新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アマゾンの成長・発展・普及に思う事

2023-01-18 08:39:20 | コラム
アマゾンが時代を変えてしまったのでは:

つい先日、息子が手配してくれたことで、初めてアマゾン「置き配」を経験した。無闇に大きな段ボール箱だったが持ってみたら軽かった。中を開ければ大きすぎる箱に大量のざら紙を丸めて緩衝材にした品物が入っていた。当方は段ボール函には詳しい訳ではないが、アマゾンが常備していると思う既製品の箱に丁度良い大きさのものがなかったので、こうせざるを得なかったのだろうかと察した。

私のように旧世代に属して、70歳になってから止むを得ずPCを導入して仕事をするようになり、一昨年に一念発起してスマートフォンに切り替えたようなのでは、買い物とは予め市場価格を調査してから店に出向いて品物を見て触れて、宜しいと判断出来てから現金を払うという順序立てになっていた。しかしながら、ICT化やディジタル化が進んだというよりも、スマートフォン化がこれ以上ないほど普及した現在では、恰も世の中では通販が標準となってしまったかのようだ。

このPCにも息子が手配してアマゾンで買えるようになっているが、自分から積極的に買った品物は何処で誰が何時買っても価格が変わらないものだけにしか利用したことがない。しかも初めて書籍を買った際には不安なので何故か2回クリックしてしまい、現金引き換えで2冊配達されたときに慌てふためいた苦い経験から、益々億劫になってしまった。

だから通販は頼りにしないという訳でもなく、先日は部屋着のズボンが必要になって新聞の折り込み広告を利用して、B社に恐る恐る電話で頼んでみた。幸いだったことに寸法がこの小柄な私にもピッタリだったが、品質は矢張り値段に見合っていた程度だったと言えると思う。不見点(ミズテン)の買い物は難しいと再認識した次第。

上記のアマゾンといい、このB社もそうだがが、商品の配送が現在のような人手不足とエネルギーコストが急騰する時代にあっては、さぞかし大変なことになっているだろうなと思っている。「置き配」などという配達の手段が出てきたのも「時代だな」と痛感させられている。我が方と同じ階の30歳代未満と思しき夫婦の部屋のドアの前には頻繁に「置き配」が積み上げられている。

私はこのような業界だけに限られた問題ではないと思っている、重要な懸案事項がある。それは「輸送費」である。その昔、我が社の輸送部のマネージャーに聞かされたことだが「トラック配達には料率が定められており、配送業者はそれに従って荷主や配送先に運賃を請求すると定められているが、実際にはその料率表は『そこからどれだけ引くか』の交渉の基準になっている」そうだった。

荷物を受け取る側にすれば「運賃は無料」が最も望ましいのだ。だが、乗用車とは比較にならないほど高価なトラックを備え、税金の塊のようなガソリンを使い、運転手さんたちが満足してくれないような人件費をかける輸送業者は、常に苦境に立たされてきたと聞いてきた。話の筋は違うが、つい先日救急隊の方が17時間寝る間もなく緊急出動した結果で、救急車の転倒事故を起こしたと報じられていた。

品物を保護する段ボール箱業界も容易ではないのだ。段ボール箱の99%は配達された後は廃棄されて古紙業者の回収を待つだけになるだろう。その箱を作るのにも内容物の仕様に従って、難しいというか高度の品質が求められる。現在のように表が白い箱が普及すれば、美術印刷用の適性まで要求される。そうしていくつかの工程を経て出来た箱も、一度使用されれば用済みで廃棄だ。箱を購入される側は極力経済的な価格を求められるから、品質と価格競争は熾烈となる。

問題はそれだけではなく、消費者の方々にお考え願いたいことを解りやすく言えば「段ボール箱には既製品もなく、見込み生産もあり得ない」のである。例えば、テレビの新製品を開発すれば、そのテレビが入る箱はそれだけに使える容積になるし、重量に耐える原紙の強度も求められるし、表面の印刷などは予め刷り上げておくことなどあり得ないのだ。但し、上述のアマゾンの箱の場合は多種多様の規格を準備して、あの会社のロゴマークを印刷して準備しておくことは可能だと思う。

そこに、一昨日だったか朝のニュースで個人事業主としてアマゾンが委託している配送業者から配達を請け負っている女性がテレビ局のインタビューに答えているのを聞いた。彼女は自分の物だと見える軽自動車を使って配って歩くのだが、アマゾンが使っているAIが当日に配達する荷物を割り当てるのが「不可能」に近い量であると嘆いて見せた。当日の割り当ては200個で17時間、食事も休憩も除いて配達して20個が繰り越しになったと語った。

テレビ局側は「配達可能な量は」と尋ねると、答えは120個だった。画面ではアパートの外階段を駆け上がるとか、坂道を複数の荷物を抱えて走っていく場面が出ていたが、我がアパートでも日常的に見られる光景だった。ここまではアマゾンだけの話だが、通販はアマゾンだけではないし、宅配業界にはクロネコ、JP、佐川、西濃等々が鎬を削っているし、街に出ればUber Eats、Wolt、出前館等の自転車やオートバイが疾走しているし、ピザの宅配もある。

この様子には、終わりが一向に見通せないCOVIDの感染が拡大しているという如何ともし難い状況が影響していると思う。些か論旨を飛躍させたことを言えば、賃金を岸田内閣が要望する段階にまで上げて、零細な段ボール箱業者も十分に潤うように製品の価格を上げれば、通販業界や宅配業界は成り立たなくなってしまう危険性が生じるだろうし、商品の末端価格もそれに比例して高騰するだろう。

私は結局的には何も我が国だけに限られた問題ではなく、産業界というか経済の仕組みを落ち着いてジックリと考え直さねばならなくなってしまうと思う。私はこれまでに何度も「我が国では『駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人』という言い慣わしがあるが、何時の日か『草鞋を作ろうとする』がいなくなりはしないか」と唱えてきた。

その代替に発展途上国から技能修習生を輸入しようという仕組みも、何時かは破綻するのではないだろうか。私はこの辺りを捉えて「アマゾンが時代を変えた」と言っているのだ。