新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月22日の雑感

2020-09-22 09:58:40 | コラム
あれやこれやと:

時代考証:
一寸古くなった話題で恐縮だが、何処か外国の映画祭で賞を獲った「スパイの妻」という映画について一言二言。私は何で戦後75年を経た今日、あの頃のことを知る訳もない人たちがあの頃のことを映画にするのかと、奇異の感に囚われている、と言うか余り愉快ではない。特に時代考証がおかしいと思っている。この映画もその一部をニュースで見ただけだが違和感があった。終戦の年に中学生になっていた私の記憶では兵隊さんたちはあのように真新しいアイロンでも掛けたかのような軍服を着ていたのを見た記憶がない。但し、海軍の将校さんは今風に言えば「格好が良かった」が。

最も違和感があったのが高橋一生とか言う役者が妻と思しき女性と現代風の抱擁をしてた場面。あの頃に人目も憚らずにあのような行為をする人がいたとは到底考えられない。あの抱擁は戦後になってアメリカやヨーロッパの風俗・習慣が輸入されて普及したのだと思っている。いや、あのような女々しいことが許される時代ではなかったと思う。余所様の夫婦のことは知らないが、在職中に何百回(は大袈裟だが)となく海外出張していた昭和一桁生まれの私は、帰国して家に戻って家内にも家族にも「ただ今」と言うだけで、妻と熱き抱擁などすることを考えたことすらなかった。

理屈を言えば「時代考証がおかしくはありませんか」ということなのだ。それだけではなく、私は戦争反対論者でも何でもないが「あの時代のことを思い出さされたくない」のだ。戦争の悲惨さも十分に認識しているし、戦後のあの辛さも十分に経験した。この辺りは口で言っても聞いた現代人には実感を伴わないだろう。知らない人に戦時中のことを云々して貰いたくないのだ。

4連休中の人出:
新型コロナウイルスを恐れずに自ら「経済を回そう」という政府の努力に協賛する方々の熱意は解らないでもない。飲食店でも観光業者でも航空機会社を始めとする輸送業者でも活気づけてあげれば良いだろうと思う。だが、基礎疾患を抱えた超後期高齢者は未だ未だ御身大事を優先して、人混みの中に出ていく勇気は出てこない。昨日は偶々週末の後だったので、東京都内の感染者が二桁に終わったが、あの人出では後が怖いと思ってニュースを見ていた。すると上京されたという若い男性が「2週間後か怖いです」と語っていた。問題はそこだと思う。

重ねて言うが、問題はまさしくその一点にあると思う。あれほど出てきた人たちが果たして小まめに手を洗い、中には安全を期してマスクを二重にしているというような対策を講じただけで、未だ収束しきっていない「人から人への感染」を抑えきれるのだろうか。感染していても無症状の人がいると言われていることは「自覚症状なしに出歩いている者がいる」ということではないのか。悲観論者の私は未だ楽観論を許す時期ではないと危惧している。

野球:
とは言ってもNPBで、しかもセントラルリーグ関連だ。一昨日だったかDeNAが読売をホームランを確か4本も打って言わば打ち負かしていた。私は野球は好みの競技なので昔からよく見ている。そこには面白い原則の如きものがあり、トーナメントでもリーグ戦でも「前日に打ちまくったテイームの打線は翌日乃至は次の試合では沈黙する」のである。この傾向は特に甲子園の野球で顕著だが、プロにも通用する。事実、DeNAは翌日にはヒット3本で惨敗し、昨日も阪神にヒット5本で3点しか取れずに押し切られた。原則が当て嵌まったようだ。「打線は水物」という訳だ。

気になるのが、監督を替えた為かどうか知らないが、広島が気前よく負けてばかりいることだ。昨日などは途中で一寸見ただけだが、読売にヒットを19本も献上して惨敗していた。私はあの緒方監督の下に3連覇していた広島をここまで弱体化させたのは、何度か指摘したことで読売のブランドと予後の待遇に目が眩んで、FAで身売りした丸佳浩の責任であると思っている、いや、それに違いないと決めつけている。その結果が今日の状況になって、読売の独走状態でセントラルリーグの火を消してしまった。

丸は広島から脱走して4連覇を潰しただけに飽き足らず、「タナ・キク・マル」と賞賛された打線の田中と菊地の打力の連携に絆を断ち切って、不振に陥れてしまった。悪影響はそれだけにと止まらず、全日本の4番打者候補と評価されている鈴木誠也のやる気を削いでしまった。昨日の三振などは全くやる気が見えずに、明らかなボールに手を出していた。しかも打率も3割を切ってしまった。私に言わせれば「坊主憎けりゃ何とか」で、これ皆丸佳浩の責任である。「彼を甘言を弄して迎えいれた原監督の責任である」とまで言えば言いすぎか?