不勉強だったのかと恥じた:
本日は、昨夜に二男から知らされた日本大学フェニックスの新監督・コーチ陣の発表にやや振り回されたというか、新監督・中村敏英氏を検索したりしていたので、ブログの更新がこの時刻になってしまったことを言い訳しておこう。
私はマスコミが不勉強で好い加減なカタカナ語を濫用するので、国語の点でもおかしな言葉を使うとか言葉を勝手に創り上げるようなことが多々あると思い込んでいた。そして、何時かこの事も採り上げてみようと考えていた。その「おかしいと思う」表現を幾つか取り上げると同時に反省もしてみようと思った次第。
*一軒家:
これは、テレ朝の日曜日の午後8時からの「ポツンと一軒家」が示すように、人里離れて原野か山中にたった一軒建っている家のようなことを表しているのだと、永年解釈し認識してきた。ところが、多くのテレビ局自身やそこに登場される多くの有識者やタレントどもも、平気で「一戸建て」の意味で「一軒家」を使うのを苦々しい思いで聞いてきた。そして、何時の日かその「言葉の誤用」を叩こうかとは考えていた。
そこで昨夜、広辞苑(第六版)で確認してみた。すると、二番面の解釈には「長屋でない独立した家屋」と出てきて「アレッ」となった。更にWikipediaの説明では「戸建て」のことであり、野中にポツンと建つ家のことではないような説明だけだった。「こいつらが間違っている」と思いたかった。
そこで考えたことは「広辞苑最初の説明が示すように「あたりに家がなく、一軒だけ建っている家」が正しいのであり、一戸建ての意味で使われるようになったのは飽くまでも誤用と過った解釈で、それが『悪貨は良貨を駆逐する』現象で広まってしまっただけ」と決めつけることにした。テレビ朝日さんのご意見を伺いたいものだ。
ほど近い(程近い):
これは「ほど遠い」(=程遠い)という表現で「大きな隔たりがあるか、酷くかけ離れている」と広辞苑にあるような言葉だと思い込んできていた。ところが、最近は多くのテレビ局自身と出演者たちが「ほど近い」と言って「そう遠くない」か「道のりの隔たりがない」という意味で使っているようになった。私はこれが「ほど遠い」の反対語を勝手にでっち上げているのだと思い込んで、また勝手に造語をして罪なき一般大衆を惑わしていると心中密かに批判してきた。
ところが、これも広辞苑には載ってしまっていたのだった、造語だなどという説明もなしに。そこで、ここでも検索して見た。すると、Yahooの「知恵袋」には以下のような言い方が出ていて少し安心した。即ち、“「問題を解いたが正解にはほど遠かった」とは言うけれど、「問題 を解いた。正解にほど近かった」と言う言い方はできないですよね。”だったのだ。
生き様:
これも「死に様が悪い」という表現から勝手に反対語の「生き様」を創り上げたものだとばかり思ってきた。おかしな言葉だと考えていた。これは、広辞苑には“「死に様」の類推から生まれた語。自分の過ごしてきた無様な生き方、転じて人の生き方。「すさまじい~」”とあって、少し安心した。これも検索して見れば、概ね「死に様から連想した」といったような説明になっていた。
反省点:
長い間、英語とカタカナ語を主に(「メインにして」などとは、口が曲がっても言わない。それはmainというのは形容詞であり、その後に名詞がくる場合にのみ使うからだ。例えばthe main streetのように)取り上げてきたので、偶にはこのような国語を取り上げて、勉強するのも意義があると思うと悟った次第だ。自分で「国語を正しく使えない者に、英語など外国語が解るようになる訳がない」と主張してきたのだから。
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