新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

第6波が収まらないので

2022-04-22 10:35:24 | コラム
「ストレス」じゃなくて「フラストレーション」が溜まるよ:

本稿は主として私事を述べるのだが、暫くお付き合い賜りたい。

オミクロン株だかBA.2だか知らないが、第6波が高止まりして一向に収まらないのには、持病(何で基礎疾患なんて専門語を使うのか)を抱える超後期高齢者の欲求不満は高ずる一方である。「もうそろそろジム通いを再開して大きな風呂で寛いで気分転換をしたいのですが」と、去る5日の定期診察の日に国立国際医療研究センター(NCGM)の主治医に伺いを立ててみたところ「未だ危険である」と禁じられてしまった。

NCGMは言わばCOVID-19対策の本部のような病院なのだし、国立感染症研究所も同じ敷地内(だと思うのだが)にあることだし。詳細な信ずべき情報を持っておられると承知しているので、そこの医長先生の告知には従うほかないと思って素直に延期した、月内には6波は収束するだろうとの希望的観測で。だが、遺憾ながらそうとはなっていないのだし、専門家の中には「既に第7波が到来している」とまで言う方までおられる始末だ。また、当方は京橋の理髪店に行くのも昨年末から控えていて、長髪を靡かせて動き回っている状態だ。

もう3~4年ほど前のことになったか、藤沢で開催された高校のクラス会(とは言うが、我々は昭和20年の中学入学以来同じ学校に6年も通った仲間だ)に私と同じに東京から参加した者が冒頭に「85歳ともなると、これほど動くのが辛くなるとは思っていなかった。やっとの思いで日暮里からここまでやって来た」と叫んだのだった。誰も反論せずに頷いていた。

それが今となると「お前は杖を使わずにあるいけるのか」とか「矢張り、尿漏れパンツを履くようになってから楽になったが、」などと言う者が増えてきた。だが、あの叫びの後からは物故者はいないが、最早クラス会をやろうという声は上がっていない。残念だが仕方があるまい。かく申す私も、夕方になるとテレビが見にくくなるし、音声を聞き取りにくくなるので、眼科と耳鼻咽喉科とどちらに先に行くべきかと思案している。

そういう所に、President誌の5月13日号の笹井恵里子さんの「あなたVSコロナ第6波」を読んで「難しいものだ」と考え込まされた。要は「持病がある高齢者がウイルスに感染した場合の医師と家族の対処の難しさ」を指摘しておられたのだ。記事の中には別の病で手術の為に入院して感染した例が挙げられていた。そこには“triage”(ジーニアス英和には「緊急度による治療優先順位の選別」とあるフランス語だ)の問題と、延命治療や死に場所を病院か自宅を選ぶかという事が論じられていた。我と我が身に降りかかって欲しくない事柄だった。

ここで思わせられたことは「何とかして感染しないようにせねばなるまい」だった。現時点では国全体のこれまでの感染者の率は約6%、ここ新宿区では13%と国全体の倍以上の率なのだ。これでは無闇に「日常の行動範囲を逸脱しないように」との主治医の告知を守るべきだと思わずにはいられなかった。だが、楽しみであるジムに行けない、調髪も出来ないというのであれば、欲求不満が募るだけだ。だが、何とか御身大事の生活態度を維持して、90歳になった時に見える景色と世界がどんなものかが楽しみなのだ。

終わりには矢張り英語の問題を。マスコミの言葉の誤用とそれに釣られたかが「ストレスが貯まる」と気軽に言われ人は多いのだが、それは「欲求不満」を表す「フラストレーション」のことを言っておられるのだと思う。英語の“stress”は“pressure or worry caused by the problems in ~’s life”とOxfordにある。家に籠もって「圧力がかかるとか心配事」は生じないだろう。私はカタカナ語にした為に意味を取り違えたのだと指摘する。

「フラストレーション」とは「欲求の満足が阻止されている状態、それによって情動的緊張が高まる場合を言う」と広辞苑にあり、frustrationの訳語とある。マスコミに向かっては「カタカナ語にする前には英和辞典くらいひけよ」なのだ。実は、私も上記のように欲求不満状態なのだ。ストレスに苦しめられたのは在職中のことだった。