新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月23日 その2 私が加藤厚労相を嫌う理由(ワケ)

2020-02-23 12:02:13 | コラム
それは「~させて頂きました」を多用するから:

嘗て、「頂門の一針」を主宰される渡部亮次郎氏が“「~させて頂きました」か「~させて頂きます」という物の言い方は嫌いだ。”と言われたが、私も全く同様に嫌っていたし、今でも大嫌いだ。この言い方は必要以上に謙って「ここまで謙虚にしているのだから解って下さいか、理解せよ」とでも表現したい姿勢が隠れているのだと、私は解釈している。苟も一国の大臣ともあろうお方が国民に向かって謙って見せて「何を言っても免責」とでもしたいのかとすら疑っている。責任逃れだ。彼はこの重大事に際しては、何物をも逸れずに「ズバリ」と告げるべき立場にいるのだ。自戒せよ。

しかも情けないことは、渡部亮次郎氏が何年も前に批判された表現を東大のご出身で大蔵省におられ、次期か次次期の総理候補とマスコミに報じられている大臣が「責任逃れ」ばかりしているのも問題だが、この程度の言葉遣いの適不適がお解りではないのが情けないのだ。私は「もしかすると、彼が育った頃からの我が国の国語教育の欠陥」が現れているのかdとすら疑っている。謙譲語の使い方くらいチャンと教えておけでもと言いたくもなる。それとも高級官僚の賢い狡さの表れなのか。

今や、これと似たようなおかしな表現が巷に満ち溢れている。これは既に採り上げたが、2006年1月に何十年振りかで入院して看護師さんたちが「~して貰って良いですか」を当たり前のように使うので面食らった。古き良き日本語に訳せば「~して下さい」という意味だったと直に理解はできたが。次に、これもその一例だと考えているが、私のような昭和一桁生まれにはこのような出来損ないの敬語は、ほとんどがテレビに登場するアホどもが使うので、私の持論である「言葉は耳から入るものが最も学習しやすい」が当て嵌まり、一般化したと思っている。

他の例を挙げてみよう。他人様が言ったことかやったことを表現するのに「~と言っておりました」か「~しておりました」と言うのは「~と言っておられました」か「~しておられました」が正しいと思っている。「お会いする」はこのAtokでも直されてしまうし、国文学者のKS氏も「自分に敬語を付けるのは誤り」と指摘された通りだと思う。私はAtokが言う通り「お目にかかりました」とするべきだと信じている。これを使うのが芸人どもなら未だ看過してやらないでもないが、総理大臣までお使いになるのは「何だかなー」と思ってしまう。

芸人やインタビューされたスポーツ選手が「私に中では」と言うような言葉遣いは、私は矢張り古き良き日本語に訳さねばなるまいと思う表現である。一聴、格好良さげだが、私には彼等が他人の真似をする知恵しか無い国語力不足を曝しているだけで、決して普及させるべきではない言葉遣いだと軽蔑している。解釈すれば「私の考えでは」か「私の頭の中にある見方は」か「私が思うには」辺りになるかと思う。これをアホどもが年がら年中テレビで言うから、ウイルスのように蔓延したと思っている。もしかしてこの手の表現を使う輩は「これぞ時代の先端を行く言葉遣い」とでも悲しくも誤解しているのでは。



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