新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

社会保障・税番号制度

2015-11-25 07:48:04 | コラム
良く解らない社会保障・税番号制度のメリット:

先週末にいよいよこの制度の「通知カード個人番号カード交付申請書」と封筒に印刷された書留が送られてきた。開けてみれば夫婦に対して申請する書類一式を郵送する封筒は1枚しか入っていなかった。これでは夫婦は同時に申請せよとなっているのかと思った。添付する写真だが、かかる手続きを苦手とする私には何処に行けば撮って貰えるかが解らない。街中にある箱のような証明写真用ものに入れば撮れる仕組みなのだろうか。以前に新宿区役所で住民基本台帳のカード作った時には係の人が丁寧に指導して下さったので、その案内に従っているだけで終わった。事がお国となるとそういうご指導は賜れないのかなと思った。

「大切に保管して下さい」と黄色で示されている「マイナンバー(個人番号)のお知らせ 個人番号カード交付申請のご案内」のリーフレットのようなものは一度だけ取りあえず読んでみた。解った事はカードを申請する場合には郵送するのであって、最寄りの区役所の出張所のようなところに持参するのではないようだとの印象を得た。これでは質問か何らかのお助けを乞いたい場合には何処に行けば良いのかが解らなかった。

当方は元々このような手続きを極めて苦手としているので、行政側のお助けが是非とも必要なのだ。即ち、自分で勝手に解釈して何か失敗があった場合の事を思うと誠に気が重い。兎に角、40年弱の勤め人だった間に一度も事務職を経験しておらず、その点では所謂「音痴」であるとの劣等意識があるのだ。簡易書留を受け取った日に隣家の自営業の高齢のご婦人が「ご案内」を読んだだけでは理解しきれず、当方がもしもカード申請に踏み切る際には是非ご指導をと依頼してこられた。こっちだって難儀しているにも拘わらずだ。

お国は自分たちの都合の為にかかる制度を導入なさったのだと疑っているが、このように単純素朴に「弱ったな」と受け止めておられる高齢者が多いだろう事は、長年区が主催される「高齢者の為の確定申告の説明及び接受」の場で見てきた混乱振りからも十分に予測できる。あの税務署から送られてくる手引き書の独りよがりの文章も解りにくさもさることながら、この新制度が求める簡単だと思える手続きも高齢者にはかなりの心理的且つ物理的な負担となるだろう。

財務省だかどこだかか知らないが、かかる負担を人口の多数を占める高齢者に与える事が果たして善政なのだろうか。私には良く解らないのだ。「それはお前が老化して理解力が不足したからに過ぎない」との批判は甘んじて受ける。だが、「ご案内」に列記されていた”「メリット」いっぱい「個人番号カード」”の各項目を見ても何処がメリットなのかは解らなかったのは残念だった。大体からして「メリット」というカタカナ語は英語の”merit”とは似ても似つかない意味だとお役所はご承知なのだろうか。

兎に角、目に見えるものと見えない負担をどこからともなく押し付けられたような気がして、この封書をなくさないように何処に保管すべきかに悩んでいる今日この頃だ。一方にとってのメリットは他方にとっては「心理的且つ物理的負担」というデメリットかも知れないのではないだろうか。


アメリカの民主党政権を批判する

2015-11-24 16:38:32 | コラム
アメリカの民主党政権信ずるに足らず:

私はWeyerhaeuser Companyの第8代CEOだったGeorgeがパパ・ブッシュ大統領とYale 大学の同期だった誼だっただけではなく、共和党派の会社に長年お世話になっていたのも手伝って、真っ向からアメリカの民主党政権には否定的だった。それも何もGeorge同士の間柄だけではなく、クリントン政権となった時から我が国に対して冷たいどころか敵意すら感じさせる政策を打ち出していた事を以てしても「反民主党」を唱えていたし、オバマ大統領が実現してしまった際にも上司・同僚・友人知己の間で盛んになっていた反オバマ論を伝えて悲観論を披露していたものだった。

そこに「頂門の一針」の3846号の「読者の声」欄に「オバマはカーターと並ぶほどの無能で、シリアでもなにもできないまま、中国にはアリバイ工作でもするかのように当該海域に軍艦を二時間航行させただけ、こんな弱いアメリカにした元凶はこの男だ、となる。」とあったのは、当に我が意を得たりなのだった。私はこの投稿者の方よりも遙かに激しくオバマ大統領の無能振りと習近平を始めとする反アメリカはの国家元首たちと比較して批判してきたのだった。彼こそが今日の「弱いアメリカ」を脚本・演出した責任者であると断じて憚らない。

現に、何度も繰り返して引用してきた友人の退役陸軍中佐(職業軍人だが、ウイスコンシン大学のマスターを持っている健全な常識人である)が嘆いた「政治・経済・軍事・外交等に何らの経験も無く、上院議員を一期務めたとは言うが半分の2年間は選挙キャンペーンに費やしてきた者を選んでしまったのでは最早仕方がない」の声が遺憾ながら徹底的に当たっていたのだった。あの頃に「ジャパン・ナッシング」だの「ジャパン・パッシング」などと騒いで見せたマスコミや評論家にその見識!を今からでも問い質したいものだ。

とは言うものの、かく申す私もアメリカの友人たちと日常的に情報交換の機会があった生活を離れて間もなく満22年になってしまう。その間にEmailや偶々出張してきた精鋭たちと会って話し合う機会もあるにはあったが、何と言っても肝心の自分自身が入退院を繰り返すだけではなく、本日のように午前中は国際医療研究センター病院循環器科の定期検診で、午後からは歯科医に通うという有様で、近年は病気がちで落ち着いてアメリカの情報を収集する余裕が出てこなかった。

それのみならず、「世界の資本主義というのか保守派の諸国は」というべきか否かが判然としないが、イスラム教圏外の諸国はISを筆頭にする過激的な勢力と深刻な敵対関係に陥り、恐るべきテロの犠牲者を120数人も出すといういたましい災難に遭われたフランスのオランド大統領のように「戦争状態にある」との声明まで出す未曾有の事態に直面している。ここでアメリカにしっかりと腰の据わった指導者が出てこない事には、益々共産主義と社会主義を標榜する諸国の指導者、少なくとも2人に舐められ続けると、心の底から危惧している次第だ。

その時期にあって安倍総理は積極的にアメリカを始めとする我が国と同じような主義主張を展開する諸国との外交関係の強化に奔走され、特に安保法制案を成立させてアメリカとの同盟を強化されたのは誠に結構な事だ。だが、それをも批判し非難する野党、所謂著名人、リベラル派が蔓延っている事を恰も”good news”のように採り上げて騒ぎ立てるマスコミも困ったものだと思って嘆いている。

このままに推移せんか、産経以外のメデイアは不動産王の高齢者ドナルド・トランプを批判するだろうし、結局何がしたいのかさっぱりハッキリしないヒラリークリントン有力説を流し続けかねないのだ。何度でも言うが、アメリカの民主党政権で何か我が国にとって心地良い政策が打ち出された事があったのかと、野党にもマスメデイアにも問い掛けたいのだ。もっとハッキリ言えば「アメリカ人の一部が民主党のオバマ大統領を選んでから世界で何か改善された事があったか」と声を大にして言いたいのだ。

とは言ったものの、”Better late than never”で、可及的速やかにアメリカの友人知己たちに実情を問い掛けねばなるまいとは自覚している。その上であらためてオバマ大統領と民主党の批判を展開し、共和党が真に頼むにたる候補者を出せるのかを確認せねばなるまい。ISを退治するのも焦眉の急だろうが、私はこれまで以上習近平に恣意的に振る舞われては、世界の平和というか安定は望めないと秘かに思い悩んでいるのである。その為には、アメリカ人が単に豪腕で強力なだけではなく、当たり前の事を当たり前にやってのける指導者を選んでくれる事を切望する次第だ。


良く考えてみれば

2015-11-24 07:47:25 | コラム
大病から立ち直って良くぞ横浜まで行けたと思う:

来年の1月16日で最初の心筋梗塞発症の満10年の記念日(?)を迎えることになる。その前に昨年の12月30日には三度目の正直とか言う第3回目の発症があったが、何とか切り抜けたし、今年は一時はBNP値が1.300にまで達した心不全で2度も入院していた。しかも多くの医師、看護師、薬剤師の方々が「例外中の例外では」と言われた、お医者様がごく普通に処方される胃腸薬の副作用で半年にも及ぶ下痢に悩まされ、体重が45 kgまで落ちたことさえあった。

それだけではない、11日と18日には不勉強でそういう症状が出るとは知らなかった「後発白内障」で良く見えなくなっていた目にレーザー光線照射の治療を受けていた。しかし、7月から毎週受けてきたプラセンタ・エキス注射の効果が絶大だったようで、自分でも俄に信じがたいほど体調が好転してきた。と思っている間に16日(月)から26日(木)まで予定も約束もなくノンビリとする日は17日と23日しかないほど動き続けられるようになっていた。有り難い事だ。

しかも、22日には06年から見に行ってなかったフットボールの試合の観戦に、寒空を怖れつつも横浜スタジアムにまで遠征していたのだった。着るものも固い座席にしくシアトルで何年も前に購入しておいた座布団、とでも言うのだろうか、を家内を煩わせてクローゼットをひっくり返して探し出して持参していた。あのスタジアムの観客席の急な階段を上ってゲームを見やすい上の方の席に座った瞬間の感覚は何とも言えないものだったが、「やった-」というような思いは全くなく、昨日までやっていた事をやっている気さえしていた。自分ではさぞや感無量だろうと予測していたのとは正反対だったのは意外だった。しかし、良くぞ此処まで来られたものだという感覚は時間の経過と共に湧いてきた。

8月半ば頃に06年1月頃には62 kgにまで達していた体重が45 kgにまで低下していた時には長男は「ひょっとすると」と最悪の事態まで想定しておくべきかと考えたほど弱っていた。その辺りは自覚していたので、あの高いところから人工芝のグラウンドに引いてあった白い線を見た時の感覚は、同じような境遇にあった人にだけしか解らないものだっただろう。その「俺は生きていたのだった」という嬉しさは試合が進むにつれて出てきた。その辺りをなるべく抑えて感情を押し殺した観戦記はブログでも意外なほど食いつきが悪かったのは残念でもあるが、誰かは解ってくれるだろうと思って書いたものだと、ここに告白しておきたい。

フットボールを生で見るのはどうやら10年振りだったようで、それほど早い訳でもない大学生の動きにも中々目がついていかなかったし、何度か誰がボールを持っているのかを見失った(騙されたでも良いが)場面があったのは、正直に言って口惜しかった。だが、そんな事はどうでも良いので、こうやって観戦できるところまで到達できた事に意義があると自覚して、ただ単に見る事だけに嬉々として集中していた。

幸いにして今日24日に至るも別段体調に変化はない。しかも本日は国際医療研究センター病院での循環器科の定期検診がある。良い結果が出てくれるものと信じて出掛ける気構えだ。良ければ、12月6日(日)に川崎スタジアムで開催される日大フェニックス対関西学院大学ファイターズの甲子園ボウルならぬ2位同士の「東京ボウル」を見に行けるよう摂生に努めねばなるまいと、今から自分に言い聞かせている。

関東大学アメリカンフットボールリーグ戦最終日観戦記

2015-11-23 14:21:05 | コラム
何年振りかで学生のフットボールを観戦した:

昨22日は折角横浜まで行きながら日大フェニックスの試合の後半を見ないで横浜から帰宅できたのが19時半を回っていた。流石に少し疲れを感じて早寝にした。何年振りかで見る学生フットボールでやや興奮気味だったが、長時間の外出でも今朝には体調には何らの影響が出ていない様子で一安心。

今朝は愚息の勧めもあって長時間を要するのは覚悟の上でWindows 8.1から 10に変換を開始し。08:13から開始して終わって見れば11:30分近くで、その間はPCには触れることも叶わず、苛々していた。終わって見れば”Internet Explorer”が何処かに消えており、検索が出来なくなるのかと一瞬慌てた。ほぼ一日フットボールの中で過ごしたので(と言うのものも愚息と一緒では多くの関係者が現れるので、話題が極めて制限される中にいたとの意味)他に語れる材料がなく、観戦記を纏めた次第。

昨日は曇っている上に寒さもあって多少は気になったが、愚息に同道して貰って遙か横浜のDeNAがホームグラウンドにしている横浜スタジアムまで既にリーグ優勝を決めてしまった早稲田対慶応と、2位争いになる日大対法政の2試合を観戦に出掛けた。途中の川崎から横浜市内にかけての景観の変化というか高層ビルの乱立には目を奪われるものがあり、過去に目印にしていた建物等が何処かに埋もれて自分が今何処までスタジアムに近付いたかの判断が出来なくなっていたのには恐れ入った次第だった。

横浜スタジアムはこの度DeNAがその管理会社を買収したとか聞いているが、余程の投資をして古色蒼然とした設備を改善しない限り、熱心なBay Starsのファンなら兎も角、偶にしか訪れない私には余り魅力を感じないスタジアムである事は変わっていなかった。我が国のこの種の設備を設計する建築家たちは最低でも何らかの競技を経験した上で、集客能力に優れたこの種のアメリカのスタジアムを見学してから取りかかるべきだろうと痛感した。この批判はこれからデザインされ新設される国立競技場にも十分に当てはまると思う。かのザハ・ハデイドさんの設計などはこういう視点が完全に欠如しているのではとの印象があった。

さて、フットボールである。早稲田は既に優勝が決まって関西の優勝校と甲子園ボウルを戦うことになっているので(これにはやや論旨の飛躍があって早稲田は一応は関東大学リーグ以外の東日本のリーグ戦の勝者と雌雄を決してからというのが建前だが、常識的には関東の一部リーグの勝者が勝つものだ)、この試合の偵察に来ているだろう同日に関西大学リーグの優勝を争う関学大と立命館大のスカウトたちの目をくらますべく、ほとんど二軍のメンバーで試合に臨んだので、慶早戦に最善の努力を傾けてきた慶応に目を覆わしめる惨敗となった。

関西からのスカウティング団に手の内を見せないのは当然にしても、あの負け方はあの天候をものともせずに集まった観客には一寸非礼が過ぎはしないかと、私は余り愉快ではなかった。だが、それなりの収穫はあって、予てから逸材と評判が高かった慶応の#29のRB(ランニングバック)李の早稲田の二軍とはいえそのディフェンスを切り裂いて走りまくったスピードと相手の守備体系を見抜いてコースを選ぶ能力には、嘗て我が国には出てこなかった大型のRBであり、大いに楽しませえ貰えた。因みに、李君は名古屋にある南山高校という上智大学の姉妹校の南山大学の付属高の出身者だった。

如何に相手の早稲田がメンバーを落としていたとはいえ慶応は48点(タッチダウンは6本)を奪っており、それにも拘わらず早稲田に僅差で負けてしまった日大には45対ゼロで一蹴されてしまったのだから、勝負などというものは解りにくい点がある。その日大は寒さも厳しくなって病み上がりの当方がやや怖くなってきた16:45から、2位争いとなる恐らく相互に極めて不満足だっただろう法政戦が始まったのだった。海が近い横スタでは11月に17時を過ぎる頃にはかなり寒さがこたえてきた。

そこで元々の予定だった前半が終了した18時過ぎに退散したのだった。日大対法政戦の感想というか批評をすればその前の早慶戦にも同じことが言えるのだが、何処なく高校の試合を見ているような稚拙さというか、基本技が未だ(大学生にもなってと言うべきか)キチンと固まっていないかのような感が否めなかった。それは高校の指導者にも問題があることかも知れないが、大学のコーチや監督さんたちに何か手落ちがあるので、ここ数年続く「西高東低」減少の一因なのかも知れない。

遺憾ながら密かに期待はしていたのだったが、日大対法政戦には慶応の李君のような際だって優れた人材が見当たらなかったような気がしたのは残念だった。しかし、それはそれとして、久し振りに長年ファンであった日本大学の校歌を3回聞くことが出来たのは大いに欣快とするところである。これはタッチダウンを取った後に聞こえるものだと念の為に付け加えておく。

なお、帰宅してか確認したことで、日大フェニックスは32対30で法政を破って12月6日に川崎で開催される東西大学一部の2位校間の「東京ボウル」に出場が決まった。何とその相手は同じ時刻に関西で立命館大に敗れて連覇を逃した関西学院大学となったのは何とも言いようがない皮肉である。フットボールファンには遍く知れわっていることで、赤のユニフォームの日大フェニックス対紺の関学ファイターズの甲子園ボウルこそがファンが渇望する甲子園ボウルなのである。それが今年は川崎で開催されるのだ。両校はさぞかし気合いが入るものだと期待したいのだが。


11月22日 その2 毎日が楽しくなる手帳術

2015-11-22 20:09:39 | コラム
President誌2015 12 14号の特集:

最新のPresident誌の表紙に大きく「手帳術」とある。その上には「効率100倍!自分が変わる」とある。実は、私は1994年1月末でリタイヤーするまで手帳は買ったことはあるが、実際に有効活用していなかったし、持ち歩いてもいなかった。此処からは何故そうしていたかとの自慢話と反省記を。

実は、私は仕事の面では何事も記憶力に頼っていたので、何かメモに取ると書いた時点で忘れてしまうという特技もあり、書くのが倒だと思って記憶力に任せていたたので、此処は覚えておく必要があると思った時点で先ず忘れることはなかった。仕事上のことだが。具体的にいえば、所謂電話帳の類いは作ったことがなかったし、作ろうとも思わず全て覚えておくようにしていた。

同様に手帳を使う所謂予定表も作ったことがなかった。全て記憶しておいてその場で「ご予定は?」と尋ねられても記憶から呼び出して、如何なるアポイントメントでもその場で成立させていた。これには何度か客先に不信感を招いたこともあったが、繰り返すうちに何とか信用して頂けるようになった。だが、これには多少裏があって、スケジュールは全て有能な秘書任せだったので、聞かされた予定を記憶していれば済むことだったのだ。危なければ、後で彼女に確認すれば済むのだった。

更に私は毎日の行動と客先との折衝の記録というか日誌の類いは、全て報告書の形に纏めて直轄の上司だった副社長に提出していた。その内容は上記のように全て記憶から呼び起こしていたのだが、1~2時間の会談であれば、ほぼ間違いなく纏めることが出来ていた。通訳をする場合には何度か「30分くらいは話し続けられても大丈夫です」と真顔で保証したほど記憶力に自信があったが、現実には10分も続く長広舌はなく、問題になったことはなかった。

即ち、通訳の専門家が取っておられるようなメモは一切取らないという意味である。メモを取ろうとするか、また取ってしまうとその間に聞き漏らしが生ずる危険性もあったし、メモをするのが面倒だとの簡単でズボラな理由もあった。但し、英語の数の数え方は”million”だの”billion”だのという日本語にはない単位があるし、10万を”hundred thousand”等というので、記録せざるをえなかった。

未だ自慢話が続くが、アメリカの会社の出張旅費は全て実費精算であるので、詳細にメモを取っておかないと何時何処で幾らのtipを誰に払ったのかなどは覚えていられないというの常識だ。だが、私は2~3週間の出張ならば全て記憶で先ず細大漏らさず整理できたので、先ずメモは取らなかったし、如何なる出費でも全て領収証を取って保管していた。余談だが、tipも請求すればレシートは取れると聞いたが、貰ったことはない。

故に手帳術は全く心得がないという自慢話をするのではなく、若い頃にもいわれたし、自分でも恐怖に感じていたことは「老化して記憶力が退化したらどうする気か」は十分に意識していた。本日、戸籍上は兎も角、満83歳の誕生日を迎えて、物覚えが悪くなってきたことをあらためて痛感している。極端に言えば手洗いの中で思い付いたことを書き出そうと思ってPCの前に座って「はて、何だったか?」となるようなものなので、ただ今慌てて書き始めた次第だ。