新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

続・私が20年以上もの間に内側で経験したアメリカを語ろう

2023-01-15 08:04:21 | コラム
アメリカの支配階層から学んだ服装学:

彼らの中で20年以上を過ごしたお陰で「ビジネスマンの服装学」と「お洒落」は「同じ事では」と見ている方もおられるかと思うが、実は全く別の事であると悟った次第だった。確かに、お洒落の要素は十分に入っているが、それと規範とは別個な事であると言った誤りではないだろう。

アメリカのビジネスの世界の仕来りを知らなかった始めの頃は、ただ単に色彩感覚を豊富に取り入れるとか、ブランド物を着用するとか、ブランド品のロゴマークをひけらかす事がお洒落であり、一流のビジネスマンの証しになると信じていた。それは、例えば近くに寄って見れば直ぐにそれと解る、高価なフランスのHermes(「エルメス」だが、アメリカの発音は「ハーミーズ」だ)の多色で細かい柄が入ったネクタイを愛用するような事。

では、いきなり?John Molloyが説いた「出世する服装」の決め事を覚えている限り書き立ててみよう。先ず、「スーツから靴までは小物も含めて、同系色を一色と計算して3色以内に収める事」から始まる。しかも、スーツの色は当然上下揃いで「紺」(=navy blue)か「濃灰」(=charcoal grey)に限定され、茶系統は遊び着の色であり、10着も正統なスーツを備えれば手を出しても良いと聞かされた。

ワイシャツは「白」のみであり、それもオックスフォードでボタンダウンである事なのだそうだ。縞柄(ストライプ)などを着用すれば「サンドイッチマンか」と揶揄される。しかし、キャジュアル(casualの発音は「カジュアル」ではないが)な遊び着ならば色物も許される。ネクタイは3色以内の縛りに入る色しか締められなくなる。ここでも原則としては、ネクタイの表面にロゴマークなど見せてはならなくなる。

と言う事は「靴」は黒のみに限定されてしまう。そうなれば紐を結ぶ(lace up shoeと言うが)が基本になるが、私は着脱が面倒ではなくなる所謂「スリップオン」の靴を多用していた。ここまで来れば、靴下の色も完全に限定されて「黒」しかあり得ない。しかも、決め事はリブ織りなのである。これは実は楽な縛りで、靴下を買うときには「同じ物」を沢山買っておけば良くなるのだから。

決め事はここで終わりではないのだ。次に来る決まりは「スーツ」、「シャツ」、「ネクタイ」の何れか一つにしか「縞柄」を使えない事。この点だけはアメリカの幹部たちの中にも守っていない者が散見される。だが、我が国の政治家、経営者、学者、所謂専門家等々のテレビに登場される方々は、アメリカにはこんな決め事があるとはご存じないようだ。即ち、ストライプ入りのスーツにネクタイでワイシャツは「おかしい」と看做されるのだ。

次はアクセサリー。既に指摘してあった事。仕事の場面に何でも石が付いたタイバー(「タイピン」というのは誤り)や「カフリンクス」(=カフスボタン)は罷り成らんとなっている。宝石付きは夜の正式な宴会の場のみであるべきだそうだ。この意味は「値が張る宝石類を見せびらかすのは田舎者」という事のようだ。私はタイバーが表に見えないように着用していた。

アメリカ人の世界に入って不思議だった事は「スーツでもワイシャツでも名入り(personalizeというようだ)の習慣がない事。私はそうと知ってからは、スーツの裏地に名字かイニシャルを入れる事は止めた。だが、こうする事でかえって珍しい上着になってしまって、上着を脱いだ宴会の後などは「はい、名入りでないのは貴方」と直ぐに渡して貰えるようになった。また、「ポケットチーフ?」も必需品のようだ。

このような決め事というのか約束事があるので、アメリカの本部に出張するときは大変だった。私の在職中の1993年末まではトローリーケースのような便利な製品が存在していなかったので、スーツケースの他に最低でも2着のスーツ、多数の洗濯に出さずに済むワイシャツ、下着等々に2足は靴が入るガーメントバッグに加えて、必要な書類を詰め込んだブリーフケースを抱えて空港に赴くのだから。故に、空港でもホテルでも何処でも、荷物を運んでチップを貰うボーイという職業が成り立つのだ。

最後に、支配階層にいる幹部たちが週末や休日に外出する際の服装を簡単に語っておこう。これは上から“「濃紺のシングルブレストのブレザー」、「ブルー(青色)のシャツ」、ズボンは英語では「カーキ色」(=khaki)と呼ばれている色のチノパンか、灰色のグレーのズボン」”となるのだそうだ。私はアメリカ行きの飛行機に搭乗する際は、この形にしていたが、ジャケットはダブルのブレザーにしていた。ネクタイはシアトルに着いてから現地で追加分を調達していた。

これでも、簡単に纏めたつもりなのだが。後年、ジョン・モロイの翻訳本を読んで、彼が言う決まりと私の知識が殆ど合致していたので大いに安心したし「俺も捨てたものではなかった」と胸をなで下ろしていた。

なお、この服装学は何年前にも採り上げた事があったし、ラジオでも語った事があるので、「もう聞いた話だ」と思われた方はお許しを。