新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

私が20年以上も内側で経験したアメリカを語れば

2023-01-12 12:12:02 | コラム
ビジネスマンの服装学:

この話題は私以外に余り語った人がおられないのではと、密かに自負しているものなのだ。だが、アメリカでは現在はどう変わっているか想像も出来ないが、リモートだのオンラインの時代になってしまっては、最早出勤時や重要な取引先との会談にどんな服装で行くべきかなどと悩まなくても済むのではないかと考えている。ではあっても、折角彼らの世界での経験から学習した事柄を振り返ってみよう。

「ビジネスマン」などと書き出したが、私が在職中の1990年代でも既にアメリカはPC(パソコンではない、ポリテイカル・コレクトネスとやらの事)でbusiness personと言えなどとなっていた。

我が国ではほぼ常識として英連合王国(UKであり、イングランドはその一部に過ぎないのだ)こそが、紳士の国で会社員の服装についても厳格な決め事があると思われていたと思う。だが、アメリカのビジネスの世界を支配している階層の人たちに言わせれば「我が国の方がUK如きより遙かに厳格な決まりがある」となる。事実、私の経験の範囲内でもその通りだとなる。

私が最初に転進したMead Corp.は元はと言えば歴史と伝統に輝くニューヨークに本社を置くアメリカ紙パルプ産業界の第5位の会社だった。だが、ニューヨークの環境汚染を嫌ってオハイオ州デイトンに本社を移していた。アメリカでは東海岸に本社を置く企業の方が格式を重んじているので、Meadでは服装にも厳しいものがあった。

その中で習い覚えた表現に“over dress”と“under dress”があった。その意味は前者が「その場に相応しくない着飾り過ぎ」であり、後者は「その場に不適切なcasual(カジュアルではない)な服装」である。現実にMeadのパルプ部副社長は日本に出張してくるときにタキシードとエナメルの靴を持ってきて、得意先の社長に招待された夕食の時にはそのう服装で登場された。未だ未だ田舎者だった私は呆気にとられて見ていた。

表現を変えれば、正式な晩餐会に昼間のスーツ姿で参加する事など許されない世界で、最悪でもシルクのジャケット着用で、タイバー(「タイピン」ではない)にもカフリンクス(「カフスボタン」のこと)にも何らかの宝石が付いているのが望ましいのだ。という事は、昼間の仕事の会談の席にタイバーや飾りが付いたカフリンクスを付けて出るのは「場違い」の田舎者だと蔑まれかねないのだ。ネームかイニシャル入りのシャツも笑われる。スーツの裏地に名字等を刺繍するのは日本だけの習慣。

では、その決まりは何処から発生したかだが、「金融と財政の業界」即ち、ニューヨークのWall Streetが代表するようなfinancial districtなのだそうだ。このディストリクトはサンフランシスコにもあり、私はそこで1970代末期に「なるほど、こういう所だったのか」と納得する経験をした。

それは私が何気なく立ち入ってしまった高級鞄店に一分の隙もない服装の人がツカツカと入ってきて、物も言わずに200ドル300ドルだったかの革製のブリーフケースを取り上げたかと思えば、AMEXのゴールドカードで支払いを終えて颯爽と出ていってしまった。富裕な人がいる物だと感心して見ていた。

このような東海岸の会社から西海岸のウエアーハウザーに移って、何も服装だけではなく何事につけても緩やかになったなと痛感した。所が、これも早とちりだと直ぐに解った。それは「その事業部内の服装の規範(normで良いと思う)は原則では事業部長が決める事であり、担当者それぞれでまた違ってくるのだった。

私が本社事業部の若手MBAと一緒に工場に行くときに、スーツを着ていたら笑われてしまった。彼はセーター姿で「工場に行くときにそんな堅苦しい余所行きの服装であれば、場違いな奴と嫌われるから、少なくともネクタイは外せ」と勧告された。また、工場に常駐していた私よりも10最年長の初代技術サービスマネージャーはアメリカ国内を共に出張した際に、私が同じスーツを2日続けて着用しているのを見た途端に鼻をつまんで「そんな汗臭いスーツを2日も続けて着るとは何事か、着替えてこい」と怒鳴られた。

私が生涯最高の上司と何度も称えた副社長兼事業部長は4年制の州立大学出身者だが、その規範は強烈だった。即ち、「我が事業部にはジャケットに換えズボンという崩した服装で出勤する事は許さない。必ずスーツ着用で白いワイシャツ。もみ上げ(sideburns)を伸ばす事と髭は認めない。散髪は2週間に一度を最低とする」という具合で、私が本部に出張で入り、彼のオフィスに入ると「向こう向け」と審査されたのだった。

彼の主張は「我が社は苟も格付けがAAA(トリプルA)のアメリカの一流企業である。その社員足る者はその格付けに相応しい服装で行動すべきである」だった。副社長は事業部が成長し、社内での地位が上がっていくのに伴って服装にもブランド物が増えてきて、やがて一部の隙も無いアメリカのビジネスパーソンに変身していった。

ここまでは「ビジネスマンの服装学」のほんの一部に過ぎない。機会があれば、その聖典として崇められてきたJohn Molloyの“A New Dress for Success”(邦題「出世する服装」)にも触れていこうと思う。