英語の勉強法を語れば:
「音読・暗記・暗唱」の薦め:
私は英語を学ぶのにはどのようにすれば効果的かという点で「音読・暗記・暗唱」を唱え続け、その成功例も取り上げてきたし、我が国の学校教育における英語の教え方の問題点であろうという辺りも今日までに繰り返して指摘してきた。
今回は、それに加えて「英語で自分の言いたい事と考えていること等を、どのようにして表現すれば相手に解って貰えるか」、即ち会話の仕方のコツをも取り上げていこうと思う。その中でも「効率的である」と私が経験からも信じているのが「native speakerや日本人でも熟練した達人が使った『上手い表現の仕方だ』だと認識できた言い方を記憶しておいて、ここぞという場合に使えるようにしておく」なのである。
この要点は「難しい内容でも、解りやすいというか優しい単語を使って表現できる」ということなのである。その辺りを拙著「アメリカ人は英語がうまい」に取り上げた経験談を、あらためて紹介してみよう。
それは、1973年の第一次オイルショックの頃のこと。パルプ不足を補うべく某大手製紙会社の常務さんがMead社の本社まで増量の交渉に海外事業担当のオウナーであるネルソン・ミード氏との交渉に赴かれた時のことだった。ミード氏は全く取り合わず「増量は不可能」と穏やかに拒絶。常務さんは一言ももう一押しすることもなく退席してしまった。
私はその結果を直ちに東京のGMに報告せねばならず(FAX時代だったので)空いているオフィスを借りて原稿を書いていた。だが、「もう一押しせず」という英語の表現が浮かんでこなくて苦戦していた。そこに通りかかった秘書に助け船を求めると、事もなげに”You mean he did not press the point any further?” と言ったのだった。「上手い。言えてる(well putなどと言うが)。頂き」とばかりに使って無事に原稿を書き終えた。
この言い方の要点は「優しい単語だけで難しい内容を表現できている事」にあるのだ。この”press the point“は後々重宝に使う機会があった。即ち、要点は「上手いことを言うと思ったら、それを覚えておいて応用すること」なのである。
私は幼きnative speakerたちからも学んだ:
私は「英語とはそもそも自分が生まれた国で覚えた言語ではないのだから、それで思うように自分の意志を表現できるように話せる為には「このように言えば良いのか」であるとか「この言い方は良く言うべき事が表されている」と感じたnative speakerか練達熟練の日本人が使った表現をできる限り沢山覚えておき、「ここぞ」という時にそれを記憶の引き出しから出して話せるように訓練しておけば良い」と経験上も確信している。
今回は英語という言語では”for me“であるか、または”for you”でも何でも「自分に」か「貴方に」を言わないと形にならないという「日本語にはない念を押した表現」を幼い子供が話したEnglishを通じて確認したという例を挙げて、日本語との「表現の仕方の違い」を取り上げようと思うのだ。
言い方を変えれば、英語には、如何に強調するようなしつこさというか理屈っぽさがある事を忘れないで貰いたいのである。「そんな理屈を言わないでも、文法的に間違っていなければ、以心伝心というのがあるじゃないか」のような考え方は、Englishの世界には通用しないと承知して貰いたいのだ。
私はこれまでに繰り返して「我が国の学校教育における英語と、native speakerたちが話して書くEnglishは別なものである」と指摘してきた。実際に彼らの中に入って日常的に使われているEnglishを聞き且つ読んでいれば、我が国で教えている「英語」とは似て非なる点が非常に多いことは間違いなく良く解ると思う。
先日は英語では「誰のために」か「誰の」ということを明確にするためには、”for me”か”for 誰それ”を明確にしなければならないという点を取り上げた。今回は、現実にnative speakerたちがこのような表現を使っていたのかを未だに鮮明に記憶しているので、その例を幾つか挙げておこうと思う。
先ずは、これから帰国子女となるだろう小学校低学年の女児の例から。これは私が帰国する機内で隣の席に座ったアメリカ駐在が終わって帰国される商社の駐在員の一家で、ご夫婦と小学校と学齢前のお嬢さんたちだった。1980年代に入っていたもしれなかったが、未だビジネスクラスなどという有り難い席がなかった頃の話である。
その小学校のお嬢さんが立ち上がって、少し離れた席にいた父親に向かって、"Daddy, get that comb over there for me. Thank you."と語りかけたのだった。
それは「お父さん、そこにある櫛を取ってよ。有り難う」なのだ。ここで注目して貰いたい事は、アメリカ生まれで小学校にまで通っていたから言えることで、自然にというか意識せずに”for me“が入っている点なのだ。日本人同士での会話ならば、「私に」と言わないでも済むのだが、この女児は”for me”を言う英語(English)脳になっていたのだ。
このnative speaker風の語りかけはお父さんには通じたが、奥方は「何時もこれなので、解り難くて困っています」と正直に私に語りかけられたのだった。即ち、「アメリカで生まれ育ったお子さんが日常的に言葉遣いもアクセントも、日本で教えている英語とは非常に違うアメリカのEnglishで話すので困る」という意味のことを言われたのだ。要するに、「アメリカで日常的にアメリカ人と交流して育てば、このようにEnglishで話せるようになるもの」なのである。
次はウエアーハウザーの本社内でのことから。私がお客様と話し合おうと会議室に入ると、その前に会議をしていた連中の書類が、テーブルの上一杯に残されていた。お客様を案内してきた副社長秘書が慌てて言ったことは”I will put those out of your way for you.“だった。要するに「直ぐにテーブルの上を片づけます」なのだが、ここにも”for you“が入っている。勿論、そこまで言わずとも済むかも知れないが、それを必ず言うのが英語の理屈っぽさなのだとご理解願いたい。
簡単な単語だけで複雑なことでも表現できる:
最後は”for you“から離れることにする。これも幼い将来の帰国子女のnative speakerとしてのEnglishの例である。
これはある商社のシアトル支店に駐在していた従兄弟の息子の例である。彼の家に食事に呼ばれていた。確か当時は3歳だった男の子がLegoを使って一人で遊んでいた。やがて一人遊びに飽きて、Legoが入った箱から何個か取り出して母親に見せた。そして言ったことが”Mammy. Do you think you can make something out of these? “だった。ここにはout ofが使われている事が示すように、わかりやすい単語だけでかなり練度が高い立派な文章になっていた。
「これを使って何かが出来ると思う」と言っているのだが、逆に「この日本語の文章をこのような英文に訳してご覧なさい」という問題を出されれば、かなり難しい英作文になるのではないと思う。
母親は当惑した表情で、前出の商社マンの奥方と同様に「何時もこういう難しいことを言うので困っています」と嘆いていた。私は3歳児の見事な表現力に感心して、男の子に向かって思わず「へー、そういう時にはそう言えば良いの」と、日本語で話しかけてしまった。上手いなと感じた点は、Do you thinkから入って行った辺りだ。
実はこの男児には、彼の大叔父の葬儀の際に、20数年振りに再会した。そして「覚えているかい。20何年か前にシアトルで君と英語で会話をしたことを」と振ってみた。既に大学も卒業して社会人である彼は「全く覚えていません。第一、今では英語なんて全く話せません」と言うのだった。従兄弟も「帰ってきてから直ぐにこいつの英語は何処かに雲散霧消したよ」とまで言う始末。将に「帰国子女は辛いぜ」を画に描いたような実例だった。
なお、上記は2022年9月6日に発表した「英語の勉強法」を大幅に加筆・訂正したものである。