韓国の康京和(Kang Kyung-wha)外交部長官の英語力:
昨9月1日にこの我が国で言えば外務大臣に当たる康女史が北京滞在中にUKのBBCに受けた約15分だったかの電話インタビュー(なのだろう)の再生録音を聴く機会があった。私はかねがねこの康長官の英語力は並ではないと思っていたので、あらためてWikipediaで検索してみた。出身は韓国の延世大学だが、アメリカの州立のマサチューセッツ大学でマスターと博士号を取得していると判明した。「なるほど」という思いなのだが、あのBBCとのインタビューを聞き終えての偽らざる感想は「嫌らしいな。捨て置けない相手かも」だった。
私はこの長官に対する専門家の先生方の評価を聞けば「文在寅大統領のメッセンジャーに過ぎない」となっていたので、ただ単に英語が達者なだけの長官かと少しく舐めてかかっていた。だが、昨日のあの録音を聞いてから少し考えが変わった。その前にお断りしておくべきことは、BBCの質問は先ずは時間をかけて「悪化の一途を辿っている日韓関係の原因が那辺にあるか」と「韓国がアメリカに対してGSOMIAを破棄したことで強硬な姿勢に出てきていることにどう対応する気か。安全保障を如何に見ているのか」だった。
康長官が答えた内容をここにクドクドと再録するまでもあるまいと思う。それは上述のように長官は実に忠実無比の文在寅大統領とその他の閣僚の対日批判と非難と韓国の主張が正しく、我が国の貿易管理の手続を事前の相談もなく変更したことが如何に不当であり、その後に文大統領が光復節の演説に日本に話し合う機会与えたにも拘わらず応じないし、未だに歴史を忘却して65年の協定に拘泥しているのは誤りであると言ったような諸々の言いがかりの内容を淀みない綺麗で正調な英語で語り続けたのだった。
正直に言えば私は在職中に親しい取引先の方々には「あんたが褒めるのだから、よほど優れているのだと良く解る」と言われたほど「他人様を褒めること」をしないのだった。だが、あの康長官の英語力には恐れ入って褒めようかと思わせられた。もしもケチを付けるところあれば、3回ほど語りの中に“you know”が入っていたので、折角の格調高く綺麗な英語の品格を下げてしまった恨みがあった程度だ。どのくらい上手かったかと言えば「この人はアメリカ生まれの帰国子女である」と聞かされても疑わない程度だった。
私はこと韓国人の英語力となれば、12年にYM氏とSM氏とカリフォルニア州を旅した際に、アメリカに来て2ヶ月も経っていないという若き韓国の女性の英語力に感銘して“Were you born here?”と尋ねてしまったことがあった。これは「英語が現地人のように上手い」と褒めたことだ。彼女は韓国で2年も英語を勉強してこなかったと言っていた。即ち、韓国の英語教育は甚だ遺憾ながら我が国よりも優れていると、YM氏も永年のビジネススクールの教員をしていた経験からも承知していたのだった。
実は、ここから先が本論である。私がイヤな感じがしたという理由は「あの康長官のような淀みない一聴native speakerかと錯覚しそうな英語で『日本国悪者説』を彼らが予定していると聞くWTOへの提訴に備えて世界の各国に説明というかロビーイングなどをかけられれば、初めて聞かれたこの件に無縁だった国々の方は『なるほど。そういうことだったのか』と信じてしまうのではないか」という点なのだ。
康長官の語彙は私が常に述べてきた「英語は易しい言葉を沢山使って細かいことまで十分に説明しよう」という点をその通りに実践していたのだった。いや、残念ながら解りやすく聞きやすいのだった。ここで、後難を恐れて安倍総理の通訳を務めておられる高尾氏だったかの英語について感想を言えば「非常に正確に通訳され先ず総理のご意向が誤って伝わることはないだろう」という立派な英語なのだ。だが、余りにも勉強されすぎたせいかと思うが“big word”という難しい言葉を多用されているので、アメリカ人が言う“wordy”の気配があるのだ。その点では康長官の英語と対照的だと思えてならない。
因みに、“wordy”はOxfordには“usually disappointing”とあって“using too many words, especially formal ones”となっている。私は高尾氏の通訳を聞いて、後難を恐れずに言えば「トランプ大統領は安倍総理を極めて四角四面な堅い性格で理詰めに物を考える人物」と看做しているのではないかと感じていた。勿論、私には総理の実際の人となりなど解る訳はないが、通訳の仕方一つでその語り手の人物像が変わってくるという意味だ。康長官の英語を聞く限りでは、平易で解りやすい物の言い方だと思うが、文在寅大統領がそういう人物だとは到底思えないのだ。
という次第で、私は康長官の今度の動静には要注意であると同時に、我が政府も海外向けにあの程度の表現力に富んだ英語で我が国の正当性を遍く世界に広めて行く準備を可及的速やかにすべきだと思う。ここでも後難を恐れずに言えば、我が方にあそこまでの英語力を備えた広報官がいるのかと不安になってしまう。でも英語力を気にしている場合ではなく、韓国の虚言と妄言を暴く広報活動を開始して貰いたいと願うのだ。河野外相にもジョージタウン大学出身者として一層の奮起を期待したい。
昨9月1日にこの我が国で言えば外務大臣に当たる康女史が北京滞在中にUKのBBCに受けた約15分だったかの電話インタビュー(なのだろう)の再生録音を聴く機会があった。私はかねがねこの康長官の英語力は並ではないと思っていたので、あらためてWikipediaで検索してみた。出身は韓国の延世大学だが、アメリカの州立のマサチューセッツ大学でマスターと博士号を取得していると判明した。「なるほど」という思いなのだが、あのBBCとのインタビューを聞き終えての偽らざる感想は「嫌らしいな。捨て置けない相手かも」だった。
私はこの長官に対する専門家の先生方の評価を聞けば「文在寅大統領のメッセンジャーに過ぎない」となっていたので、ただ単に英語が達者なだけの長官かと少しく舐めてかかっていた。だが、昨日のあの録音を聞いてから少し考えが変わった。その前にお断りしておくべきことは、BBCの質問は先ずは時間をかけて「悪化の一途を辿っている日韓関係の原因が那辺にあるか」と「韓国がアメリカに対してGSOMIAを破棄したことで強硬な姿勢に出てきていることにどう対応する気か。安全保障を如何に見ているのか」だった。
康長官が答えた内容をここにクドクドと再録するまでもあるまいと思う。それは上述のように長官は実に忠実無比の文在寅大統領とその他の閣僚の対日批判と非難と韓国の主張が正しく、我が国の貿易管理の手続を事前の相談もなく変更したことが如何に不当であり、その後に文大統領が光復節の演説に日本に話し合う機会与えたにも拘わらず応じないし、未だに歴史を忘却して65年の協定に拘泥しているのは誤りであると言ったような諸々の言いがかりの内容を淀みない綺麗で正調な英語で語り続けたのだった。
正直に言えば私は在職中に親しい取引先の方々には「あんたが褒めるのだから、よほど優れているのだと良く解る」と言われたほど「他人様を褒めること」をしないのだった。だが、あの康長官の英語力には恐れ入って褒めようかと思わせられた。もしもケチを付けるところあれば、3回ほど語りの中に“you know”が入っていたので、折角の格調高く綺麗な英語の品格を下げてしまった恨みがあった程度だ。どのくらい上手かったかと言えば「この人はアメリカ生まれの帰国子女である」と聞かされても疑わない程度だった。
私はこと韓国人の英語力となれば、12年にYM氏とSM氏とカリフォルニア州を旅した際に、アメリカに来て2ヶ月も経っていないという若き韓国の女性の英語力に感銘して“Were you born here?”と尋ねてしまったことがあった。これは「英語が現地人のように上手い」と褒めたことだ。彼女は韓国で2年も英語を勉強してこなかったと言っていた。即ち、韓国の英語教育は甚だ遺憾ながら我が国よりも優れていると、YM氏も永年のビジネススクールの教員をしていた経験からも承知していたのだった。
実は、ここから先が本論である。私がイヤな感じがしたという理由は「あの康長官のような淀みない一聴native speakerかと錯覚しそうな英語で『日本国悪者説』を彼らが予定していると聞くWTOへの提訴に備えて世界の各国に説明というかロビーイングなどをかけられれば、初めて聞かれたこの件に無縁だった国々の方は『なるほど。そういうことだったのか』と信じてしまうのではないか」という点なのだ。
康長官の語彙は私が常に述べてきた「英語は易しい言葉を沢山使って細かいことまで十分に説明しよう」という点をその通りに実践していたのだった。いや、残念ながら解りやすく聞きやすいのだった。ここで、後難を恐れて安倍総理の通訳を務めておられる高尾氏だったかの英語について感想を言えば「非常に正確に通訳され先ず総理のご意向が誤って伝わることはないだろう」という立派な英語なのだ。だが、余りにも勉強されすぎたせいかと思うが“big word”という難しい言葉を多用されているので、アメリカ人が言う“wordy”の気配があるのだ。その点では康長官の英語と対照的だと思えてならない。
因みに、“wordy”はOxfordには“usually disappointing”とあって“using too many words, especially formal ones”となっている。私は高尾氏の通訳を聞いて、後難を恐れずに言えば「トランプ大統領は安倍総理を極めて四角四面な堅い性格で理詰めに物を考える人物」と看做しているのではないかと感じていた。勿論、私には総理の実際の人となりなど解る訳はないが、通訳の仕方一つでその語り手の人物像が変わってくるという意味だ。康長官の英語を聞く限りでは、平易で解りやすい物の言い方だと思うが、文在寅大統領がそういう人物だとは到底思えないのだ。
という次第で、私は康長官の今度の動静には要注意であると同時に、我が政府も海外向けにあの程度の表現力に富んだ英語で我が国の正当性を遍く世界に広めて行く準備を可及的速やかにすべきだと思う。ここでも後難を恐れずに言えば、我が方にあそこまでの英語力を備えた広報官がいるのかと不安になってしまう。でも英語力を気にしている場合ではなく、韓国の虚言と妄言を暴く広報活動を開始して貰いたいと願うのだ。河野外相にもジョージタウン大学出身者として一層の奮起を期待したい。
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