現時点での批判や論評は控えるべきだと考えている:
菅新内閣については飽くまでも本日報道されてい新閣僚の顔ぶれからのみしか何か言えないし、言うべきではないと思うが、私の見方を述べてみようと思う。
平均年齢が高いという意味で、ある噺家が皮肉った30~40歳台はいないのかと言ったのも、私に言わせて貰えば「394名だったかもいる国会議員の中で、その年齢層が畏れ多くも官房長官と1対1で語り合うとか、少人数でも寄り合って会食でもする機会が頻繁にあったとは考えにくいのだ。即ち、官房長官にそこまでの時間の余裕があったかと言うこと。従って菅氏の目の届く範囲は、年齢か当選回数の高い者か、あるいは副大臣乃至は政務官まで来た者くらいまでではなかったのだろうかと考えている。
また、平均年齢が高いことは必ずしも懸念すべき材料ではないのかも知れないのだ。それは人それぞれで、全てはその人となり、能力、知識と経験、意欲次第であるし、年齢的限界はその人によって異なるのだと思っている。我が国における平均寿命が伸びた以上、能力の成長の年齢も上がってきたと言えるのではないだろうか。換言すれば「個体差」があると思う。自分の例を挙げるのは恐縮だが、私が最後になった仕事をお引き受けしたのは70歳の時で、同時ににそれまで散々回避してきた使えるとも思っていなかったPCをも導入したのだった。
また、菅氏は7年8ヶ月も官邸におられて総理を補助し、国の内外の諸々の情勢に目を配って対応され、毎日2度の記者会見に臨まれていたのであれば、自民党の国会議員全員の人物・力量・専門分野までを詳細に把握されていただろうかと考え込んでしまう。ましてや、官僚の幹部を掌握しその人事も管轄しておられたのであれば、今回の閣僚の選択になったのも自然の流れかと思わせられたのだった。その選択が良かったのかどうかは、これから先に総理自身が全力を挙げて示されることだろう。
私は人事には公平、公正、平等であるべきだとは思うが、そこはそれ人がすることだから、好き嫌いが出てくるのは仕方がないことだと思っている。そういう例を自分でも経験させられたし、何も会社の中だけでもなく、運動部の中でも監督の好き嫌いで起用された選手もいれば、排除された者がいたというのも再三見聞してきた。外部からかまたは観客席から見て優れた人財だと評価した者が案外に内部では評価が低いという例も見てきた。例えば、私には西村康稔氏や加藤勝信氏は官僚独得の賢さがあって巧みに責任逃れをするのが好ましくないが、官邸からの評価は高いということもある。
また、田村憲久氏は厚生労働の分野には精通しているという評価があるようだが、テレビに出た場合には妙に多弁なのだが、何を言いたいのか理解に悩む語り口で困った。私は本当に理解していれば、説明に多くの言葉は必要としないものと考えている。その意味では評価し難い人物だった。仮令その道に詳しくとも、指導力や組織(官僚)を動かす力が不十分であれば、嘗ての民主党政権の長妻昭厚労大臣の二の舞となるかと危惧する。
菅新内閣については飽くまでも本日報道されてい新閣僚の顔ぶれからのみしか何か言えないし、言うべきではないと思うが、私の見方を述べてみようと思う。
平均年齢が高いという意味で、ある噺家が皮肉った30~40歳台はいないのかと言ったのも、私に言わせて貰えば「394名だったかもいる国会議員の中で、その年齢層が畏れ多くも官房長官と1対1で語り合うとか、少人数でも寄り合って会食でもする機会が頻繁にあったとは考えにくいのだ。即ち、官房長官にそこまでの時間の余裕があったかと言うこと。従って菅氏の目の届く範囲は、年齢か当選回数の高い者か、あるいは副大臣乃至は政務官まで来た者くらいまでではなかったのだろうかと考えている。
また、平均年齢が高いことは必ずしも懸念すべき材料ではないのかも知れないのだ。それは人それぞれで、全てはその人となり、能力、知識と経験、意欲次第であるし、年齢的限界はその人によって異なるのだと思っている。我が国における平均寿命が伸びた以上、能力の成長の年齢も上がってきたと言えるのではないだろうか。換言すれば「個体差」があると思う。自分の例を挙げるのは恐縮だが、私が最後になった仕事をお引き受けしたのは70歳の時で、同時ににそれまで散々回避してきた使えるとも思っていなかったPCをも導入したのだった。
また、菅氏は7年8ヶ月も官邸におられて総理を補助し、国の内外の諸々の情勢に目を配って対応され、毎日2度の記者会見に臨まれていたのであれば、自民党の国会議員全員の人物・力量・専門分野までを詳細に把握されていただろうかと考え込んでしまう。ましてや、官僚の幹部を掌握しその人事も管轄しておられたのであれば、今回の閣僚の選択になったのも自然の流れかと思わせられたのだった。その選択が良かったのかどうかは、これから先に総理自身が全力を挙げて示されることだろう。
私は人事には公平、公正、平等であるべきだとは思うが、そこはそれ人がすることだから、好き嫌いが出てくるのは仕方がないことだと思っている。そういう例を自分でも経験させられたし、何も会社の中だけでもなく、運動部の中でも監督の好き嫌いで起用された選手もいれば、排除された者がいたというのも再三見聞してきた。外部からかまたは観客席から見て優れた人財だと評価した者が案外に内部では評価が低いという例も見てきた。例えば、私には西村康稔氏や加藤勝信氏は官僚独得の賢さがあって巧みに責任逃れをするのが好ましくないが、官邸からの評価は高いということもある。
また、田村憲久氏は厚生労働の分野には精通しているという評価があるようだが、テレビに出た場合には妙に多弁なのだが、何を言いたいのか理解に悩む語り口で困った。私は本当に理解していれば、説明に多くの言葉は必要としないものと考えている。その意味では評価し難い人物だった。仮令その道に詳しくとも、指導力や組織(官僚)を動かす力が不十分であれば、嘗ての民主党政権の長妻昭厚労大臣の二の舞となるかと危惧する。