新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

現代風言葉遣い批判

2023-09-05 07:41:40 | コラム
イヤだなと感じる言葉遣い:

~は控えます:
「差し控える」としても良いかもしれない。また「~」の所に「コメント」と入れても良いと思う。何方が言い始めた表現かは不明だが、国会議員だったように思える。これは「~致しません」を丁寧に言い換えて謙ったつもりなのだと解釈している。この言い方が使い始められた頃は「差し控えます」だったが、時移り人変わり「控えます」だけに短縮されてしまった。

恐ろしいもので、一旦使われ始めると、これが謙譲語の定番の如くになってしまって、猫も杓子も「控える」ようになってしまった。こんな言い方は差し控えて貰って「致しません」か「には言及しません」と言うようにしたらどうだろう。

コメント:
これは当方が排斥するカタカナ語であり、英語の単語の本来の意味からは逸脱している。どのように逸脱しているかを「実用日本語表現辞典」に解りやすく解説されていたので引用してみよう。

“「comment」とは、「コメント、意見、批評、所感、注釈、解説」といった名詞の意味と、「コメントする、批評する、注釈をつける」といった意味を持つ英単語である。日本においては「コメント」というカタカナ語として定着しており、主に自分の意見や考え、解説を行うことを示す。”

これが「コメント」本来の意味であると理解して、上述の「控えます」と併用すれば「私の意見を言わないことに致します」のようになって具体的で解りやすいのではないか。誰かが使った表現の真似をして謙って見せようとする風潮は宜しくないと言いたい。ハッキリと「意見は発表しない」であるとか「注釈は付けない」とか「所感はありません」と言えば良いのである。

余談になるが、英語で”No comment.”と言うと、言われたことを認めてしまった事になると聞かされてきた。だから、使ったことがなかった。

ハードルが高い:
この言い方はおかしいと、これまでに何度か指摘した。だが、国会議員やテレビに登場される専門家や有識者が使われる傾向が顕著なので、最早「達成するのは困難だ」か「困難な条件が増加した」と言わずに「ハードルが高くなった」が普及してしまった。Oxfordには「何かをやり遂げる前に解決すべき問題や困難なこと」とはあるが、そもそもトラック競技で設置される障害物の高低は変わらないので、その高さが上がったという表現は適切ではないと言いたい。

嘗ては「困難さが増加した」を比喩的に言う場合には、走り高跳びでは「バーが上がると飛び越えるのが困難になっていくこと」から「バーが上がった」ことに譬えていたと記憶している。障害物競走のハードル(hurdle)を使って難易度を表現したいのならば「飛び越えるべきハードルの数が増えた」とした方が良かったと思う。何れにせよ、カタカナ語排斥論者が宜しくないという理由は「何故、英語の単語を使うのか」なのである。

~をあげる:
「~」の所に「餌」を入れると解りやすくなる。この言葉遣いには、以前にも取り上げことで嘗てはかなり広く使われた小話があった。それは“鳩に餌をまいていた若い女性が係員に注意されて「餌をあげてはいけないのですか」と質問したところ「餌をやるのは禁止されています」と言われて「『やる』なんて」と赤い顔をしたというもの。「やる」をこのように解釈している辺りが笑えるし、残念な気もする。

「あげる」が「やる」の丁寧語だと思い込んだ人たちが「金魚に餌をあげる」のように表現するのが、一般的に普及してしまったようなのだ。ペット(愛玩動物)や野生の鳥類などを見下したような言い方を「差し控える」のが、現代の日本語なのである。私はこれこそが「国語力の衰退以外の何物でもない」と憂いている次第。