時代が変わったのだと痛感:
近年は言葉の使い方が変わってしまったと痛感させられることが多い。私は余り好ましい現象だとは思っていない。そこで、今回は何がどのように変わってしまったかの例を思いつくままに幾つか取り上げてみよう。だが、その変化を追いかけてみると、細かいことを言っている自分が時代に遅れていると非難されそうだと懸念している次第だ。
最高!!:
昨夜のW杯バスケットボールの順位決定戦での我が代表の精神力というか執念の勝利を先ほどブログに取り上げたのだが、その勝利を「素晴らしい」とか「凄い」とか「何と形容したら良いか」のような表現は浮かんできたのだが、今時の人たちというかスポーツ選手たちが勝利した時の気持ちを表すか、テレビタレントどもが「素晴らしい」と言いたい時には必ずと言って良いほど叫ぶ「最高」には、全く思いが至らなかった。
私はただ単に「最高」と言っただけでは、具体的に何を表現したいのかが解らないと指摘する。もしかして「嬉しかった」のか「気分爽快」なのか「自分を褒めたい」のか「テイーム全体の凄さ」を言いたいのか「演技が素晴らしい」のか「歌唱力が抜群だった」等々が汲み取れないのだ。言い方を変えれば「表現力不足」であると同時に「何かを表現するに足るような語彙が備わっていないのか」の何れか、あるいは両方かと受け止めている。国語力の劣化ではないか。
これなどは「言葉は耳から入るのか、入れるのかが最も覚えやすい」と私は信じている良くもあり悪くもある例だ。だからこそ「英語を音読すれば、自分の声であっても頭と耳の中に残り記憶される」のである。「最高」などはテレビを見ていて人気タレントやプロ野球の有名選手が使えば、それなりの影響力があるので、「あの人が使った表現だから、自分でも」となるのだと推察している。子供たちには真似て欲しくない語彙だ。
~させて頂く:
これは思い起こせば、10数年前に流行りだした言い方で、当時「頂門の一針」の主宰者・渡部亮次郎氏が「イヤな物の言い方だ」と嫌悪感を示されたのが忘れられない。また某私立大学教授のKS氏が「二重敬語である」と指摘していた。この言い方は遍く普及してしまっているのが残念なのだ。私が特に困ったことだと感じていることは多くの大臣や国会議員たちが、有権者に阿っているのか、謙っているつもりなのか、多用する傾向があること。私は彼らの無教養さの証拠であると決めつけたい。
例えば「この度立候補させて頂きました何の某で御座います」と言いたがるのだ。有権者の前で謙って「謙虚な候補者だ」とでも印象づけたいのだろうが、私はこのような言い方は採らない。素直に「この度立候補致しました云々」で充分意のあるところは伝わると思う。罪なき有権者は「おらが村の先生は謙虚なお人柄だ」と尊敬して「我々も使わせて頂きたい言い方だ」となってしまうだろうと懸念している。
寄り添う:
近頃屡々聞こえてくる好みではないと言いたい言葉なのである。広辞苑には「ピッタリとそばへ寄る」としか出ていない。だが、現実には言わば拡大解釈されて「相手の気持ちになって考える」、「共感する」、「相手と自分の主張を同じにする」という意味に使われているようだ。「それならそうと、そう言えば良いではないか。元の意味を勝手に変えて格好をつけなさんな」と言いたくなってしまう。
何これ!?:
芸人たちや現代の若者は「何これ!」で「素晴らしい」か「非常に優れている」か「非常に良く出来ている」か「品質が高い」とか「とても美味である」に変えてしまっている。いや、代用していると決めつけて良いと思う。「最高」にも似ている表現力不足の言い方であると思う。キチンと具体的に表現して欲しいものだと、何時も残念に思っている。一種の感嘆詞なのだが、国語力不足の現れではないか。
ヘリ:
言うまでもないと思う「ヘリコプター」のこと。テレビでも新聞でも「ヘリコプター」と全部言うか書き記すことは希である。私はおかしな現象だと思う。新聞の場合には「ヘリコプター」では字数が多いので省略するのは解る。だが、テレビの場合に「ヘリコプター」と全部言ったところで「時間が押すか」ということ。何も短縮することなく普通に「ヘリコプター」と言っても良いのではと批判したい。因みに、アメリカでの略称は“chopper”で“heli”なんて言わない。
同様に現在W杯での我が代表の活躍で人気が盛り上がっている「バスケットボール」を「バスケ」とテレビでわざわざ短縮して言い表す必然性はないと思う。私は「アメフト」という言い方も気に入らないのだ。アメリカには「アメリカンフットボール」などないのだし、「フットボール」で良いじゃないかと言っておく。それは「アソシエーションフットボール」が「サッカー」、「ラグビーフットボール」が「ラグビー」で通用しているのだから、アメリカ式に「フットボール」で十分だと思うが如何か。