を記載したカードを掲げるとか、怪しげな英語を使って都民を誑かすことを続けるべきではない。

参考資料:新宿区広報 令和2年9月5日号


アメリカにおける廃棄物(古紙やゴミ)の回収と再生の実情は

2020-09-05 10:39:19 | コラム
アメリかでの方式は州や地域によって異なるようだ:

昨4日に紹介したL氏の説明には我が国の資源ゴミの回収方式から見れば、「何だ、それは」と感じた方がおられるかと思うので、私の知る限りを説明しておこうと思い立った。簡単に言ってしまえば、我が国のように消費者の意識が高く、キチンと分別して廃棄するというか回収日に出す訳ではないのがアメリカであり、その方式なのだ。

L氏の表現ではやや穏やかに「それは一般の消費者が使用済みの紙も段ボール箱も他の廃棄物と一緒に捨てているので、リサイクルされていないことが多々あることだ。」となっていたし、この点を「意識が低く怠慢だ」とまで指摘していた。この方式は極端に言えば「ミソも○○も一緒にして」であり、生ゴミまで古紙と同じゴミ捨て場に放り込むことが許されている州もあるということだ。我が国の常識から見れば意外であり「アメリかではそんなことが許されているのか」と思う方は多いだろう。

私は2009年にカリフォルニア州のLAの空港の近くに滞在した際に、生ゴミを捨てようと思って館内を探したが、ゴミ箱が一箇所しかなく中を見れば何でも投げ込んであった。「エッ」とは思ったが、安心してそこに投棄した。これなどは極端な例だろうが、他の州では「紙のゴミも段ボール箱も瓶も缶も同じ場所に投棄し、それを回収業者が回収しそのまま製紙会社に納入する方式」がある。これは“One stream collection“と言われており、製紙会社で分別して古紙を再生して原料にするのだが、瓶や缶は専業者に売却して分別の経費を賄っているという我が国では想像も出来ない方式だ。

W社にはアメリカでも最大級の古紙を回収して自社の工場で再生すると共に社外にも販売していた事業部があった。この事業部の回収方式は印刷、紙加工、段ボール箱製造業者に大型の廃棄物を投入する容器を置かせて貰い、その容器を定期的に回収して自社の作業場で分別していた。だが、この事業は2007年だったかに段ボール原紙と製函の事業部と共に売却されてしまった。

古紙を回収して再生すると言っても、簡単なことではなかったというれ例を挙げておこう。私の在職中の1990年頃だったかにワシントン州知事が「牛乳パックと紙コップ等の使い捨ては資源の無駄で勿体ないから回収して再生せよ」と、我が事業部にその実験を半ば命令のような形で依頼いてきたことがあった。我が賢明なる副社長は「それが事業として成り立たないことを立証する」と知事に申告して、プロジェクトに取りかかった、州内に無数の回収箱を設けたし、工場に使用済みのパックやカップを持ち込んでくれる方には某かを支払って買い取ることも始めた。

ところが、その使用済みの紙製品(古紙)を分解して元の木材繊維に戻し(溶かすのではない)、洗浄して古紙パルプにする「パルパー」という装置がある。これは1日24時間、365日回っていないと、当然ながら採算が採れないのだ。いざ取りかかってみれば、採算が採れるまでに使用済みのパックやカップを回収する為には、州内では間に合わず、東はアイダホー州、南はオレゴン州を通り越してカリフォルニア州の北部までトラック走らなければならない事態が生じた。これでは運賃の負担が大きすぎて仕事にならなかった。

そこで、副社長は知事に「我々は古紙ではなく言わば古紙回収の輸送費を再生する結果になったので、プロジェクトを諦める」と申し入れて了解を取り付けた。即ち、使用済みのパックやカップが如何に優良な木材繊維を使っている紙であっても、その使用済みの容器だけを回収して再生する事業は成り立たないと、州の内外に知らしめたのだった。勿論、我が事業部としてはそのパルパー専用に組合員を3直4交替で配置する人件費の負担も生じるし、再生原料を配合して使える製品がなければならないのだ。因みに、牛乳パック用の原紙に古紙の配合は認められていない。