権威者乃至は上席者による嫌がらせか虐め:
この見出しにはカタカナ語排斥論を展開するつもりはないが、「『パワハラ』なるカタカナ語を解りやすくしようとすればこうなるだろう」と思って使ってみた。内容は全柔連と山下泰裕JOC会長、全柔連会長、東海大学副学長についてである。山下氏は全柔連でかかる「嫌がらせ」があった事を報告されていなかったと言ったとかだ。その事がマスコミにとっては絶好の非難または批判の材料になっているようだ。私はあれほどの重責を重複して担っておられる山下氏の問題なのか、周囲の配慮不足かなどは知らない。だが、「不味い事をしたものだ」とは言いたい。
私は山下泰裕氏がオリンピックで金メダル(私はこのメダルに拘泥する表現は好みではない。素直に「優勝」では何でいけないのか)を取得された大選手だとは承知している、だが、その輝かしき実績と大きな組織の頂点に立って管理・運営する能力が同じ性質だとは、残念ながら認識していない。しかしながら、多くの競技の上部団体では「同一だ」と思い込んでいた節があって、これまでに方々で管理・運営上で破綻を来しいていた。私はこれが選ばれて君臨した元大選手の責任だとは見ていない。選んだ方も選ばれた方も「管理・運営とは」が解っていなかっただけの事だろう。
「では、どうすれば良いのか」だが、この点についてはつい先日「MBAとは」を論じた際に言及してあった。それは、我が友YM氏から聞き及んでいた事である、それは「アメリカのビジネススクールには経営学専攻以外に、学校や病院等の大きな組織を運営するコースがあって、同じMBAであっても内容に違いがある」という事だった。これについては、先頃検索してみたWikipediaにも同様な記述があった。即ち、大学の学長に有名教授を任命するとか、大病院長に名医を任じるのではないという意味だ。経営はその専門家に任せようという考え方だ。
私は「この辺りが山下氏か彼が長として在任しておられる組織に適用出来るのではないか」と言いたいのである。山下氏と雖も全知全能ではないだろうから、三つの組織の責任者を兼任されるよりも、管理・運営を専門とされる人物を選んで任せておかれれば、あのような事態にはならなかったのではないかと言う事。別な例を挙げれば、嘗てはサッカー協会長を務められた川淵三郎氏がある。川淵氏は大学卒業後に古河電工という大きな組織に就職され、部長職にまで昇進された。
即ち、大勢の人の上に立って組織を管理・運営する経験を積まれた上で、サッカー協会の会長も努められたのだった。その経験はサッカー界でも十二分に効果を発揮したし、バスケットボール界の再編の際にも活かされていたのだった。語弊があるかも知れないが「単なる選手上がり」ではなかったと言う事。その点では後難を恐れて言えば、橋本聖子さんも大選手の上がりであるが、組織委員会長就任の前までに参議院議員を務められたので、国政の経験を如何に有効に活用されるかにかかっているのではないか。
私が言っておきたい事は「過去に大選手という輝かしき実績と、組織の長としての能力は必ずしも同一ではない」という辺りと「個人種目の選手と団体競技の名手でキャプテンを経験してきた人」とは経験の種類と質が異なるのではないか」との点である。思い出して頂きたい事がある。それは、マスコミや野党が寄って集って袋だたきにした森喜朗氏の講演の中で、山下泰裕氏をどのように形容しておられたかという点だ。かなり率直に言っておられたが、その点を誰も問題にしなかった。私はおかしいと思っているが。これって「何とかハラ」ではないかと感じたが。
この見出しにはカタカナ語排斥論を展開するつもりはないが、「『パワハラ』なるカタカナ語を解りやすくしようとすればこうなるだろう」と思って使ってみた。内容は全柔連と山下泰裕JOC会長、全柔連会長、東海大学副学長についてである。山下氏は全柔連でかかる「嫌がらせ」があった事を報告されていなかったと言ったとかだ。その事がマスコミにとっては絶好の非難または批判の材料になっているようだ。私はあれほどの重責を重複して担っておられる山下氏の問題なのか、周囲の配慮不足かなどは知らない。だが、「不味い事をしたものだ」とは言いたい。
私は山下泰裕氏がオリンピックで金メダル(私はこのメダルに拘泥する表現は好みではない。素直に「優勝」では何でいけないのか)を取得された大選手だとは承知している、だが、その輝かしき実績と大きな組織の頂点に立って管理・運営する能力が同じ性質だとは、残念ながら認識していない。しかしながら、多くの競技の上部団体では「同一だ」と思い込んでいた節があって、これまでに方々で管理・運営上で破綻を来しいていた。私はこれが選ばれて君臨した元大選手の責任だとは見ていない。選んだ方も選ばれた方も「管理・運営とは」が解っていなかっただけの事だろう。
「では、どうすれば良いのか」だが、この点についてはつい先日「MBAとは」を論じた際に言及してあった。それは、我が友YM氏から聞き及んでいた事である、それは「アメリカのビジネススクールには経営学専攻以外に、学校や病院等の大きな組織を運営するコースがあって、同じMBAであっても内容に違いがある」という事だった。これについては、先頃検索してみたWikipediaにも同様な記述があった。即ち、大学の学長に有名教授を任命するとか、大病院長に名医を任じるのではないという意味だ。経営はその専門家に任せようという考え方だ。
私は「この辺りが山下氏か彼が長として在任しておられる組織に適用出来るのではないか」と言いたいのである。山下氏と雖も全知全能ではないだろうから、三つの組織の責任者を兼任されるよりも、管理・運営を専門とされる人物を選んで任せておかれれば、あのような事態にはならなかったのではないかと言う事。別な例を挙げれば、嘗てはサッカー協会長を務められた川淵三郎氏がある。川淵氏は大学卒業後に古河電工という大きな組織に就職され、部長職にまで昇進された。
即ち、大勢の人の上に立って組織を管理・運営する経験を積まれた上で、サッカー協会の会長も努められたのだった。その経験はサッカー界でも十二分に効果を発揮したし、バスケットボール界の再編の際にも活かされていたのだった。語弊があるかも知れないが「単なる選手上がり」ではなかったと言う事。その点では後難を恐れて言えば、橋本聖子さんも大選手の上がりであるが、組織委員会長就任の前までに参議院議員を務められたので、国政の経験を如何に有効に活用されるかにかかっているのではないか。
私が言っておきたい事は「過去に大選手という輝かしき実績と、組織の長としての能力は必ずしも同一ではない」という辺りと「個人種目の選手と団体競技の名手でキャプテンを経験してきた人」とは経験の種類と質が異なるのではないか」との点である。思い出して頂きたい事がある。それは、マスコミや野党が寄って集って袋だたきにした森喜朗氏の講演の中で、山下泰裕氏をどのように形容しておられたかという点だ。かなり率直に言っておられたが、その点を誰も問題にしなかった。私はおかしいと思っているが。これって「何とかハラ」ではないかと感じたが。
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