新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月13日 その2 某大学教授と懇談した

2023-09-13 15:32:32 | コラム
財界人も劣化したのではないかと嘆き合った:

教授と毎月定例の昼食会では、ジャニーズ事務所の問題も取り上げて語り合った。本音を言えば「財界は今さら行動を開始したのでは、動きが鈍すぎないか」と嘆き、且つ怒っていたのだ。それは、ジャニーズ事務所の問題の記者会見に関して新浪剛史・経済同友会代表幹事が「ジャニーズの記者会見での説明は不十分でchild abuseが世界に知れ渡ってしまう云々」と指摘は誠に尤もであるが、遺憾ながら一寸遅かったのではないかという事。

即ち、教授と意見が一致したことは「あの記者会見の後からは、マスメデイアも含めて方々で『もうジャニーズを批判しても問題ない』と安心したのか、堰を切ったように非難攻撃を開始したのは笑止千万だ」という事である。「もっと前にジャニーズを非難の発言ができなかったのか」ということでもある。

そこで、財界が何をしてきたのかだ。既に有罪判決が出ていたし、週刊文春の攻め方が突出していたが、今や故ジャニー喜多川氏の不埒な所業は公知の事実なのだ。それにも拘わらず、何の手を打つこともせずに(宣伝広告会社に踊らされたのかと疑いたくもなるが)あの餓鬼どもとその成れの果てを恥も外聞もなくCMに使い続けてきて、現時点でもう契約更新はしないの、CMを打ち切るだのと公言するのだ。教授と財界人も劣化したものだと嘆き合った。

私はもう何年前のことだったか記憶もないが「ジャニーズ事務所は誠に怪しからん組織で、下品な餓鬼どもを集めて奇妙な衣装を着せて踊ったり跳ねたりさせながら歌っているかのように見せかけているだけ。何ら鍛え上げた芸がある訳でもない子供たちを売り広め、無辜の少年少女たちを騙して一億総白痴化の促進に励んだだけではなく、それで利益を上げている。しかも彼らは「事務所のタレントを使わない云々」とテレビ局等に圧力かけていたというではないか。

その圧力に唯々諾々と従っていたテレビ局等もだらしないが、そういう実態を知りながら週刊文春以外は一言もジャニーズ事務所の問題点を取り上げる機関がなかった。この辺りに彼らの判断の悪さと「長くもないものに巻かれてしまった不甲斐なさ」がある。この点は糾弾されて然るべきではないのか。私は不甲斐なさの責めを負うべきはマスメデイアだけだと思っていたら、何としたことか、経済界も今頃になってジャニーズ事務所を責め始めたのである。

私などはジャニーズの下品さと我が国の罪なき少年・少女を堕落させた罪だけを捉えても、彼らを蛇蝎の如きに嫌悪していた。だから、McDonald’sが顔を見るだけでもイヤな木村拓哉をCMに使い始めたのを見て「もう、ここでは食べない」と決意させられたのだった。私は今回決別を唱え始めたMcDonald’sその他の会社の宣伝担当者は、ジャニーズ事務所の実態を知らなかったのか、それとも出入りの広告宣伝会社に何も問い質さなかったのかと、呆れている。

重ねて言うが、新浪氏が指摘された事柄は誠のその通りだと認める。だが、今頃になってと言うか、故ジャニー喜多川の所業や代表取締役の座と100%の株式を手放さない藤島ジュリー景子氏の好い加減さが明らかになった。すると、マスコミが安心して批判し始めてから仰せになるのでは「遅くはないのか」と言いたくなる。教授と語り合った時にも申し上げたことは「遺憾ながら、経営者たちの劣化は否めないのでは」だった。

新浪剛史氏が優れた経営者であることくらいは充分に承知している。だが、あれほど的確且つ厳密にジャニーズ事務所の諸々の問題点を指摘されるのであれば、あの「何にも変えません」と宣言したのと実質的に同じだった記者会見の直後に表明して頂ければ「流石。経済同友会代表」と賞賛できたと思うので、残念である。

私は遅れても打つべき手が打たれた場合にそれを評して、屡々“Better late than never.”の表現を使ってきた。だが、今回の新浪剛史氏の指摘にはこの表現を適用できないのだ。


「マルサリス」というカタカナ表記にウンザリ

2023-09-13 07:27:25 | コラム
カタカナ語排斥論者の疑問:

第34回高松宮記念世界文化賞に、アメリカの著名なトランペット奏者Winton Marsalisが選ばれた。彼のことは30年以上も前から知っているし、貰い物ではあるが彼のCDも持っている。だが、今日までに2回ほど聴いたかなという程度の評価。言いたい事はそういう演奏の技術の問題ではない。Marsalisが出てきた頃から今は廃刊になってしまったSwing Journal誌上でも高く評価されていた「ウイントン・マルサリス」となっていた点だ。

彼の氏名を正確にカタカナ表記すれば「ウイントン・マーサリス」であり、マーサリスのアクセントは「サ」にくるのだ。

疑問だと指摘したいことは「何故、如何なる根拠があって元の英語の発音とは違う「ル」の表記にしてしまったのだろうか」なのだ。「何故、最初に見た時に元の通りの表記にしようとは思わなかったのか」という単純な疑問なのである。「ル」以外でも、つい最近まで「コラーゲン」は“collagen”であり、発音は「コラージェン」なのに「コラーゲン」にしていたと気が付いた。大谷翔平のAngelsにしたって「エンジェルス」で「エンゼルス」ではないのだ。

重ねて言うが、私の嘆きは「Marsalisと書いて、どうやって読めば『マルサリス』というカタカナ表記することになるのか」なのだ。アメリカ人たちと語り合っても「マーサリス」だった。このように“r”の後に、恣意的にありもしない“u”をつけて「ル」と発音し且つ表記するのが、私から見ればカタカナ語の悪い特徴である。この点は今日までに繰り返して「この悪弊を是正すべきである」と指摘してきた。

この悪い例の中に私がつい最近まで気付かなかったカタカナ語に「ポルノ」がある。「ポルノグラフ」には殆ど関心が無かったので元の英語がどのような綴りになっているのかも注意していなかった。何とそれは“pornography”だったのだ。これの正確な発音は「ポーノグラフィ」か「ポーノウグラフィ」なのである。カタカナ語制作者は何が何でも「ル」としたいらしい、それが元の英語の発音と違っていても。このように「ル」にする例は他にも無数にある。

このような原語とは異なるカタカナ表記がおかしいことなどは、は天下の一大事ではない。だが、英語の勉強を小学校から開始しようの、国民の英語力がどうの騒ぎ立てるのであれば、この辺りからキチンと是正して、子供の頃から正確な発音を覚えさせるようにしたらどうだろうか。盛山正仁新文部科学大臣のご見解を承ってみたい気もするが。