彼らの戦略は巧みだった:
昨7日の4時間にも及んだという記者会見は何らの具体的な成果が上がる訳がないと知りつつも、途中まで見てしまった。見ていて脳裏に浮かんだのは「何にもなっていないじゃないか、この狡猾な奴らめ」を表す、ここには書けない品格を疑われるような英語の言葉だった。それが何だったかはご想像に任せる。
だが、テレビも新聞も何を思ったのか、あるいは未だにあの事務所の報復でも恐れているとしか私には思えない綺麗事の報じ方だった。「あー。矢張りこうなったか」と、またまた我が国のマスコミの程度を嘆かせられた。私に言わせれば「ジャニーズ事務所は見事にひらりと体を交わして見せただけのショーだった」のだ。何故、こんな風に批判するかを以下に述べていこう。
第一に、藤島ジュリー景子氏なる故喜多川某氏の姪御さんは、シレッとして「社長を辞任して、後の処理を考えて代表取締役に止まる」という詭弁を吐いた。何処かで弁護士さんが「商法では取締役だけしか存在せず、社長や専務というのは単なる肩書き」と指摘しておられた。この点を質疑応答では誰も突っ込まなかったのは意外だった。「代表取締役とは」を承知していれば「突っ込みどころ満載」だったのに。
それは「藤島ジュリー景子氏が代表権を維持して、100%の株式を保持し続けるのであれば、事態は何ら変わっていない」のだ。仮令、東山紀之が社長に任じられても、藤島氏の指揮下に入る社長という名の傀儡に過ぎないのではないのか。
次は林真琴氏の委員会の報告書では「社名の変更」が示唆されていたが、東山は「これまでの実情に配慮して変更しない」と平然と述べた。代表取締役が変わらず、社名も変更しなくて、何の改革なのか。何も変えないと言っているのと同じではないかと言いたくなった。
東山も「これからの生涯をかけて被害者の補償に当たる」と言いながら「今年中はタレントを辞めない」とほざいた。「法を超えた補償」とは、タレントと兼業でも出来ると言うほどチョロいと言ったのと同じではないか。
当日まで元社長の指揮下にあった一タレントがいきなり社長に就任して「超えるべき法律」とは何かを承知しているとでも言うのかと大いに疑問に思った。幼少の頃から喜多川一族の経営の会社組織で過ごした後で、全権を持って事務所を運営してきた藤島氏を排除して補償をして、危機に瀕しているとしか思えない会社を建て直せるとでも言うのかと思って聞いていた。
また、何らの期待もしていない記者たちの質問も聞いていたが、壇上の3名+我が国最大の法律事務所の弁護士さんの肺腑を抉るような質問が出来ていなかったのも見込み通りだった。昨夜からのテレビの報道の仕方と、新聞の書きぶりを見ていると、私には彼らは未だに何らかの意味であの事務所を恐れているのかと疑いたくなったほど、何ら事務所側の問題点だろうと思われるような点を質していなかった。
東山紀之が「所属している若者たちのこと」を案じるようなことを言ったのは解らないではない。だが、現時点での問題点はそこにはなく「如何にして大いなる数の被害者に補償をするかという大問題」と「事務所をどうやって存続させたら良いか」なのであろう。諸外国にまで性加害の問題が知れ渡ってしまった大袈裟に言えば「国辱」的な案件なので、藤島ジュリー景子氏以下はその渦中にあるのだ。
たかが一芸能事務所の存亡の危機で私が記者会見を見たために意見を言うのも虚しいが、藤島ジュリー景子氏以下に「自分たちが犯した過ちから逃げようとせずに事態を明確に認識せよ」と、マスコミには「しっかりせよ」と言って終わろうと思う。