新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月19日 その2 菅新内閣の大方針デイジタル化推進に思う

2020-09-19 15:01:47 | コラム
ドコモ口座から不正な引き落としが:

この預金を不正引き落とされ(?)の件は、スマートフォンを持たずデイジタル化についてのリテラシーが低い私には、何度聞かされても「納得」と言えるほど理解できなかった。本日は偶々昼食の時間中に中居正広の番組に出演して解説された専門家という三上洋氏の説明を聞いて「有効と言える対策と予防策はないようで、被害を被っているか否かはATMにでも行って通帳を打って見ない限り分からないのだ」と知って漸く納得した。

解らないままに言ってみれば「これぞ、文明の進歩は素晴らしいので世の中は便利になっていくものだ。だが、その便利さには『コインの裏側』というものがあって、この世に巣食う悪知恵の発達した連中の餌食なるという危険性と背中合わせである」という単純な原則を、これでもかと言うほど具現して見せているに過ぎないのだった。ドコモ口座という方式を編み出したNTTドコモは良いことをした積リだったのだろうが、あの会社に残っている役所体質というか驕りが、今日の失態を産み出したのだと思っている。即ち、「全てのコインには両面がある」を忘却していたようだ。

私は1997年頃に訳も解らずに、その頃引き受けていた仕事の都合上で携帯電話を買い入れた。目的と言うか動機は「公衆電話を抱えて歩いているよりはましだろう」と思った程度。ワープロが95年辺りから仕事の都合上で使い始めていたが、その機能の50%程度しか活用していなかったと思う。PCの導入は2003年だったが、これも仕事の必要上と単にワープロの寿命が尽きたからで、これこその内蔵する膨大な機能の1%しか未だに活かしていないと思う。要するに「アナログ時代」の生き残りである。確かにデイジタル化の進歩の御利益に少しだけあずかってはいるが。

それ故に、デイジタル化の進歩と発展と普及は推進すべきだろうくらいは認識できている。我が国が中国は言うに及ばず韓国にも後れを取っているようだとは聞かされている。菅新総理がデイジタル化を何としても推進せよと新大臣(誰だっけ?)に厳命されたのも分かる。でも平井卓也新担当大臣がデイジタル庁が出来るのは何年か先だと言われたのも気になる。そんなことで良いのかなと、我が大学を何年か後に出られた大臣が心配だと感じた。

一口にデイジタル化(推進)と言うが、私は何十年も前に統合されたように感じてしまう「みずほ銀行(日本興業銀行、第一勧業銀行、富士銀行)がシステムを統一するのに何度失敗し、何年かかったか」を見聞きするにつけても、省庁間の縦割りを統一するだけでも気が遠くなるほどの時間がかかりはしないかと、一人静かに危惧している。古い話で我がW社での出来事だったが、各事業部が独立性だった為に、何十年前だったかに給与計算のソフトがそれぞれ別個だったので36通りほどあったと聞いたCEOが激怒して、大至急で統一させたという一幕があった。

私は勿論デイジタル化音痴だが、デイジタル化の推進という仕事の一面にはこのような作業が待っていると思っているのだ。話は違うが、誰かが幼稚園は文科省、保育所は何処だったか別個のお役所等々という具合に縦割りになってしまっていることの是正が必要と言っていた。それを基に考えて、仮の話として例えばA省がF社、B省がMS社、C省がA社のOSだったらどうやって統合するのか、といったような問題が出てきそうに思えてならない。

即ち、懸念していることは担当大臣がIT乃至はITC化に精通しているかという問題なのかと思えるのだ。その三つ巴の状態を快刀乱麻を断つように、波風を立てずに長時間をかけずに別の会社のものにしてしまうとか、MS社に決めつけてみせるという類いの、豪腕が必要だと思えてならない。私はW社本社で給与を貰っていた訳ではないので、どうやって36種類を1本にした知らないし、みずほ銀行がどう解決したかを知る由もない。だが、平井大臣には大いに参考資料になり得るのかななどと密かに考えている。何れにせよ、彼は大変な役を仰せつかったものだと思うのだ。

アナログ時代の生き残りの私が何か余計なことを言うのは不適切かも知れないが、平井卓也大臣についての私の懸念材料は「全てのコインには両面がある」という大原則を十分に心得て、この難事業に取りかかって貰いたいという点だ。


小池百合子東京都知事を嫌悪し忠告する

2020-09-19 10:15:22 | コラム
これは悪口の積リであるが本気で諫めている積リだ:

今月に入って収まりかけたかのように見えた東京都の新型コロナウイルス感染者が、前週の平均を超えてしまったようであり、第三波を云々する声まで上がってきた。都民もだが「Go to トラベル」だかで都内に入ってこられるだろう方々も枕を高くしてではなかった、安心して旅行に出て良いかどうか判断に迷うかも知れない。私は既に何度も採り上げた理由で小池都知事の責任は重大であると非難すると同時に、小池都知事が大嫌いなので現在のウイルス征圧対策の効果上がってこないのは、彼女の失政の為であると断じている。

そこであらためて「何故小池都知事では駄目なのか」を嫌悪感と偏見に基づいて列記していこう。先ずは「スタンドプレーに走っている余りに、ウイルス対策に中身がないこと」を挙げたい。私はウイルスが人から人へと感染していく以上、小池さんもそれくらい承知しているだろうが、外食や外飲業界の営業時間を短縮させるくらいで収束できる訳がないにも拘わらず、「私はチャンとやっています」と見せる為に何度も自粛させ、大海に石を投げ込むような補償をして見せているのは、都民の税金の浪費であると断じる。そのプレーを毎度映し出して大袈裟に報じるテレビ局も同罪だ。

小池都知事はウイルス感染症に対しては、一般の都民と同様に何らの予備知識もなかったことは明らかだ。それにも拘わらず、責任感の発露か、見栄っ張りか、スタンドプレーか知らないが、実務に出しゃばりすぎだ。私が途中から悪口雑言の対象にするのを止めた西村康稔担当大臣は常に専門家会議に諮っていた。知ったかぶりはなかった。だが、小池さんは何でも「私が、私が」と出しゃばりすぎだ。都庁には実務を担当する医務官も事務処理の担当者もいるはずだ。ここはアメリかではないのだから、最高責任者が実務担当者の範囲に出てくるのは如何なものかと言いたい。

「見栄っ張り」と「ひけらかし」が多過ぎると批判する。その典型がカタカナ語と言うべきか英語擬きの濫用と多用を挙げておく。言って置くが東京都は日本国の一部であり、英語教育は誠にお粗末で、一般人はバラバラの単語の知識が無駄に豊富なだけだ。その一般人を相手にして「ロードマップ」だの何のと、アメリカの会社内でも普段滅多に使うことがない言葉を使って見せて下さった。我が家内などは最後まで何のことか分からずに終わった。「行程表」のように何故日本語で言わない。私には小池さんの英語力の底が見えているだけに、チャンッチャラおかしいとしか見えない。

何故国の方針に逆らって見せるのかが理解できない。この点はスタンドプレーの範疇に入るかも知れない。その反逆精神の発露の為に国というか、西村大臣の動きを混乱させたと思わせる局面が何度あったことか。お国の為にとっては要らざる動きであり、貴重な時間と国費を無駄に使ってしまう結果になったと思ってみていた。彼女はもしかして、二階幹事長の後ろ盾があるので、多少の無理も通せるのだと思い込んでいたのではないかと疑っている。

以上は新型コロナウイルス関連だが、都政の面でも小池さんに何か目新しい貢献があったとは思えない。就任直後の豊洲の移転延期では少なくともその投資額6,000億円の金利を何年分か浪費した。「資金の無駄遣い」というか「金利負担」の意味が全く解っていないようだった。石原慎太郎都知事時代には一般都民の竈に煙が立ち上がるような有り難い政策はなくシルバーパス代の引き上げだけが印象的だった。だが、小池都政では前記のマイナス以外に何の貢献もなく、ウイする対策に調整金の蓄えを使い切ってしまっただけしか目に見える実績がない。

菅内閣が誕生し、西村康稔担当大臣が引き続きウイルス対策を見て行かれるのであるから、ここらで小池さんの心を入れ替えて、都民の為にとお国の為に何とか貢献するような2期目の務めを果たして貰いたいものだ。これまで以上に英語擬きを使うようだったならば、私が都庁に乗り込んでも諫めたいとすら考えている。言って置くが「我が国の英語教育の水準は世界でも最低の部類なのだ」と認識すべきだ。気取って何か英語擬きを言われても通じないのだと認識せよ。