新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

大学の入学式の光景から学んだこと

2022-04-03 11:29:10 | コラム
我と我が身の時代遅れを痛感させられた:

やや旧聞に属するが、去る4月1日に東京の四谷にある上智大学校内のソフィアンズクラブ(卒業生が利用できるクラブ)を、昨年惜しくも亡くなった水曜会の主宰者篠宮良幸君を「勝手に偲ぶ会」を彼と縁のある3人で開催する為に訪れたのだった。因みに、篠宮君と私は同期生だった。私は最寄りのJR四ツ谷駅の改札口で畏メル友の故人とも親交があったRS氏と午後2時に待ち合わせをしていたが、RS氏と共にその改札口で「何事があるのだろうか」と悩まされた現象に出会った。

それは、次から次へと改札口をでてくる人たちが皆一様に黒い服を着込んで盛装していたこと。彼らは表通りに出る方向のエスカレーターと階段を上がっていくのだった。RS氏との推測では「あの方角では上智大学の向かいの土手に咲く桜でも目指しているのではないか」だった。だが、「それにしてはあの老いも若きも着飾っているのは何の為だろう」と訝りつつも、同じ方向に進んだ。

その道路から溢れんばかりの人の波は、我々の目指す上智大学の北門(とやら)に向かって進んでいった。我々2人もその中に紛れ込んでいくしかなかった。すると、その人たちは大学の構内に入っていくのだった。そこまでで我々も「もしかして今日は4月1日なので入学式では」と漸く気が付いたのだった。なるほど、入り口にはテントも張られ、警備員がその流れを誘導し、我々のその中の1人として構内に入っていった。構内の混雑もまた大変なもので、至る所に行列が出来ていたし、プラカードを持った多くの学生たちが何か叫びならが立っていた。

その中でも我々にとっては最も不可解だったのが、何故か内側に向かって立っていた「入学式」の看板に向かって長蛇の列が出来ていたこと。そこでは看板を挟んで写真を撮っていたのだが、被写体には年長者も混じっていた。RS氏と「何の為」と語り合いながら、何とか目的地の6号館に辿り着いた。クラブには教員でもあるTK博士は既に到着していた。そこで、先ずは彼に我々の疑問をぶつけてみた。そこで知り得たことは「間違いなく入学式の当日で、立て看板の所の列は親御さんと記念写真を撮る為に生じたので、今や入学式には親が来るのが普通の行事になっていること」だった。

そう聞いて、我と我が身の時代遅れを痛感させられた。21世紀ともなれば昭和一桁生まれの超後期高齢者には想像も出来なかった入学式の様式になっていたという時代の変化というか、新たな流れだった。後刻、家内とも回顧したのだが、現在では50歳台にある2人の息子たちの大学の入学式か卒業式に参加した記憶はなかった。また、クラブの中で初めてお目にかかる機会を得た名誉教授からも伺ったのは、今や入学式に親御さんも参加されるのは普通の事になっていて、構内の混雑を整理するのも大変なのだということだった。

我々夫婦には不幸か幸か孫がいないので、親御さんもお子さんたちの大学の入学式に参加することが、人生に於ける重大事となっている仕来りか習慣になっているとは知らなかったのだ。何れにせよ、私は時代遅れになっていただけではないのかと反省しつつ、5時過ぎにその新時代の賑わいを後にして退散したのだった。私とすれば、思わぬところで時代の変化を学ぶ機会を得て、幾らかでも時代遅れを解消する事が出来たと「4月1日」に感謝していたのだった。