新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

岸田総理とその内閣に奮起を促す

2022-04-29 10:03:37 | コラム
アメリカで起きた現象は遅かれ早かれ我が国に波及してくる:

2,000年4月にリタイア後6年経ってから、アメリカを初めて“business”ではなく“pleasure trip”と出入国管理官に告げて入国した。何となく爽快感に似たようなものを感じた。この時は懐かしのシアトルからではなくサンフランシスコに入った。宿泊したのは、これも懐かしきハイアットリージェンシーだった。チェックインの時にリセプションのデスクに(カタカナ語にすればフロントだが)に“Video checkout”という小さな立て看板があるのを見た。「何の事かな」と思った程度で通り過ぎた。ここには一泊だけでシアトルに向かった。

室内でCNNでも見るかとテレビを点ければ、出てきた画面には「ここにその時刻までの費用が出るようになっているからチェック願いたい。チェックアウトの前にもチェックして誤りが無ければリモートコントロールで金額等を承認すればチェックアウトは完了する。明細と領収証が必要な方はヴィデオチェックアウトの看板のところで係員から貰うこと」となっていた。この前提には、チェックインの際にクレデイットカードを提示して番号を登録することがある。現代風に言えば「既にデイジタル化はここまで来ていたか」と感じた。

テレビを点けてあれば、嫌でもCMを見ることになる。22年前でも、多くのメッセージは「詳細は~.comに問い合わせを」で結ばれていた。嫌な感じだった。当時の私の捉え方は「なるほど。アメリカのIT化はもうここまで来ていたのか。この傾向が何れかは我が国にやってくるだろうな」だった。

このようなICT化の流れは止めどなく進みつつあり、印刷媒体が衰退に追い込まれるだろう事は明らかのように思えた。その流れはその通りに急速に進み、アメリカ最大の上質紙(我が国で俗に言われている模造紙のことで、業界用語では非塗工印刷紙)のメーカーだったウエアーハウザーは、2005年にこの事業部門をスピンオフさせて、印刷用紙事業から撤退してしまった。即ち、印刷媒体と印刷事業の将来に見切りを付けたのだった。アメリカと世界最大の製紙会社インターナショナルペーパー(IP)の印刷用紙からの撤退の発表は2007年だった。

ウエアーハウザーはこの時に矢張りアメリカ最大級だった段ボール原紙と函の事業をその将来性に期待して温存した。そして、周知のように通販というのかECというのか知らないが、COVID-19の感染拡大も手伝って段ボール箱の需要は伸びる一方で、世界各国で印刷用紙から段ボール原紙への転換が進んでいる。ところが、ウエアーハウザーはある株主からの圧力もあってこの事業をも手放してしまい、2010年代後半に完全に紙パルプ事業から撤退してしまうのだ。IPも同様で、最早アメリカ国内では印刷用紙は生産していない。

紙パルプ業界の素早く先行きを見通して惜しげもなくその事業から撤退する例を長々と語って来たが、この辺りが二進法的に物事を見極める恐ろしさなのだ。私はGAFAMがこのような製造業の先行きの危うさとアメリカの労働力の質の危うさを見切ったかどうかは知らないが、あのよう形態の事業の今日の成長発展に持っていった凄さを感じているのだ。何もアメリカを見習えと言いたいのではなく、ICT化というのかデイジタル化が世界的にここまで進んでしまえば、それに対応する経営の態勢を整えておいたら良かったのにと思うだけ。

カーボンニュートラルとやらの時代となって化石燃料が嫌わるのだから、EVが救世主の如き存在になるのは見えてきたのから、何らかの先手は打てた気がするのだ。菅直人が残した悪政の代表的存在である太陽光パネルなどに何時まで拘泥しているのかとも思うし、原発を無策で停止したままで、またもや計画停電かなどと言われていてどうするのかと言いたくもなる。先行きの見通しは難しいとは分かるが、世界を見渡せば「何時かはこうなってしまうだろう」との見本は沢山あるのではないのか。

出入国前後の隔離期間がどうのという問題もあるだろうが、今こそ海外に出て「そこで何が起きているのか」や「そこには如何なる変化が起きているか、乃至は変化の兆しが見えるのか」を見てくる必要がありはしないのか」と思うのだ。韓国や中国に先を越されてしまった分野が多々あるかのようなのも考え直すべき事ではないのだろうか。デジタル庁を設けたのも結構だと思うが、専門家を招聘するだけではなく、上に立って専門家を使いこなす人を選ぶのも肝腎ではなかったのか。

ここでも、「岸田総理、奮起して下さい。人から話を聞くのも結構ですが、ご自分の目で変化を見て来て下さい。何も日本版GAFAMを産み出そうというのではなく、新機軸を産み出せるような人とその基礎と環境を育てて下さい」と申し上げて終わる。


岸田総理、奮起して下さい

2022-04-29 08:28:14 | コラム
ウクライナが我が国を漏らしたのは国力の低下の象徴ではあるまいが:

ウクライナ政府が援助と支援に感謝を表す旨の動画を投稿した中に、またもやと言うべきか何と言うべきか、日本国が無かったのだそうだ。ウクライナ政府は後刻韓国と共に追加で我が国も入れたそうだが、何とも虚しいものを感じた。それは、湾岸戦争の後の2018年にクウェートが感謝を表した国の中に我が国が無かったのと同じような性質の出来事のように思えたからだ。

勿論、その背景には憲法云々で縛り上げられている(と言うか自縄自縛していると言いたい衝動に駆られるが)のもさることながら、専守防衛だとか、集団自衛権を発動しないとか、敵基地攻撃能力という名称が良くないとか、核心を外したような議論ばかりが横行している状態を「これでもか」とばかりに見せ付けられては、諸外国の目にも「日本国頼むに足らず」とか「日本の時代は終わっている」のように看做されるのではと感じられるのだ。

また、その状況のところに「何れはやってくるだろうと見ていた¥130台の円安が発生したのだ。私は¥130が何年振りかと騒ぎ立てるよりも、未だ先がありそうだと憂うるのが先だと思うのだ。現在のエネルギーに始まる諸々のコスト上昇による止むを得ない物価上昇、止まらないデフレ、上がらない(上げない)給与水準、防衛費の2%引き上げでもたつく自民党と国会を見れば、「円売り、アメリカドル買い」は当たり前過ぎる流れではないか。私には「国力低下」の表れのように残念至極に思えてならないのだ。

更に言えば、岸田内閣誕生後の6ヶ月間に国の内外の情勢で好転した案件は一つとして見当たらないのだ。この現象には岸田総理とその内閣に原因があるとは言わないが、ここまでに至ってしまう前に何か先手を打っておける事があったのではないかと言う気もするのだ。忌憚のないところを言えば、事が起きてから慎重に検討して対処するばかりで、モグラ叩きにもなっていなかったのではないだろうか。円安傾向に流れていくことなどは予め明らかだったのだから、何らかの手は打てた気がしてならないのだ。

先日語り合った某大企業の元副社長は、彼らの間では「アベノミクスの負の面が出てきてしまった」と見ているそうだし、「円安の流れは止まらないだろうし、ウクライナの動乱にも何時終わるのかの見通しが立たないと見られている」と、先行きの見通しは明るくないことを聞かせて貰えた。私には製紙業界では円安という環境下でも貿易面では出超となっているのは、苦しくても輸出に頼らざるを得ないほど内需が不振だということだが、この現象は他の産業界でも同じではないかと見ている。

元副社長氏は私が唱え続けている「経営者の質の劣化が今日に至るまでの景気の不振の一大原因」という説を否定しようとはしなかった。だが、彼の会社は多様化(現在流行っているカタカナ語では「ダイヴァーシテイ」か)が功を奏して順調だそうだ。

岸田総理、国力を盛り上げるよう奮起して下さい。