英語教育に問題があるのでは:
情報セキュリティ学科とは:
長崎県立大学にこういう名称の学科があると知って悲しくなった。しかも、この大学では英語の教育にも熱心のようなので、一層失望感が増してきた。ここまでで私が何を言いたいのかがお解り願える方がおられれば嬉しいのだが、そうは行くまいと懸念している。あらためて述べておくと、これは英語では“security”であって、動詞の“secure“の名詞形なのだ。動詞のsecureの発音は「セキュアー」である。その名詞形を何処かに巣食う輩がローマ字読み式に「セキュリティ」としたのは、とんでもない誤りであると指摘して、ずっと憤慨してきた。
ところがである、その困ったものだと思っている「セキュリティ」を事もあろうに公立大学で学科の名称に使ってしまっていたのだった。見識を疑いたくなるし、この大学で英語を教えておられる先生方は「セキュリティ」という表記に疑問を持っておられなかったのかと、疑問に思うと同時に情けなくなってしまった。大学校で英語を教えておられながら、辞書の発音記号くらい確認されないのかと訝ると同時に、大学当局はnative speakerにでも「正確な発音」を確認される機会はなかったのかと伺いたくもなる。学内で誰が一人くらい「セキュアリテイ」辺りは思いつかなかったのだろうか。
コロナ(=corona):
これは「光冠」で広辞苑には「太陽や月のまわりに接して生じる美しい小光彩」とある。五月蠅い事を言う奴だと非難されるのを承知でいうが、決して「新型コロナウイルス」などを意味していない。先頃、李御寧氏の「縮み志向」を引用して「何でも短縮形に持って行きたがる我が国の言葉に対する姿勢、就中マスコミのそれ」を批判した。この「コロナ」の悪質性(?)は単なる短縮ではなく、最初の「新型」を飛ばして全くウイルスの名称でも何でもない「コロナ」で代用してしまった事にある。しかも、マスコミは躊躇せずこれに飛び付いて遍く普及させてしまったのは酷すぎる。
私がこの「コロナ」を使うのを最初に聞いたのは石原良純だった。その時は「こう言う遣い方もあったのか」と多少新鮮に響いたが、言葉の誤用であるのは宜しくないと感じただけで終わった。まさか、この誤用がマスコミだけに止まらず、国会議員さんも重用されるし、最早公用語であるかのような印象すらある。困った事だと思う。まさか、一般の方々は「コロナ」がウイルスの意味ではなく「光冠」だとはご存じないのではあるまいな。私は何処かにおられる権威者が「この新型コロナウイルスをコロナと呼ぼう」とお決めになったかと真剣に疑っている。困った事だ。
インフル:
これを私のワープロソフトに入力すると「略称」と出てくる。だが、そのまま続けると自動的に「インフルエンザ」になってしまう。そうなんだ、これは往年に漢字で表現されていた「流行性感冒」即ち「流感」のことなのだ。思うに、新聞社は見出しに使う場合に「流行性感冒」では長すぎるので「流感」にしていたが、世の流れであるカタカナ語の魔力にでも取り憑かれたのか「インフルエンザ」の頭の部分を採って「インフル」にしたのだろうと悪意で推察している。馬鹿な事だと切り捨てたい。「インフルエンスが、俺をどうしてくれるのか」と怒っているとも述べた事もあった。
私がウンザリしている事は、字数や行数に制約がある新聞が略語に走る辺りなのだ。この点は多少は理解する。だが、テレビでもラジオでも「インフルエンザ」や「ヘリコプター」を全部発音しても何秒もかからないし、CMの時間に食い込む事などないだろうと思っている。しかも、困った事に「ヘリ」と言えば誰にでも「ヘリコプター」の意味だと解って貰える点だ。しかし、大上段に構えて「英語教育の面」から語れば、英語には“copter”か“chopper”との略称はあるが“heli”は存在しない。テレビ局御用達の「フリップ」も、この誤った短縮形の類いで“flip chart”が元の英語だろう。
結び:
言葉の誤用を指摘するつもりで始めたが、結局は「カタカナ語排斥論」になってしまった。ではあっても、「言葉は正確に使いましょう」と言う点を強調しておきたいのだ。問題は「単語を覚えて受験に備えよう」という歪んだ英語教育の在り方が、かかる不適切なカタカナ語を粗製濫造させているの原因なのだと非難し攻撃したい。意味を覚えるだけではなく「発音記号にも目を通しなさい」と言いたいのだ。何にでもカタカナ語を見たら、先ず「これは本当に英語にこのような単語が、こういう意味で使われているか」を確認すべきなのだ。
情報セキュリティ学科とは:
長崎県立大学にこういう名称の学科があると知って悲しくなった。しかも、この大学では英語の教育にも熱心のようなので、一層失望感が増してきた。ここまでで私が何を言いたいのかがお解り願える方がおられれば嬉しいのだが、そうは行くまいと懸念している。あらためて述べておくと、これは英語では“security”であって、動詞の“secure“の名詞形なのだ。動詞のsecureの発音は「セキュアー」である。その名詞形を何処かに巣食う輩がローマ字読み式に「セキュリティ」としたのは、とんでもない誤りであると指摘して、ずっと憤慨してきた。
ところがである、その困ったものだと思っている「セキュリティ」を事もあろうに公立大学で学科の名称に使ってしまっていたのだった。見識を疑いたくなるし、この大学で英語を教えておられる先生方は「セキュリティ」という表記に疑問を持っておられなかったのかと、疑問に思うと同時に情けなくなってしまった。大学校で英語を教えておられながら、辞書の発音記号くらい確認されないのかと訝ると同時に、大学当局はnative speakerにでも「正確な発音」を確認される機会はなかったのかと伺いたくもなる。学内で誰が一人くらい「セキュアリテイ」辺りは思いつかなかったのだろうか。
コロナ(=corona):
これは「光冠」で広辞苑には「太陽や月のまわりに接して生じる美しい小光彩」とある。五月蠅い事を言う奴だと非難されるのを承知でいうが、決して「新型コロナウイルス」などを意味していない。先頃、李御寧氏の「縮み志向」を引用して「何でも短縮形に持って行きたがる我が国の言葉に対する姿勢、就中マスコミのそれ」を批判した。この「コロナ」の悪質性(?)は単なる短縮ではなく、最初の「新型」を飛ばして全くウイルスの名称でも何でもない「コロナ」で代用してしまった事にある。しかも、マスコミは躊躇せずこれに飛び付いて遍く普及させてしまったのは酷すぎる。
私がこの「コロナ」を使うのを最初に聞いたのは石原良純だった。その時は「こう言う遣い方もあったのか」と多少新鮮に響いたが、言葉の誤用であるのは宜しくないと感じただけで終わった。まさか、この誤用がマスコミだけに止まらず、国会議員さんも重用されるし、最早公用語であるかのような印象すらある。困った事だと思う。まさか、一般の方々は「コロナ」がウイルスの意味ではなく「光冠」だとはご存じないのではあるまいな。私は何処かにおられる権威者が「この新型コロナウイルスをコロナと呼ぼう」とお決めになったかと真剣に疑っている。困った事だ。
インフル:
これを私のワープロソフトに入力すると「略称」と出てくる。だが、そのまま続けると自動的に「インフルエンザ」になってしまう。そうなんだ、これは往年に漢字で表現されていた「流行性感冒」即ち「流感」のことなのだ。思うに、新聞社は見出しに使う場合に「流行性感冒」では長すぎるので「流感」にしていたが、世の流れであるカタカナ語の魔力にでも取り憑かれたのか「インフルエンザ」の頭の部分を採って「インフル」にしたのだろうと悪意で推察している。馬鹿な事だと切り捨てたい。「インフルエンスが、俺をどうしてくれるのか」と怒っているとも述べた事もあった。
私がウンザリしている事は、字数や行数に制約がある新聞が略語に走る辺りなのだ。この点は多少は理解する。だが、テレビでもラジオでも「インフルエンザ」や「ヘリコプター」を全部発音しても何秒もかからないし、CMの時間に食い込む事などないだろうと思っている。しかも、困った事に「ヘリ」と言えば誰にでも「ヘリコプター」の意味だと解って貰える点だ。しかし、大上段に構えて「英語教育の面」から語れば、英語には“copter”か“chopper”との略称はあるが“heli”は存在しない。テレビ局御用達の「フリップ」も、この誤った短縮形の類いで“flip chart”が元の英語だろう。
結び:
言葉の誤用を指摘するつもりで始めたが、結局は「カタカナ語排斥論」になってしまった。ではあっても、「言葉は正確に使いましょう」と言う点を強調しておきたいのだ。問題は「単語を覚えて受験に備えよう」という歪んだ英語教育の在り方が、かかる不適切なカタカナ語を粗製濫造させているの原因なのだと非難し攻撃したい。意味を覚えるだけではなく「発音記号にも目を通しなさい」と言いたいのだ。何にでもカタカナ語を見たら、先ず「これは本当に英語にこのような単語が、こういう意味で使われているか」を確認すべきなのだ。
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