台湾と花蓮県太魯閣の思い出:
先ず、先頃台湾を襲った大地震で亡くなった方の心からご冥福を祈りたい。遅まきながら、台湾と花蓮県を語ってみよう。
1955年に2回目の台湾の観光旅行をした際に、某商社の台北駐在員に勧められて花蓮県を訪れた。勿論、最大の目的は国家公園内の太魯閣渓谷(タロコ渓谷)だった。Wikipediaの説明によれば「立霧渓が大理石の岩盤を浸食して形成された大渓谷。奇岩怪石と水の美しさゆえ、台湾の中でも特に人気のある観光地である」となっている。「百聞は一見に如かず」だった。
その美しいと言うよりも、見たことがないと言うか、想像も出来なかったような自然が生み出した景観に圧倒されながら歩いていた。山梨県の昇仙峡渓谷も行ってみた事はあったが、あの景観とは種類が違うと思っていた。歩き終わってからゲートのような物をくぐった先には、民族衣装を着た現地の民族の若い女性たちが踊っていたのが記憶に残っているので、この度の地震の報道にあのゲートが見えたのが懐かしかった。
あの当時楽しませてくれた景観がどれ程破壊されたのか知らないが、出来ることならばあの当時の素晴らしさと美しさと奇景を、維持乃至は復活させて欲しいものだと願っている。
公園を出た後で、案内して貰った現地の方に「これが本当の烏龍茶の飲み方である」と言って、最初に出来たお茶を茶碗と急須から捨ててしまうのに驚かせられながら、その香りとその味に感動していた。1995年には花蓮には街と言えるような賑やかな所がなかったと記憶しているので、あの地震で高層建築が傾いている様子を見て「今昔の感」にとらわれていた。確か、我が夫婦が泊まったホテルの周囲には何物も見えていなかった。
この旅行の時には勿論台北で過ごした時間が最も長かった。台湾の人たちは我々に親近感を持っていてくれているとは承知していたが、観光名所を案内してくれた運転手さんが行く先々で「ここが日本統治時代からの○○です。統治時代は本当に良かった」と言って貰えたのには感動させて貰えたし、何とも言えない有り難み味わっていた。故宮博物館に入った時には、我が国のお隣の某国の観光団が大声を上げて感動し続けていたマナーが非常に印象的だった。
台湾では何処に行って食べ物が美味だったのも、忘れられない旅の思い出だ。最後に別の会社の方に案内されたのが「世界の十大レストラン」の一つという評価を受けていると聞かされた小籠包の「鼎泰豊」だった。入って直ぐに席が取れたのを駐在員が「これは初めての経験」と言われた程の超人気店で、その味も感動的だった。我が国にも進出しているが、昨年だったか汐留のカレッタの店が無くなっていたのに驚かされた。
今や「台湾有事」が大いなる関心事(寒心事?)であり、我が国の対応の仕方が問われかねない時になっている。我が国が如何なる手段でこの友好的な台湾の安全保障に協力できるのか、鼎の軽重を問われかねない事態が発生しないような体制が整っていると良いが。TSMCが熊本県を新工場建設の地に選んだ背景が何であれ、我が国と台湾との緊密な間柄の継続が望ましいと思う。
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