新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月31日 その2 「アジアの諸国の実情を知らなかったのだろうか」の改訂版です

2023-01-31 08:21:33 | コラム
マスコミはアジアの諸国の実情というか現実を知らなかったのだろうか:

私はマスコミが「広域強盗団の首魁がフィリピンのマニラの収容所から指令を出していたようだという、この近頃世間を非常に騒がせている広域強盗団の在り方を如何にも初めて知ったかのように報じている」のには疑問を感じざるを得ないのだ。では、何が疑問なのかと言えば、彼らはアジア諸国に駐在の記者(特派員では余りに時代感覚に欠けると思う)を置いているのだから、各国の治安というか安全保障というのかの実態を知らないはずはないと思うのだ。彼らは何らかの形で伝えておかなかったのは責められても仕方がないと思う。

私は海外の事情を経験するという点では多少晩生(オクテ)で37歳になった1970年に初めて東南アジアの4ヶ国に出張する機会を得た程度だった。なお、韓国には1971年に出張の機会があった。これらの出張で知り得たというか学んだことは「我が国ほど法律の規制を生真面目且つ忠実に守っている国はないのでは」だった。

1970年に2番目に入国したのがフィリピンで、事前にこの国独特の治安については聞かされていた。だが、マニラの空港に降りたときにはそれどころではない実情に驚かされた。それと言うのは、我々(貿易担当の大阪支店の課長が主役の出張だった)を出迎えに現地の貿易商が入国審査のゲートに来ていたからだった。そこには立ち入れないのだと聞かされていたのだった。

彼らにはマニラ市内ではなくマカテイーの高級ホテルに案内されたが、そこには自動小銃を持ったガードマンが立ち番をしていたし、警告されたことは「彼ら現地人の同行なくして絶対に外に出てはならない」だった。確かに恐ろしかったし「外国に来たんだ」とイヤと言うほど実感させられた。2日目だったかにかの有名な(?)Roxas Boulevardのナイトクラブに案内された時には、入り口に「銃器を持っている者はクロークに預けるように」と掲示されていたのには度胆を抜かれた。

何日目だったかの記憶はないが、現地の貿易商の社長の息子さんにマニラ近郊の「良い靴を作っているので有名な村」にも案内された。彼の顔馴染みの店で私は2~3足買ったのだが、その際に彼は堂々として「お客を案内したことに手数料を払え」と要求して何かを貰っていた。彼にはフィリピンの民族衣装である「バロンタガログ」をオーダーメード(本当は「カスタムメード」だ)しなさいと案内された。そこは彼の叔父の店だったか、そこでも躊躇うことなく手数料を取っていた。「文化」の違いには寧ろ感嘆しただけだった。

要するに「我が国以外では白昼堂々と金さえ払えば法的規制なんて」という文化(?)があり、多くの人はそういう行為に何ら矛盾も罪悪感も認識していないようだ」という事を現実から知り得たというか、学習したのだった。71年に初めて恐る恐る出張した韓国でも「法律という規則は守らない為にあるのかな」と何度も経験した。このコインの裏側は「我が国のように国民が生真面目に法律を守っている国は少ないのでは」だった。

では、「君が文化(実情)を良く知っているというアメリカはどうなのか」と尋ねられれば、「少なくともチップ(tip)制度があるではないか。これは金が物を言うことを示していると思う」と答えたい。勿論(と言うべきか?)アジアの諸国とは倫理観も道徳観も違うと思うが、次に興味深い例を挙げて解説しておこう。

それには、フットボール(確認しておくが、アメリカでは「アメリカンフットボール」とは言わない)のプロの有名なコーチが日本の大学を指導しにやって来たときのことを紹介したい。彼が真っ先に教え始めたことは「何処までプレーすれば反則に取られなくて済むか」だったのだ。即ち「ルールは守るべきだが、何処までやれば反則に取られるかの限度を知ってプレーせよ」という事を教えたのだそうで、学生たちは「文化の違い」にひたすら感じ入っていたそうだ。我が国では「反則は
 はするな」が大原則だろう。

ここでも言えることは「我が国では法律であろうとなかろうと『決められたこと』と『自分たちで決めたこと』はキチンと守るように努める」のは当然だと国民が良く認識できている。だが、一歩でも国の外に出れば、そうとはなっていないのである。その実例に、「看守に金を払えば云々」というかの国の収容所の実態があるのだが、それを今回初めて知ったかのように報じている感がある姿勢には「それで良いのかな」と思うのだ。

「そんな事は先刻承知だ」という海外の事情に精通された型は沢山おられると思う。私はマスコミこの機会に海外の実態というか「我が国との違い」をもっとより正確に伝えておくべきではなかったのかと思うのだ。そうすることで「グローバル化」だの「国際化」とは如何なることになってしまうかを、広く国民に知って貰うことになると思うのだ。

だから私は「無闇矢鱈に海外から人を入れない方が・・・」と主張するのだが、それだけでは説明不足だと言われる方は多いだろうと思う。テレビのニュースで時々出てくるが、交通法規違反で取り締まられた人の中に警察官に「幾ら払えば助けてくれるか」と願い出る者がいる。我が国の警察官には通用しないのだ。結局は「文化比較論」になるのだったが。

アジアの諸国の実情というか現実

2023-01-31 08:02:26 | コラム
マスコミはその実態を知らなかったのだろうか:

私はマスコミが「広域強盗団の首魁がフィリピンのマニラの収容所から指令を出していたようだという、この近頃世間を非常に騒がせている広域強盗団の在り方を如何にも初めて知ったかのように報じている」には疑問を感じざるを得ないのだ。では、何が疑問なのかと言えば、彼らはアジア諸国に駐在の記者(特派員では余りに時代感覚に欠けると思う)を置いているのだから、各国の治安というか安全保障というのかの実態を知らないはずはないと思うのだ。彼らは何らかの形で伝えておかなかったのは責められても仕方がないと思う。

私は海外の事情を経験するという点では多少晩生(オクテ)で37歳になった1970年に東南アジアの4ヶ国に出張する機会を得た程度だった。なお、韓国には1971年に出張の機会があった。これらの出張で知り得たというか学んだことは「我が国ほど法律の規制を生真面目且つ忠実に守っている国はないのでは」だった。

1970年に2番目に入国したのがフィリピンで、事前にこの国独特の治安については聞かされていた。だが、マニラの空港に降りたときにはそれどころではない実情に驚かされた。それと言うのは、我々(貿易担当の大阪支店の課長が主役の出張だった)を出迎えに現地の貿易商が入国審査のゲートに来ていたからだった。そこには立ち入れないのだと聞かされていたのだった。

彼らにはマニラ市内ではなくマカテイーの高級ホテルに案内されたが、そこには自動小銃を持ったガードマンが立ち番をしていたし、警告されたことは「彼ら現地人の同行なくして絶対に外にではならない」だった。確かに恐ろしかったし「外国に来たんだ」とイヤと言うほど実感させられた。2日目だったかにかの有名な(?)Roxas Boulevardのナイトクラブに案内された時には、入り口に「銃器を持っている者はクロークに預けるように」と掲示されていたのには度胆を抜かれた。

何日目だったかの記憶はないが、現地の貿易商の社長の息子さんにマニラ近郊の「良い靴を作っているので有名な村」にも案内された。彼の顔馴染みの店で私は2~3足買ったのだが、その際に彼は堂々として「お客を案内したことに手数料を払え」と要求して何かを貰っていた。彼にはフィリピンの民族衣装である「バロンタガログ」をオーダーメード(本当は「カスタムメード」だ)なさいと案内された。そこは彼の叔父の店だったか、そこでも躊躇うことなく手数料を取っていた。「文化」の違いには寧ろ感嘆しただけだった。

要するに「我が国以外では白昼堂々と金さえ払えば法的規制なんて」という文化(?)があり、多くの人はそういう行為に何ら矛盾も罪悪感も認識していないようだ」という事を現実から知り得たというか、学習したのだった。71年に初めて恐る恐る出張した韓国でも法律という規則は守らない為にあるのかな」と何度も経験した。このコインの裏側は「我が国のように国民が生真面目に法律を守っている国は少ないのでは」だった。

では、「君が文化(実情)を良く知っているというアメリカはどうなのか」と尋ねられれば、「少なくともチップ(tip)制度があるではないか。これは金が物を言うことを示していると思う」と答えたい。勿論(と言うべきか?)アジアの諸国とは倫理観も道徳観も違うと思うが、興味深い例を挙げて解説しておこう。

それには、フットボール(確認して置くが、アメリカでは「アメリカンフットボール」とは言わない)のプロの有名なコーチが日本の大学を指導にやって来たときのことを紹介したい。彼が真っ先に教え始めたことは「何処までプレーすれば反則に取られなくて済むか」だったのだ。即ち「ルールは守るべきだが、何処までやれば反則に取られるかの限度を知ってプレーせよ」という事を教えたのだそうで、学生たちは「文化の違い」にひたすら感じ入っていたそうだ。

ここでも言えることは「我が国では法律であろうとなかろうと『決められたこと』と『自分たちで決めたこと』はキチンと守るように努める」のは当然だと国民が良く認識できている。だが、一歩国の外に出れば、そうとはなっていないのである。その実例に、「看守に金を払えば云々」というかの国の収容所の実態があるのだが、それを今回初めて知ったかのように報じている感がある姿勢には「それで良いのかな」と思うのだ。

「そんな事は先刻承知だ」という海外の事情に精通された型は沢山おられると思う。私はマスコミこの機会に海外の実態というか「我が国との違い」をもっとより正確に伝えておくべきではなかったのかと思うのだ。そうすることで「グローバル化」だの「国際化」とは如何なることになってしまうかを広く国民に知って貰うことになると思うのだ。

だから私は「無闇矢鱈に海外から人を入れない方が・・・」と主張するのだが、それだけでは説明不足だと言われる方は多いだうと思う。テレビのニュースで時々出てくるが、交通法規違反で取り締まられた人の中に警察官に「幾ら払えば助けてくれるか」と願い出る者がいる。我が国の警察官には通用しないのだ。