新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月6日 その2 カタカナ語は面倒だ

2020-09-06 17:00:34 | コラム
ゴルフ用語にも造語が多い:

先ほどまで「フジサンケイクラシック」という、今年最初のトーナメントだという男子のプロゴルフの中継を見ていた。私はゴルフの用語にはどう考えても造語だとしか思えない言葉が多いと思っている。実は、私は昭和33年(1958年)12月31日に何の準備もなくコースに出たのが最初で、1974年の4月で止めてしまった。しかも、アメリカで英語を使ってゴルフをしたのは、その1994年4月のフロリダでのラウンドが最初で最後だった。故にと言うか何と言うか、その用語のどれが英語でどれがカタカナ語化を知る機会もなかった。

中でも、最も気になっていた用語はと言えば「向かい風」を「アゲインスト」、「追い風」を「フォロー」と言い、ドライバーで打った場合にフェアーウエイにボールを置いたことを「フェアーウエイをキープ」と表現されていることだった。中でも凄いなと思ったのが解説者かコースに出ている「ラウンド・リポーター」(これも凄い造語だなと思うが)が向かい風になってきたときに「アゲて来ました」などと言う辺りだった。

私の知識では、国際線の飛行機に乗ると操縦士(キャプテン)が「本日は向かい風がきつくて」という時には“head wind”で、その反対は“tail wind”とアナウンスするのを聞いて覚えていただけだった。だから、ゴルフの中継で誰もが躊躇わずに「アゲインストの風」とか「風がフォロー」というのを聞かされて、如何にも単語帳的知識の表れかとは思ったが、敢えてアメリカ人にも誰にも質問したことはなかった。本日は先ほどカタカナ語を論じたばかりなので、敢えて検索してみると造語が多いと確認できた。

「フェアウエイ・キープ」も日本語だと思うが、これには幾つかの説があるようだ。その一つは“to keep the ball on the fairway”というのもあれば、“hit the fair way”としてあったのもあった。何れにせよ「フェアーウエイをキープ」は日本語だと確認できた。面白いと思った英語は「フェアーウエイ・キープ率」が“driving accuracy”だったこと。解説者の中にはアメリカでプレーした経験者が多いのだが、何故に彼等は造語ではなく、本当の英語のゴルフ用語で語らないのかと不思議に思っている。

一般社会のカタカナ語では「オン」だの「イン」だの「アップ」だの「ダウン」等かまるで動詞のように使われているが、ゴルフにも「グリーンにオン」や「ナイス・オン」というのがあるし、「カップ・イン」などというのがある。フロリダでプレーしたときにただ一つ覚えているのが「ナイス・ショット」の英語版で、“beautiful shot”と“beautiful golf shot”とアメリカ人が言ったことだった。これは“good shot”でも良いらしい。兎に角、カタカナ語製造業者はかなり昔からこの分野にも進出していたようだ。


カタカナ語(和製英語)の難しさ

2020-09-06 10:55:02 | コラム
本当の意味を確認しようと辞書を引かされる:

私はカタカナ語排斥論者だ。その私は後から後から出てくる新手のカタカナ語に惑わされて、その英語の単語の本来の意味は何だったかと、慌てて辞書を引くことが多い。最近の困惑は何処の会社のCMなのか全く記憶はないが「アフターフォロー」には参った。恐らく「アフターサービス」というカタカナ語の変形かと思ったが、「フォロー」(=follow)とはそもそもどういう意味だったか、またそこにはカタカナ語の「フォロー」と「アフターサービス」の意味があったかと、あらためてジーニアス英和で確認した。勿論、Oxfordも見た。

“follow”にはカタカナ語が意味しているだろう「誰々の言ったことを補足するとか、補足説明する乃至は追随する」という意味は当たり前だが発見できなかった。即ち、私は生まれて初めて“follow”という単語の意味を辞書で調べて、自分の理解で間違いなかったと確認したのだった。実は、カタカナ語に惑わされて、初めて辞書を引いた単語はこれ以外にもかなりあったのも事実だ。兎に角、カタカナ語製造業者は単語の知識が異常に豊富で、英語本来の意味を巧みに使うか、曲解して全くの新語を作り上げてしまうのだ。

この「アフターフォロー」の原形かと思わせてくれる「アフターサービス」も極めて巧妙に出来ていて、こういう英語の表現があるかと思わせるだろう。だが、こういう英語の熟語はない。私が2008年に発表した造語集では“service after sales”としたが、Weblio等では“after-sales service”か“sales”の他に“purchase”も使われていた。同様に「アフターフォロー」は何人かの権威者が“follow-through service”または“follow-up service”としておられた。だが、正直なところ、永年の英語の世界暮らしの中でも、見たことも聞いたこともない表現で「俺は浅学非才だったか」と反省。

このようにカタカナ語(造語)は敢えて言うが「人騒がせ」なのである。私は製造業者たちは我が国の学校教育の英語の問題点だと看做している「単語の知識」を十二分に学ばれた結果で、知識が豊富なのは結構だが、実用性を知らずに堅苦しい言葉や文語体であるとの認識もなく「コラボレーション」や「コラボ」などという言葉を恰も口語のようにカタカナ語化してしまったのだ。私は“collaborate”という単語があるとは承知していたが、実際に聞いたことも使った記憶もなかったので、慌てて辞書で意味を再確認したほど、日常的には使われていない言葉だった。

これなどは、そういう単語が実在しているので「語彙の広さ」というか奥行きを示すので実害はないと思う。だが、「ボリューミー」だの「スリッピー」だの「キャプテンシー」等は頂けない。これらは実在していないか、言葉の乱用か誤用だと思って辞書で確認せざるをえなかった。誰がどう使おうと構わないが、「これらを本当の英語だと思って会話などの中で使って欲しくない」のだ。「スリッピー」はOxfordにも“informal”とあるので未だ救いがあるが、「キャプテンシー」は「主将の地位」という意味であり、正しくは“captain ship”とすべきだ。

毎回同じ事を言っているが、私は遠からぬ将来「支持する」か「支える」という漢字を使った表現が消えて「サポート」が取って代わり、「チャレンジ」が「挑戦する」を辞書から消し去ってしまうかと危惧している。同様に「指導力」や「指揮」や「統率力」も「リーダーシップ」に取って代わられると恐れている。ところが、“leadership”には「指導者としての地位」という意味もあり、Oxfordではこの意味が最初に出てくる。ジーニアス英和でも同様。実は何を隠そう、私は今回初めて辞書で“leadership“の意味を調べたのだった。勉強になった。