新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

排斥するのはカタカナ語だけじゃない

2022-04-28 09:31:38 | コラム
私が嫌う日本語の表現:

カタカナ語以外にも「何でそんな言葉を使うのか」と言いたくなる日本語の表現も数々あるので、幾つか代表的だと思う例をあげていこう。

*足を運ぶ:
このような比喩的な表現が好みではない。「本日は悪天候の中を皆様が足をお運び頂きまして」のように言う人が多いと感じている。私は素直にと言うか簡単に「ご来場頂きまして」と言えば良いのにと感じている。「足を運ぶ」を物理的に考えると「自分の足を肩にでも担いでくるのか」となってしまうのだが。

*降板:
野球用語だ。そもそもは「投手がノックアウトでもされたか、制限された球数に達したので、救援投手とでも交代すること」のはずだった。それが何時の間にかマスコミ用語で「大臣が退任する」とか「社長交代」とか「辞職」を表す表現にされてしまった。苟も一国の大臣が退任する事を野球界の用語(隠語でも良いか)を使って表すのは不当であると言いたい。辞職や辞任や交替で何処が悪いのか。

ここで屁理屈を言おう。野球にはpitcher’s plate(投手板と訳したようだ)がある。このplateには「板」という意味がるとは思えないが、「降板」という熟語が作られてしまった。この他にpitcher’s moundがあり、そこには土が盛り上げられた場所があって、その中に投手板が埋め込まれている。投手が交代で降りるのはその盛り土からだ。だから、比喩的に言いたいのならば「降土」か「降山」となるのが理屈だったはず。

*口にする:
これも私が嫌う比喩的な言い方。広辞苑には「口に出して言う」とあるが、簡単に「言う」とか「述べる」だけで通じるじゃないか、何も回りくどく言わないでも済むのではないかと何時も考えている。「耳にする」や「目にする」もこの範疇に入ると思う遠回しな表現だ。

*続投:
これも野球用語だ。概ね「留任」か「辞職せず」という時に使われている。誰が使うのかと言えばテレビと新聞だ。矢張り「何で野球の言葉を使うのか。全部の日本人が野球用語に精通しているとは限るまい。素直に表現しろ」と言いたくなる。

*袖を通す:
これは最も嫌っている言葉の一つだ。理屈を言えば物理的に意味を為していない。「期待のルーキーが記者会見でユニフォームの袖を通しました」などと報道するのだ。私はこんな回りくどいことを言わないで「ユニフォームを着てみせました」か「ユニフォームを着用して記者会見に登場しました」で十分に表現できると思う。

何故、何処かで誰かが言い出したような表現を皆で猿真似せねばならないのか。陳腐だ。本来の意味は「~を初めて着る」と言うことだったものだ。

頬張る:
これも比喩的なのだろうか、私には如何にも古めかしく聞こえて陳腐だ。テレビでは屡々「食べている」事を表現したくて使われているが、本来は動物などが口いっぱいに詰め込んでいる状態を表していたはずだ。他人が見ている前でそういう食べ方をする人は少ないと思うが。

ユニフォームを脱ぐ:
これはカタカナ語の部類に入れて良いかも知れない。意味は「引退する」か「選手を辞める」なのだが、テレビも新聞も使いたがるようだ。同類に「マスクをかぶる」がある。これは「捕手に起用された」という意味だ。アナウンサーが野球の中継でこう言えば「キャッチャーに使われた」と誰もが理解するだろう。だが、「屋外では着用しなくとも良いか」と某大臣が発言したとかのface maskをかぶる人はいないと思うが、これでは屁理屈か。

この範疇に入れても良いと思う例が他にもある。先ずは

「サウスポー」(=south paw):
言うまでもなく「左利き」のことだ。これをアメリカ人たちとも話の中で使ったら「良くそんな古い言葉を知っているな」と褒められた?だが、テレビでも新聞でも野球でも何でも「左利き」の選手を「サウスポー」と呼ぶ。この語源は戦後間もなく聞かされた解説では「アメリカ南部から出てくる投手に左利きが多かったので」とあったが、Wikipediaにはそういう説もあったという程度の扱い。素直に「レフティー」か「レフトーハンデッド」にすれば良かったのじゃないか、じゃなかった「左利き」で十分だろう。

ポーカーフェイス(=poker face):
本来は「ポーカーで手札を読まれないように無表情を装うこと」と広辞苑にある。ところが、カタカナ語では「無表情」(=expressionless)を言いたくて使われてしまっている。何時でも無表情で顔色を変えずに出てくる選手が「手の内を読まれまい」としているはずはないと思うが。これは言葉の誤用の範疇に入ると思う。

何のことはない。結局はテレビと新聞の言葉の批判になってしまった。