新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

マスコミ報道は何時も片手落ちではないか?

2023-09-02 07:30:54 | コラム
そごう・西武百貨店のストライキの報道から感じたこと:

彼らは阪神百貨店のストライキ以来61年振りだと騒いで報じている。これは正確だろうと思うが、事が百貨店のストライキであれば、1951年(昭和26年)12月に三越の組合がストを打ったことに全く触れないのはおかしいと言いたくなる。私はあの頃にはヴィデオなんてなかったし、8mmフィルムの記憶も残っていなかったので報じようとしないのではと疑っている。NHKだったかでチラッと往年のニュース映画のような画を見た気もした。

言いたいことは「百貨店のストライキを報じるならば、当時は『今日は帝劇、明日は三越』という惹句が示すように三越で買い物をすることがカタカナ語にすれば「ステータス・シンボル」だったほどの高級店だった店がストを打ったのである。これが百貨店のストの開祖だった」くらいのことを報じるべきではないのか。何を隠そう、あの時にスト破りの学生アルバイト(実習生)に採用されていた1人が、かく申すこの私だったのだ。

思うに、マスコミ人たちが2023年の今日では1951年に何があったかなどを知らなくても不思議ではないかも知れない。だが、当時は「デパートにはストライキもあります」という揶揄するというか皮肉な報道もあったのだ。一言くらい三越の件に触れてから、阪神百貨店の件は二番手だったと報じてもバチは当たらなかったと思う。マスコミ批判派の当方から言えば「彼らは何時もこのように片手落ちだ」となるのである。

このことを取り上げるに当たって、あの頃のアルバイト仲間たちは健在かなと思いを巡らせている。仲間には慶応、早稲田、明治、中央、上智、横浜国大等から多くの学生が来ていて、閉店後には麻雀などを楽しんでいた。因みに、当時の給与は1日当たり¥250で、かなりの高級で同級生たちに羨ましがられたものだった。流石の私も記憶は定かではないが、あの頃は蕎麦や饂飩が1杯¥20くらいだったと思う。超後期高齢者の「今は昔の物語」である。