新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月29日 その2 木原誠二官房副長官は態度が悪いのか

2023-01-29 13:23:33 | コラム
脚を組みポケットに手を入れるのは:

時事通信は「岸田総理の側近には・・・」と、私が取り上げた疑問点を報じていた。その中で木原誠二官房副長官の態度は動もすると傲慢と見られがちで、特に他人様の前で脚を組むことが非礼であるが如くに扱われていた。その脚を組むことについて木原氏は「欧米では一つの流儀」と回答。」と答えたそうだ。

私はこの「脚を組むこと」については、ウエアーハウザーで私より1年後にA総合商社から転進してきた、業界で鳴らした腕利きで、非常に英語力が高いことで知られていたニューヨークとカナダのヴァンクーヴァーで合計10年ほども駐在経験の持ち主のF君が示したことを取り上げたい。

それは、彼が本社のマネージャーがお客様の目の前で脚を組んだことを厳しく叱責した言うなれば驚きの出来事だった。私は今でも鮮明にその時の様子を覚えている。因みに、F君の営業マンのマナーついての持論では「お客様の面前で脚を組むべきではない」となっていた。

そのF君の上司に当たる本部の(アメリカ人だが)マネージャーが、そのFルールに違反して高々と脚を組んだのだった。彼は憤然とした表情で立ち上がったかと思えば、上司に歩み寄りその組んでいた脚を持ち上げて床に叩きつけたのだった「このお客様はあんたの汚い靴の底を見に来られたのではない。何度言えば解るのだ」と言って。一同呆気にとられたが、何とかその場は何事もなかったかのように話し合いが進んだ。

私はこの「脚を組む姿勢」がアメリカやヨーロッパの企業社会においては「マナー違反」なのかどうかは確認したこともなかったが、海外駐在経験が長い彼が許さないのでは「宜しくないと認識されているのか」と考えるようにしていた。

だが、アメリカのビジネスマンたちはこの点には無頓着のようだし、我が国の方々は絶対と言って良いほど商談の席で脱ぐことはない上着(jacket)を「さー、始めよう」とばかりに脱いでしまうし、ワイシャツの袖をまくって(Let’s roll up the sleeve”)と勢い良く交渉を始めるのだった。

実は、私よりも1歳年下のF君は既に故人だが、彼に木原誠二官房のマナーを診断して貰いたかった。


蔦の絡まるチャペルで賛美歌を

2023-01-29 08:22:55 | コラム
近頃の大学の評判を考える:

私はBS TBSが土曜日の朝4時45分から流す「名曲ミニアルバム」を好んで見て(聴いて)いる。その訳はコーラスをする(流行歌手たちとは違って)キチンと発声の勉強をした男女の規律正しい歌い方が好ましいのと、我が国古来ではなかった、大正から昭和の良い歌を歌っている人たちの無我の境地に入ったというの、あるいは恍惚とした表情に魅せられているからなのだ。

その「名曲ミニアルバム」では、昨日故ペギー葉山(青山学院高校出身)が歌ったので人気が高かった1964年の曲「学生時代」が出てきた。これは平岡精二が作為作曲していたが、何十年振りかでこの歌詞を聴いて「なるほど、青山学院大学が高校生の間でも社会人を調査しても、非常に人気も評価も高い訳は、多分この辺りにあったのではないか」と想像していた。

それと言うのも、歌詞には「蔦の絡まるチャペルで賛美歌を歌うような大学の時代」を語っているのだったからだ。青山学院大学は、小室圭氏の母校である国際基督教大学(ICU)、立教大学、聖心女子大学、フェリス女学院大学、白百合女子大等々と同じの所謂「ミッションスクール」だからではなかったかと考えた。他にも多くの大学はあるかと思うが、書き漏らしてていたらお許しを。

我が国では屡々皮肉屋さんたちが言うように「生まれてからお宮参りをして、神社仏閣に初詣をして、キリスト教の教会で結婚式をして、亡くなれば仏教の僧侶に導師をお願いしてお葬式」なのである。テレビなどを見ていれば、芸能人とやらや一般の方々はホノルルに飛んでプロテスタント(だろう)教会で牧師の前で永遠の愛を誓う式を挙げるのだ。

私にはそういうキリスト教のチャペル(とは付設されている礼拝所のことで、教会ではないと思うが)や賛美歌を聴き、純白のドレスをまとい、指輪を交換し、キスをするキリスト教の文化(で良いと思うのだが、間違ったら御免)に憧れを持つ若い人が多いのではないだろうかと思えるのだ。

私は世間様でミッションスクールだと思われているような上智大学出身だが、在学中に神父の教授たちから「ミッションスクールではありません」と聞かされていたし、在学中に別段蔦も絡まっていなかった隣接するイグナチオ教会には1度入っただけだった。賛美歌を英語で何というかも知らなかった。だから、青山学院大学他のミッションスクールでどのような教育がなされているのかも全く知らない。

私には「世間というか我が国には西欧諸国文化と文明及び、そこに広まっている宗教であるキリスト教に対して有形・無形の憧憬の思いか念があるのではないのか」と感じさせられる何かが、ミッションスクールにはあるのではないかと思えてならないのだ。それに、美しく知性高き女子アナウンサーや芸能界には青山学院大学や立教大学出身の垢抜けした人が多いので、「スマートで知性も教養も身に付く大学」と評価されるのではないかなどとも考えている。

論旨は飛躍するかも知れないが、高校生や世間の人々がそのようにキリスト教やミッションスクールを高く評価しているのだから、青山学院大学に対する高い評価が生まれてきているのではないかと思うのだ。現に、それかあらぬか、偏差値を調べてみれば今や四大私立大学に広栄にも入れて頂いている我が母校と青山学院大学も立教大学も同じような範囲に収まっているのだった。

要するに当方の好みではない「イメージ」というカタカナ語を使えば、私の見方は全くの誤りかもいるかも知れないが、ミッションスクールがキリスト教を背景にして評価が高くなるのではないかと思いながら「学生時代」を聴いていた。