帝京大学が勝って安心した:
私の偏見ではないかと思われそうな話になるかも知れないが、昨8日は帝京大学対早稲田大学の決勝戦をやや緊張して見ていた。と言うのは、既に見てあった準決勝戦2試合の結果では、どう考ええても帝京大学の圧倒的優勢は動かないと思っていた事と、私自身が早稲田大学のラグビーのファンではないからである。
それだけではなくて、新聞やテレビの論調は、対抗戦では帝京大学にも明治大学にも負けて3位に終わった早稲田大学が奮起して王座を取り戻す壮烈な戦いに期待しているかのようだったから。私はそうとは見ていなかったが、そうなってしまうかも知れない早稲田大学の運動部の「精神力の強さ」を、70年以上もの昔から見てきたからだ。
ここからが私のNHK他の報道機関に対する偏見というか反感とも言われそうな考え方で、彼らは「ラグビーを何ものにも優る勇壮で男らしい紳士のスポーツ」であり、特に伝統ある早稲田大学対明治大学の対戦を(私に言わせれば異常なほど)尊重するのだ。彼らは既に発祥の地であるUKでは「死語」にも等しいと聞く“No side!”を未だに必ず試合終了と同時に叫ぶのだ。
しかも、この試合は何故か改装前から秩父宮ラグビー場ではなく、構造上インゴールが狭くなってしまう国立競技場で開催し、NHKに至っては地上波で中継放映するのだ、フットボールの甲子園ボウルもライスボウルもBSなのに。これが差別でなくて何が差別待遇か!と私は憤慨している。
と言うような次第で、私は筑波大学から11本ものトライを獲って所謂「ワンサイドゲーム」(英語は“one-sided game”だが)で鎧袖一触だったのをよく見てあったし、ラグビー界では「東高西低」の傾向があるにも拘わらず、関西で優勝した京都産業大学に辛勝した早稲田では、帝京が何本のトライを取って勝つかが私の興味と関心の対象だった。
だが、私は最大の問題点は「永年見てきたし、サッカー部の大先輩たちからも聞かされてきた早稲田魂というか、『ここという時に、それほどの底力があったのか』と感嘆させられる精神力の強さが何時爆発して、最近マスコミが好んで使い始めた“giant-killing”を成し遂げて観客を魅了するのでは」だと思っていたから。その「メンタル」の強さは、対戦相手との技術力乃至は体力の差など、見ている間にひっくり返して勝ってしまう凄さがあるのだ。
その辺りはNHKのアナウンサーたちが常に「流石、早稲田のラグビー」と賞賛する「ゴールラインを背にしたときのディフェンスの強さ」であり、如何なる不利な形勢でもものともせずに逆転する精神力(技術でもスキルでも無い)の強さなのである。
古き良き時代の昭和27年だったかの例を挙げておけば、サッカーのリーグ戦で言わば優勝決定戦となり圧倒的に有利と誰もが予想した慶応大学と対戦を全員で「我々は劣勢だし慶応よりも下手だが、全員で持てる力を限度一杯に発揮して勝って見せよう」と固く誓い合って、全日本代表級の慶応大学の主力選手を抑えきって見事に圧勝して見せた」のだった。
その辺りの凄さを、大学1年生から試合に出ていた高校の一期上のOさんから「まさか、俺たちが勝つとは思っていなかっただろう」と、試合後に胸を張って聞かされていたのだった。
私は「この早稲田魂というのか精神力が、何時如何なる形で帝京大学の技術と戦略と体力を凌駕しないという保証はない」と怖れて見ていたのだった。事実、前半の早いうちは早稲田大学の「強さ」が表に出てトライ1本分のリードさえして見せたのだった。形勢も互角な試合だった。
だが、帝京大学は焦りを見せずに着々と技術だけでなく、スクラムでは身体能力の強さまで存分に発揮して、筑波戦と同様に11本のトライを奪い取って73対20の決勝戦史上最大の得点で決着してしまった。11本のトライとは実に7分半に1本のトライを取っていたという意味だ。だが、早稲田魂はここでも遺憾なく発揮され、10本取られた後でも試合を捨てていなかったので、自陣からの帝京のパスのインターゼプションでトライを取り返して見せたのだった。
無情な言い方をすれば「早稲田大学の精神力を以てしても、帝京大学ラグビーの鍛え抜かれた強さには勝てなかった」とでもなるだろう。手に汗握るような試合展開ではなかったが、私には「帝京大学が大量得点にも慢心せずに何本でもトライを取ろうと手を抜く事無く最後までやり抜くかと、早稲田大学が試合を捨てる事無く最後までトライを取ろうとする努力するか」を80分間見せて貰えた、素晴らしい試合だった。私の期待は外れていなかったのだ。