新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月11日 その2 テレビ局のNPBの野球中継に言いたいこと

2022-09-11 11:39:20 | コラム
セントラルリーグ就中ジャイアンツに偏向しすぎでは:

昨10日の夜も他に選択肢がないので、セントラルリーグの目下の5位と6位の球団の試合を少し見ていた。日テレがジャイアンツに偏った中継をするのは解らないでもないが、納得は出来ない。彼らテレビ局は予めそのように番組編成をしてあったのかと疑うが、連覇が近いスワローズやバッファローズの試合は殆ど見ることが出来ない。昨晩などは不慣れな「らくらくスマートフォン」を駆使してスワローズがカープに蹂躙されて1回で12点も取られたと知り得たような次第だった。

バッファローズがエース・山本由伸が力投してホークスを破って首位にまで上り詰めたのは、今朝の新聞で知ったようなことだ。当方は既に述べてあったように特に贔屓にしている球団はなく、ジャイアンツを好ましくないと思っている、スポーツ全般に関心があるだけの、自称「冷静なる評論家」なので、可能な限り多くの球団の試合を見せて欲しいのだ。言うまでもないことだが、日テレがジャイアンツのファンに奉仕したいことまで批判する気はない。

特にパシフィックリーグの場合のようにバッファローズ、ホークス、ライオンズ、あるいはイーグルスも入れるべきか、上位の球団が優勝を目指して激しく競り合っている最中に、セントラルリーグのビリ争いかと言いたくなるような試合を見せて貰えても、余りゾッとしないのだ。セントラルリーグにしたところで、スワローズの試合の中継が少ないので、村上宗隆がホームラン以外に如何なる打撃振りかなどは、残念ながら見ることが出来ないので困る。

今頃になって各テレビ局に再考を求めても遅いだろうが、吉田正尚や松本剛や柳田悠岐のバッテイング振りなども見せて欲しいのだ。田中将大が何故あれほど衰えてしまったのかも検証したいのだ。こんな事を言っても、所詮は無い物ねだりか。


Englishという外国語に思う事

2022-09-11 07:50:09 | コラム
Englishという外国語と日本語とは違うのだ:

何処がどう違うのかと問われれば、私には「OSが違うのだ」くらいのことしか思い当たらない。Englishを勉強するときに少なくとも、日本語と同じような感覚で捉えていては、容易に思うように身に付かないものだと、私は考えている。特に「英文法」はその異なるOSの代表格であるから、そこに縛られると余計にEnglishが解りにくくなると思っている。

自分の経験で言えば、私は幸か不幸か中学1年の後半から「Englishで話すこと」を学んだので、文法の勉強が後から付いてくる結果になった。解りにくい言い方かも知れないが「自分が話せるようになった言語の文法という規則は後から付いてくる結果になり、比較的覚えやすかった」という記憶がある。言い方を変えれば「先に文法を教えられてそれに束縛され、自分が言いたいことと書きたいことを無理矢理文法に当て嵌めようとしないで済んだ」ということ。

偉そうに言えば「お陰様で文法は良く解るようになっていた」のだ。そして、39歳にしてアメリカの会社に転進し、英語が公用語になってしまった。1975年に2社目となるウエアーハウザーに移ってから、同僚に訊かれたことがあった。それは「君は自分の国語ではないEnglishで暮らすようになって、Englishのどの点に最も難しさを感じているか」だった。

迷わず答えたのが「時制の一致(sequence of the tense)と、定冠詞(definite article)と不定冠詞(indefinite article)の使い方」だった。彼は「時制の一致は解るが、定冠詞と不定冠詞の使い方なんて我々だって良く解っていないのだから、外国人の君が解らないのは当たり前」と言って、寧ろ大笑いだった。

実は、この難しさを如実に経験したことがあった。それは、2003年頃だったかと記憶するが、某有名私立大学のT教授がご専門の分野でのアメリカにおける最高の権威である学術誌に論文を投稿される際に、及ばずながらお手伝いをしたことがあった。門外漢の私には何が論じられているかもサッパリな儘に完成まで協力した。審査は3人の権威者が無記名の論文を読まれて、全員一致でなければ失格となる規定だった由だ。

当時はアメリカに研究留学中の教授からの連絡では「論文の内容は合格だったが、時制の一致と定冠詞と不定冠詞の使い方に問題点があるので、訂正の上再提出をとなった」だった。学術論文ともなれば、当然と言えば当然だが、あれほど教授と共に読み返していても欠点があったのかと、寒気を催したほどの恐ろしさを痛感させられた。「俺の英文法には未だ未だ力及ばぬ点があったのか」と非常に落ち込んだ。

幸いにも再提出された訂正できた論文は合格で、日本の学者としては初めてその学術誌に掲載されることになり、教授の学界における権威が立証されたのだった。

ここまでで、理解して頂きたい事は「自慢話をしているのではなく、学術の世界でも、私が永年在籍した実業の分野でも、Englishの世界では言葉についてはこれほど厳格に厳密に品位が問われるのだ」なのである。Englishを学ぶ場合には、是非ともこういう点があることを忘れずに努力して貰いたいのである。だが、念の為に指摘しておけば、我が国の一流企業にあっても社内の報告書にまでも、その社格に相応しい品位が求められているのだということ。

Englishは決して「ブロークンで良い」とか「pidgin Englishでも通じれば良いのだ」などと「ハードルを下げて」はならないのだ。私は上智大学で千葉勉教授に厳しく指導された「文法を間違えているようでは、無学で無教養と看做される厳格な世界があると承知して勉強せよ」が絶対に正しいと、後年身を以て経験した。

余計なことかも知れないが、私は上述の「ハードル」の高低を論じる言い方はおかしいと思っている。障害物レースではハードルの高さは一定である。これを言いたいのならば「走り高跳び」の「バー」のような基準が高いか低いかを取り上げる方が正しいと思うのだ。


旧統一教会について

2022-09-10 09:00:22 | コラム
旧統一教会は事件なのか問題なのか論争点なのか:

私には今日までのところ、この旧統一教会については、何が何だかサッパリ解らないのだ。何故、連日連夜大騒ぎなのかが。

自由民主党は全議員の約半数となる179名に何らかの関連があったと公表した。だが、こんな事をされたために、この旧統一教会に絡んだことが一体何なのかがわ私には益々解りにくくなってきた。この件に限らず多くの政治家(議員)が絡むことは、それが何であるかは報道からしか知ることが出来ない。しかし、今回はその報道機関が一体全体何をどう伝えようとしているのか、誰を如何なる根拠で責めたいのかもサッパリ解らないので困る。

私の場合は幸か不幸かあるいは幸運だったのか、大学の1年で非常に惨めな成績に終わった宗教学必須だったので、少しは宗教とはどのようなものかと、キリスト教にある「神観念」を一寸だけ承知している。キリスト教ではGod以外の神を信仰してはならないとされていると理解しているが、旧統一教会の正式な名称は「世界基督教統一神霊協会(せかいキリストきょうとういつしんれいきょうかい、英: Holy Spirit Association for the Unification of World Christianity)」であり、キリスト教だと称しているのだ。これも解りにくくしている一要素である。

この旧名称もまた解り難いことの一つである。即ち、the Godが寄付(喜捨?)をせよなどとかサタンがどうのと言われるのだろうか。贖罪のために物品を買えと言われるのだろうか。しかも、事ここに至っても何処にも出てこないし、誰もハッキリ言わないことに「日本は韓国を植民地にした悪行があったので、日本から金を取っても良いという指針があったこと」がある。これは「信教の自由」のうちであり、法を以て取り締まることは不可能だったのだろうか。

次はオウム真理教のようにサリン等の犯行に及んだ挙げ句に破産して宗教法人としての資格を失った団体とは異なって、旧統一教会は刑法に抵触するような罪までを犯した訳ではないが、今日野党とマスコミが自民党の議員を非難攻撃する様子は、法に触れた行為があったかのような勢いであり、一部には「魔女狩り」とまで言う向きもある。何らかの形で関連した議員は何の法に触れたのかが、私には解らない。

恰もカルトか邪教の如くに扱われている教会(協会)と何らかの形で関連したことの、何処が徹底的に批判され「ズブズブ」とまで言われなければならないのか、野党もマスコミも具体的に解りやすく解説していないのは何故だろう。旧統一教会の教義を広め、寄付をするように誘導し、嘗ては物品を異常な高額で買わせていたことを外部の(他の宗教を信じているかも知れない)者が非難攻撃する何らかの法的か何かの根拠があるのか否かが解らない。私は非難し攻撃するなと言うのではないが。

邪教だろうとカルトだろうと、憲法で信教の自由が認められている以上、それを広めている集団を「悪」の如くに見立てて、その集団と何らかの関連があった議員の名前まで挙げて公表することが正しいことなのだろうか。岸田内閣と自民党は野党とマスコミ連合軍の攻勢と世論の逆風に耐えきれなかったのだろうか。昨夜Prime Newsに登場された高井元検事は「全体主義国家になったのか」とまで非難された。誰しもが思う事は「創価学会と公明党は?」であるようだ。

私には「何とかして自公政権とは言わぬまでも、岸田内閣を潰そうとする企み」なのかとすら思えてならない。だが、自由民主党も公明党も岸田総理率いる自公政権も、如何なる法に触れる罪を犯して攻撃されているのかは解らない。未だ、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)と関係を持つことが犯罪となるという法律が出来た訳でもなく、彼らを取り締まる法的根拠がある訳でもなく、彼らに「解散命令」を出せる法律だってないのだろうと思うが、何故179名だったのだろう。

私は自由民主党には具体的且つ詳細に「何故、所属する議員たちが旧統一教会と何らかの形で接触や交流その他諸々の関係があったことが宜しくなかったのか」を解りやすく説明してくれると有り難いのだ。現状では野党マスコミ連合軍と与論とやらに圧されたように見えてしまう。また、野党とマスコミ連合軍にも「此れ此れ然々の歴とした法的且つ信条的な根拠があって、魔女狩りとまで批判されるような非難攻撃を仕掛けたのか」を明快に発表して欲しいのだ。現時点では「空気」だけが責める根拠のように思えてならない。

それだけではない。現在の我が国にはこの件よりも優先度が高くて当然な案件が多過ぎないか。財務省の高官も日銀も「円安が(経済に)悪影響があるのならば対策を講じねば」などと悠長なことを平気で曰うし、物価が上がるだけではなく「コスト上昇に耐えきれないので、製品や商品を値上げする」企業が増える一方だし、経営者は未だに賃金を上げないしという具合に、内憂が目白押しだし、外患も急増の傾向。

そこに岸田総理は「住民税非課税家庭に5万円給付」のような陳腐なカードを切ってこられた。私は野党とマスコミ連合軍が岸田内閣の追い落としを企てるのならば、標的はこのような具体的な経済的な事案に焦点を絞る方が俗受けしてしまうかと危惧するのだ。矢張り「岸田さん、お頼みしますよ。しっかりして下さい」と言って締めることになる。


9月9日 その2 街角景気診断のつもりが

2022-09-09 15:01:01 | コラム
国葬だなんて言って!!!:

本9日は早朝から国立国際医療センター(NCGM)に止むを得ぬ事情で出掛けて、言わば診察なしに近い状態で処方箋を頂いてから、高田馬場駅前のジムに回ろうと外に出た。そこには運悪く折り畳みの傘では間に合いそうもない雨降り。ジムまでにはバスを3回乗り継がねばならないので、この交通手段を諦めて、思い切ってタクシーを利用することにした。

折角の機会なので、好みである「街角景気診断」を試みようと「運転手さん、景気はどうですか」と振ってみた。穏やかな語り口の人だったが「とてもダメです。一向に上向きません」と答えてくれたまでは良かった。だが、話が岸田総理に及ぶと俄然口調がきつくなってきた。「こんな時に国葬をやるなんて言い出して。あれだけ税金を使うのだったら、そっちを止めてこっちに回して欲しいですよ」と憤慨していたのだった。

私には大袈裟に言えば「目から鱗」の感があった。それは世論調査とやらで、国葬反対が50%を超えてしまうのは、今回は立憲民主党の泉健太が代表するような野党とマスコミ連合軍が誘導している結果だろうと本気で疑っていたのだから。だが、たった一人のタクシー運転手さんから聞いただけだが、不景気に悩まされている言わば個人事業主のような人たちは「岸田さん、税金の使い方がおかしいぜ」と憤っているのだろうと解釈したのだった。

まさか、年金生活者である後期高齢者が度々タクシーを利用することでもないが、今回のような形で「街角景気診断」を試みてみることもまた、為政者にとっては必要ではないのかと何時も思うのだ。議員は安全のためにもタクシーを利用しないだろうが、数を抱えておられる秘書さんたちなら出来ることではないだろうか。憤慨する運転手さんを慰める間もなく、タクシーがNCGMの玄関に到着した頃には雨も殆ど止んでいた。


アメリカの企業に見る「今昔物語」

2022-09-09 08:04:29 | コラム
アメリカでは製造業が衰退:

私が既に取り上げた「今昔物語」に関連して、畏メル友RSと意見交換をしたので、新たにアメリカにおける企業の今昔物語を考察してみようと思う。

私は「製造業こそ会社のあるべき姿であり、製造業の繁栄が国の成長発展に貢献するのである」というような時代に育ってきたと思っている。そして、未だ未だ我が国では「物を作る会社」はアメリカほどに衰退していないと思っている。

例えばア、メリカではデトロイト、鉄鋼業、紙パルプ業界等は衰退と言えるだろうし、古くは繊維産業には見る影もないのがアメリカの製造業だ。だが、GAFAMはあの盛況である。一方、我が国には日本版「GAFAM」は登場していないと思って見ていて誤りではあるまい。

企業というものは創意工夫して時代に対応するか、自ら変化を創りだしていくか、自分で時代に即応して変化して行かない限り、生成発展もできないし、長続きできないのではないのか。嘗て、シアトル市郊外のショッピングセンターの片隅に誕生したマイクロソフト社とは「コンピュータのソフトを創っている」と聞いた時は、そんなことが商売になるのかと奇異に感じた。PCなど影も形もなかった頃のことだ。

シアトル市の南の外れにあったスターバックスは、最初はコーヒー豆屋だったとWikipediaにあった。それが82年に今の業態に変え、80年代後半には我が社の広大なカフェテリアの片隅に幟を立てて進出。「あれは何ですか」と副社長に尋ねると「何でも、これまでのコーヒーではなく、苦いのが売りだそうだ。一杯試して見ろ」と言われて飲んでみれば、我が国にあるような普通に苦いコーヒーだった。「これがアメリカで受けるか?」と誰しもが思っていたが、今日の盛況。

2,000年にリタイアした後で初めてアメリカに「pleasure trip」で出掛けていったときのことだった。歓迎してくれた旧知の元は大型貨物船部門の副社長だったP氏の日本人の奥方が、旦那にせがんでスターバックスコーヒーの店舗の長蛇の列に並んで「カフェラッテ」を自宅で出来るマシンを買って、夕食の後で振る舞ってくれたのだった。これが、あの古いビルに本社があったコーヒー会社かと、僅か6年の間にこの成長かと驚嘆させられた。

この元P副社長はアメリカ最大のコンテイナー船のSeaLandから、我が社が作った自社の大量の対日輸出の製品を運ぶための会社に引き抜かれてきた人物。そのウェアーハウザーの船舶部門のWestWoodも、SeaLandも、APLも消えてしまった。だが、今や我が国のNYKもMOLもKーLineも大繁盛。時代の変化は解らないものだし、急速なのである。

ウエアーハウザーはドイツからの移民がワシントンとオレゴン両州の森林をインディアンから買い取って材木会社として発展して成功し、1900年に法人化した。そして、更に自社の木材(天然)資源を有効活用すべく川下である紙パルプ産業へと縦方向への多角化経営に成功し、アメリカ国内での上位50社に入るまで発展した。だが、インターネットとディジタル化の急速な発展に遭い、印刷(紙)媒体の将来を不安視して2005年から紙パルプ部門からの撤退を開始していた。

製紙産業の将来に見切りを付けたという点では、アメリカ最大即ち政界最大のインターナショナルペーパー社も同様で、ウェアーハウザーに遅れること2年で撤退を開始した。最早アメリカ国内では印刷用紙類の生産はしていない。私はこの辺りの果断に見える経営判断は「二進法的思考体系の為せる業だ」と断じている。即ち、「継続か完全撤退か」の二択である。我が国の思考体系にではあり得ないことではないだろうか。

アメリカは未だに建国以来250年に満たない国であるから、創業100年などという会社が少ないのだろうが、我が国には江戸時代から存続している店は幾らでもある。紙流通業界の大手である新生紙パルプ商事株式会社を構成している一社の元の岡本商店は、その起源は元禄時代にあり、大昔の電信略号は「げんろく」だったのだ。

「何だ。結局はそれが言いたいのか」と言われそうだが、この辺りに我が国とアメリカとの文化と思考体系と価値の基準の相異があるのだと思っている。このように言う事が正しいかどうかは知らぬが、我が国には未だ斬新なこと、先例が少ない物は容易く受け入れて貰えない感があるのだ。だが、長命の会社や商いの形態は残っている。