新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

17日夜のPrime News

2017-11-18 07:48:01 | コラム
立派な論客が語ってくれた興味ある内容だった:

3人とは石井一氏(83歳、甲南大学→スタンフォード大学大学院、と敢えて学歴を付記)、堺屋太一、中西輝政京都大学名誉教授だったが、本来は石井氏は予定されていた石原君が体調不備で代わりに出席した由だった。

当方は未だ未だ強い薬が効いていてボンヤリした頭で横になって聞いていただけ。ゲストの着席の順番で石井氏から発言を開始。簡単に言えば、彼の発言の内容はたのお二方と比較すれば幅が狭く大したものではなかった。面白いと聞いたのは、彼は金丸信を団長とする北朝鮮訪問団で金日成の時代に平壌を訪れており、その際に金日成に我が国と平和条約の締結を懇願されたとのこと。彼の推測では「DPRKは深刻な資金不足で条約を結ぶ事によって、我が国から資金が導入されることを期待した」だったそうだ。

彼は続けて、「小泉総理の訪問に際しても金正日は父親と同じで条約締結と援助の依頼があった。だが、我が政府は一顧だにしなかった。それは、アメリカから『辞めておけ』と厳しく命じられたからだった」と述べた。そして、あの何れかの機会で親密に関係を構築しておけば、彼らも追い詰められて missile だの核兵器に走って対アメリカ関係を今日のような緊迫した状態にせずに済んだだろう」結んだ。

彼は反町の問いかけに答えて「民進党が四分割はされたが何時かは連結というか再度経営統合のようになっていくかも知れない。屡々こういう問い掛けをされるが言葉は濁しておくとも述べた。

次は堺屋太一氏。この辺りは少しボーッとなってしまい中西教授の発言か否かハッキリしないが、小池百合子都知事の功績は民進党を立憲民主党、参議院の民進党、希望の党に三分割してくれたことを挙げていた。だが、堺屋氏は元はと言えば80数議席あったのだから、すっきりしない党内の保守だの左派(これをリベラルと呼ぶのは言葉の誤用である。何での良いから、手元にある辞書ご覧なさい)だの中道だのが、それなりに整理されたのは結構な事だから」と語った。お二方の小池都知事の実績に対しては非常に点が辛かった。尤もだと思うが。

彼は、安倍総理とトランプ大統領が好い関係にあるのも結構なことだと認めていた。だが、覇権を目指して急激な行動を起こした習近平は要注意だと警告した。その根拠は「中国の歴史が示すように朝貢国の首脳が訪中すると、今回トランプ大統領を紫禁城ないまで自ら案内したように超厚遇して大いに気分を良くさせると同時に「自国が如何に偉大かを見せつけて示威するのだ」と解説した。トランプ大統領は外交慣れしていないので、習近平がアメリカ大統領に敬意を示した解釈しただろうが、あの28兆円だったかの約束事は現時点はどうなるか、どのように推進するのかも決まって以内だ。

最後になったが、中西教授。最も興味があったことが14年(15年?)に教授は論文を発表して「最も安倍理を支持していると世間で思われていた私が安倍総理を見切ったのである」とした上で、その理由は(教授自身の定義である「保守政治家ではなくなって失望したから」)と指摘された。先々週のMXテレビの「ニュース女子」でも多くの論客が「安倍総理は保守ではない。あれではリベラルだ。保守政治家が学校の無料化を唱え、財界に給与引き上げを要求し、社会保障に熱心になるか」等々を採り上げていた。中西教授の保守の定義は聞き漏らしたようだが、少なくとも安倍総理は野党や反安倍の fake news 左翼の新聞が喚くような右派の総理大臣ではないだろう。

11月17日 その2 fake newsばかり流すテレビ局を嘲笑う

2017-11-17 17:51:40 | コラム
彼らは間抜けで無駄な存在だ:

15日の夜からボウッとした頭脳を何とか解消しようとして、寝ながらでも聞いていて余りにも彼らが「アホ丸出し」なのに呆れて一言二言述べてみよう思い立った。

先ずは政治評論家だと彼らが銘打った伊藤惇夫から。確かTBSだと思ったが、維新の会の足立議員が「玉木雄一郎が獣医師の会から献金を貰っていながら岡山理大の獣医学部が認可されたこと未だに非難し続けている。何ら忖度があったとの新たな確証も出せていないではないか」と言っている。伊藤はそもそもが偏向した評論家であり、私は論評に値しないと思っている。

その彼は何と玉木を擁護せんとしたのか「昔に一度献金を受けただけだ」とほざいた。「将に何を言うのか」である。以前に一度だけなら無実の罪とでも言いたいらしい。一度でも百回でも、貰ったことに変わりないだろうよ。

次は日馬富士の件だ。先頃、私はNHKのKK氏(故人)の論説を借りて、「相撲の世界の歴史と伝統に輝く文化は特殊なもので『一般社会の常識とは全く異なったものあり、一般社会の常識で測ることなど無意味なのである』と指摘しておいた。その異文化の世界でも弟子を撲殺するような事件を起こした後では少しではあるが、一般人の常識に僅かに歩み寄ってきていた。

だが、TBSが呼んできた相撲ジャーナリストと言うが相撲を何十年間だったか担当してきた人物で、その発言は明確に「相撲愛」に満ち満ちていて、何としても聖なる相撲界を擁護したい意図が明白で、私には聞き辛かった。彼は恐らく相撲協会と如何なる者どもの集まりか、重ねて言うが「世間の常識」とは無縁な15~18歳の頃から(近年は大学を経て来た者たちも増えてはいるが)特殊な世界で過ごしてきた世間知らずばかりなのだ。因みに、当方が子供の頃は笠置山という早稲田大学出身者がいたがね。

私はマスコミの中には60年以上も前にKK氏が指摘された実態を知らぬ者も未だにいるだろうとは考えている。ではあっても、この日馬富士の一件を「恰も相撲界の実態を何も知らぬが如くに装って」報じているのは笑止である。彼らは何故か「撲殺事件」には触れずにいる。あの事件の親方は実刑を受けたのだ。今回は現職の聖なる(?)横綱である。各局の報道の姿勢を見ていれば、視聴者に向かって野次馬的な姿勢を採っているだけだ。恐らく、彼らは非常識な協会幹部に阿っているだけではないのか。それでは、スポンサーを恐れる何の役にも立たないマスメディアの一角を占めるだけの視聴者を欺く fake news を発信しているだけの無駄な存在である。

彼らは屡々「知る権利がある」と「真実を報道するのが我らの務め」などとほざいているが、嘘っぱちだと思うよ。


11月17日 その2 fake newsばかり流すテレビ局を嘲笑う

2017-11-17 17:47:19 | コラム
彼らは間抜けで無駄な存在だ:

15日の夜からボウッとした頭脳を何とか解消しようとして、寝ながらでも聞いていて余りにも彼らが「アホ丸出し」なのに呆れて一言二言述べてみよう思い立った。

先ずは政治評論家だと彼らが銘打った伊藤惇夫から。確かTBSだと思ったが、維新の会の足立議員が「玉木雄一郎が獣医師の会から献金を貰っていながら岡山理大の獣医学部が認可されたこと未だに非難し続けている。何ら忖度があったとの新たな確証も出せていないではないか」と言っている。伊藤はそもそもが偏向した評論家であり、私は論評に値しないと思っている。

その彼は何と玉木を擁護せんとしたのか「昔に一度献金を受けただけだ」とほざいた。「将に何を言うのか」である。以前に一度だけなら無実の罪とでも言いたいらしい。一度でも百回でも、貰ったことに変わりないだろうよ。

次は日馬富士の件だ。先頃、私はNHKのKK氏(故人)の論説を借りて、「相撲の世界の歴史と伝統に輝く文化は特殊なもので『一般社会の常識とは全く異なったものあり、一般社会の常識で測ることなど無意味なのである』と指摘しておいた。その異文化の世界でも弟子を撲殺するような事件を起こした後では少しではあるが、一般人の常識に僅かに歩み寄ってきていた。

だが、TBSが呼んできた相撲ジャーナリストと言うが相撲を何十年間だったか担当してきた人物で、その発言は明確に「相撲愛」に満ち満ちていて、何としても聖なる相撲界を擁護したい意図が明白で、私には聞き辛かった。彼は恐らく相撲協会と如何なる者どもの集まりか、重ねて言うが「世間の常識」とは無縁な15~18歳の頃から(近年は大学を経て来た者たちも増えてはいるが)特殊な世界で過ごしてきた世間知らずばかりなのだ。因みに、当方が子供の頃は笠置山という早稲田大学出身者がいたがね。

私はマスコミの中には60年以上も前にKK氏が指摘された実態を知らぬ者も未だにいるだろうとは考えている。ではあっても、この日馬富士の一件を「恰も相撲界の実態を何も知らぬが如くに装って」報じているのは笑止である。彼らは何故か「撲殺事件」には触れずにいる。あの事件の親方は実刑を受けたのだ。今回は現職の聖なる(?)横綱である。各局の報道の姿勢を見ていれば、視聴者に向かって野次馬的な姿勢を採っているだけだ。恐らく、彼らは非常識な協会幹部に阿っているだけではないのか。それでは、スポンサーを恐れる何の役にも立たないマスメディアの一角を占めるだけの視聴者を欺く fake news を発信しているだけの無駄な存在である。

彼らは屡々「知る権利がある」と「真実を報道するのが我らの務め」などとほざいているが、嘘っぱちだと思うよ。


16日から最悪の状態に苦しめられて

2017-11-17 12:20:24 | コラム
最悪の状態に苦しめられて:

自律神経失調症に風邪が加わって15日の夜から発熱するという最悪の状態となってしまった。その状態がドンドンと進んでいった為に16日の早朝には37.8度にまで上がってしまった。思考能力も衰えた上に食欲も極めて不振となってブログの更新もかなわず、ジッとして寝ているだけだった。しかも、16日は木曜日で掛かりつけのSクリニックは休診日であり、為す術もなかったのだ。

17日は精神安定剤も効かず、一睡も出来ずに夜が明けて5時の体温も37.5度と私にとっては異常な高温で食事を摂る意欲もない状態。そこで、何とかよろめく足を踏みしめて正常ならば徒歩10分の道を20分以上もかけてSクリニックに到着。幸いなことにS医師が早く出ておられたので、注射をして頂けて、薬も新たに処方して頂いて、往路には呼んでも配車して貰えなかったタクシー無事帰宅。

S医師には「何処にも危険な兆候はなく、先ず風邪を何とか抑えよう」との診断だったので、少し安心して帰宅できた。何れにせよ、未だ未だこのメールに通常の何倍もの時間をかけて、何と仕上げたところと言う弱り方だ。



11月15日 その2 私の英語論

2017-11-15 11:35:49 | コラム
私が考えている英語とは:

私は以前にも述べましたように、1972年に偶然の積み重ねで「行きたい」とも「行こう」とも「行ける」とも考えていなかったアメリカの会社に転進してしまいました。それ以前に新卒で採用して頂いた会社では約16年間全く英語とは無縁の国内販売の営業担当でした。最早、英語は趣味にしようかとすら考えていました。

しかし、13歳から学校教育で教えられ、そこに加えるにGHQの秘書の方から厳しく教え込まれた生きたEnglishの基礎が固まっていたようで、転進前のM社のオウナーから受けたインタビューでも前日まで英語の世界にいたかのようにごく普通に語ることが出来ました。これは「三つ子の魂百まで」とでも言いましょうか、基礎をどのように固めておくかという重要な勉強法があると示していると思いました。

そして、その転進した先の2社が完全に仏文学者のTK博士が指摘した「支配階層」に属する大手で、その中で知らず知らずの間に「支配階層の英語」に感化されていきました。その格調を表す例として屡々採り上げてきたことで「swearword如きを我が社の社員が使うことなどまかりならん」という厳格さがありました。しかしながら、我が国の学校教育ではslang(=俗語、隠語、符牒)と汚い言葉と見做されているswearwordなどの存在などは全く教えられていないのです。

そこで見えてきたことが、我が国の学校教育で懸命に善意で教えているのは「科学としての英語」であり、生徒や学生に優劣の差を付ける為の手法であって「English」とはほど遠いものだというどうしようもない事実でした。それは数学のように教えているだけで、彼らの国アメリカとの文化と思考体系の違いが全く加味されていないというか、違いを知らないというか、解っていない為に、読解力は付いても実用性に乏しい英語しか教えていないという事実でした。そのような教え方をされた方々が「6年や8年も勉強しても一向に話せるようにならないのは何故か」という見当違いの不満を言うという笑おうにも笑えない事態が発生するのでした。

実用性などは英語を勉強する者の全員が必要とはしないのですが、通じなかった連中が不満を言い出すもので、言われた文科省等が慌てて小学校3年からとか、何処の馬の骨かも解らないような食い詰め者と呼んでも良いと私が見做す何の役にも立たないnative speakerを連れてくる愚挙まで犯しています。この点は、彼らの英語がどのような階層に属するかの判断すら出来ていないから生じる過ちだと思っております。

何度も採り上げてきた例ですが、London Cockneyやオーストラリアやニュージーランドの訛りの中にはI came here today.が「アイ・カイム・ヒアー・トウダイ」と「今日ここに死にに来た」と聞こえるようになってしまうのです。そういう英語を覚えてどうするのですか、お里が知れるだけです。

このような結果になるのは、英語圏の諸国では訛りも発音も違うこと、slangとswearwordの区別も付かない英語を教え、idiomatic expressionsを教えていないのです。更に自分の意見こそが尊重される文化の国の言葉なのにThey say ~.だの I was told ~.だの It is said that ~.だのという伝聞を表現する英語を教えてしまうのです。彼らは伝聞をほぼ絶対に評価しません、特にビジネスの世界では。なお、何処で切るかの問題ですが、It is saidで一旦切って、新たにthat以下を読むか言うようにすることが正しい英語です。この点では、トランプ大統領は不正確だと指摘しておきます。

私は1990年春にエッセーの連載を始めた頃には「それはそれで良いのだ」と我が国の学校教育の英語を批判する気もなく、論じたこともありませんでした。だが、そのように実用性に乏しく、一歩間違うと低層階級の英語に訳も解らずに染まってしまうような人が多いと気付くようになって、リタイヤー後には英語教育の批判をTK博士たちと始めましたし、数校の大学や某市の市民講座で「本当のEnglishとは」を語るようになりました。

しかし、こういうEnglishに対する支持者は少なく、私のあの本にした以外の英語論を出版使用と企画して下さった方々は、出版社に「これを出版しても売れないだろう。それは、この本を読んで面白いと評価するだろう読者は、こういう種類の本を必要としない英語というかEnglishの知識の持ち主だから」との理由でボツになりました。それほど我が国では学校教育の英語とTOEIC如きが信頼されているのです。

我々と敢えて申し上げますが、支配階層にある一握りのアメリカ人たちの中で22年以上も過ごし、子供の頃から習い覚えた本当のEnglishを普及させることは極めて難しいと認識しております。ではあっても、仮令遠吠えであっても、ブログでは書き続ける所存です。

最後に一つ、あの本を出して感激した挿話を。あの本を2冊買って下さった某商社の幹部が友人で翻訳を生業としておられる方に贈られたところ、「どうして私がこの本を探していると知ったのか。この本は我々同業者の中で知れ渡っているので、探していたのだ」と言われたそうです。上梓して良かったと感動でした。未だ未だ言いたいことはありますが、それはまたの機会に。