新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月17日 その2 あらためて自由民主党総裁選に思う

2024-09-17 13:21:17 | コラム
誰も「MNGA」(=ムンガ)とは言っていない:

昨夜はBSでは日テレ、TBS、フジ共にこの自由民主党総裁選の言わば特集だった。未だ中間報告かも知れないが、非常に勉強になった。お陰様で何処にどのような問題があるのかが良く分かった。それは、既に指摘してあったことで、この選挙の結果次第では「自由民主党国会議員と党員に良識有りや無きや」が見えてくるのだ。

先ずは見出しに掲げた「ムンガ」であるが、トランプ氏の標語からの頂きで、“Make Nippon Great Again”である。何もかも停滞気味でドイツに抜かれて世界第4位に経済大国に成り下がり、人口が中国を上回ったインドにも追い越させかねない日本を「以前のように偉大に、と言うかジャパン・アズ・ナンバーワンのようにしましょう」と唱えていたのは、高市早苗さんだけなのである。

そうかと思えば、ニュースで「選択的夫婦別姓制度が重要な論点となりつつある」などと報じられる始末だ。確かに重要かも知れないが、憲法改正や景気回復や原子力発電と再生可能エネルギーとどちらを優先すべきか、拉致被害者奪還等々よりも優先すべき課題だとは、私にはとても考えられない。国民を惑わしかねない議論ではないか。

それに加えて、専門家である政治ジャーナリストや通信社のエキスパートの解説を聞いていると「小泉進次郎氏を推す国会議員が多いという事は、彼の知名度と人気の高さならば解散総選挙の場合に党の顔となり得るからだという考えがある」のだそうだ。何の事はない、それでは「自己保身というか選挙の時の都合に過ぎない理由で、MNGA等は頭の片隅にしか置いていない連中なのでは」と心底疑いたくなった。

小林鷹之氏は出だしでは「国家を牽引したい」とは言っていたが、その後は「国家の為に粉骨砕身」のようなことは言わなくなった。小泉進次郎氏は当初打ち出した「解雇をしやすくする法制度」から一歩も二歩も後退した。この案件にしたところで、私が上に掲げた項目よりも重要なのかなと疑問に感じてしまう。

後難を怖れずに言えば「枝葉末節のような問題ばかり掲げて論じているのではないかであり、372名マイナス9=363名ほどは弱ってきた自由民主党の勢いでは、自分の当選の心配ばかりしていて「ムンガ」に気を配っている暇などないのかな」と思えてならないのだ。この辺りが、私が指摘する問題点「自由民主党の国会議員たちの良識に賭けたい点」なのだ。

付けたりの話になるが、あるジャーナリストは「小泉さんが立憲民主党の野田さん(当選されると仮定して)との党首討論会でもあったときに太刀打ちできるのだろうかと、地方の党員に尋ねてみたら、否定的な答えをした人が多かった」と語っていた。

色々と余計なことを言ってきたが、ここまでに止めて、27日まで良識が何処まで機能するかと、結果を待つことにしようと思うのだ。妄言多謝。

この際言っておこうと思うこと

2024-09-17 07:38:15 | コラム
腹が立つこと、情けないこと:

楽楽精算のCMは腹立たしい:
所謂「時計代わり」として早朝見ているチャンネルに5時半頃になると必ず出てくるのが、この滝藤と横沢を使った怪しからんCMである。何が怪しからんのかと言って、この株式会社ラクスが提供するCMではズーッと「紙は怪しからん」と言い続けていることなのだ。現在流しているのは「滝藤にプリントアウトされた書類を持たせて『紙の請求書は時代遅れ』であるかのように言わせ、その背景にコピー用紙を三つほど積み重ねて紙代も郵便代も上がる時期だからネットにしてコストを削減しましょう」のように言わせるのだ。

超後期高齢者である私ですら、事務の合理化と経費節約志向くらいは理解している。だが、如何にも紙が怪しからんとでも誤解させるかも知れない表現には、紙パルプ業界で長年過ごしてきた者としては本当に腹が立つし、許しがたいのだ。最悪でも「紙の請求書を辞めよう」ではなくて「プリントアウトするのを避けましょう」くらいにしろと言いたいのだ。

この会社のCMは「紙は自然環境破壊」と言いたい雰囲気で、紙パルプ産業界の在り方を誤解し、誤認識しているのには、怒る前に情けなかった。紙パルプ産業が国内の森林から野放図に樹木を切り出して、自然環境を破壊しているなどという妄想に近い誤解は、80年代の頃のことであり、時代遅れの感覚だ。製紙会社は自社の森林地に計画植林・伐採しているし、森林保護法があって無闇に伐採など出来ないのだ。第一、大手製紙会社は海外に森林地を持ち、そこから国内に原木とチップを輸送している時代だ。

認識不足は何もラクス社だけに限られていない。東電も小田急百貨店も請求書をオンライン化する際に「自然環境を保護する為に紙を使うのを辞めますが、従来通りにプリントアウトした形をお望みならばお知らせを」などと言う目を疑いたくなるような戯言の文書を送ってきていたのだから。

誠に腹立たしいし、情けない事はと言えば、そもそも製紙産業は自然環境の破壊などしていなかったのにも拘わらず、実態を知らない環境保護論者どもが紙パルプ産業を目の敵にして非難攻撃した為に生じた誤認識が、未だに消え去っていないのである。念のために楽楽精算に教えてあげるが、今やコピー用紙などは過半数が輸入紙なのである。原産地国にでも赴いて「森林を無駄にするな」とでも言ってくれば良い。

一寸情けないと感じること(自分の国に誇りを持とう):
昨日から真田広之の「SHOGUN」がエミー賞を独占したと、各テレビ局が我が事のように喜び続けている。「情けない」と言いたい私だって「立派なことだ」くらいは分かっている。では何が情けないのかと言えば「我が国のマスコミは戦後70年以上も過ぎて世界に冠たる国になっているのにも拘わらず、未だに海外に出て輝かしい成績を残すことが何物にもまして素晴らしい国威の発揚であるかの如くに欣喜雀躍すること」だ。

戦後間もなくの頃には、海外渡航も制限されていて企業であれ、スポーツであれ、芸能であれ、何であれ海外に出て行って認められさえすれば一大事業を成し遂げたかのように賞賛されていた。古橋広之進さんが続々と世界記録を出して敗戦に沈んでいた国民の士気を高めた。湯川秀樹博士のノーベル賞受賞も「日本国、ここにあり」と大いに国威の発揚となった。

他にも、野球では野茂英雄が大リーグに進出して三振を取りまくると我が事のように喜びに酔いしれた。音楽やballetのコンクールで3位以内に入れば褒め称えた。大谷翔平の大活躍にしたところで、あの連日のような過剰とでも言いたくなる報道振りだ。彼をあれほど賞賛するのならば、北口榛花さんのオリンピックの優勝とDLの連覇をもっと讃えても良くはないか。

何が情けないと言って、我が国が最早G7の一員である世界の一流の国になったと遍く認められている存在であるにも拘わらず、海外で何らかの賞を獲得したくらいで舞い上がる必要など無用なのではないのか。賞を取った人たちの弛まぬ研鑽と日頃の努力を褒め称えるのは当然だと思うが、喜びすぎに見えて仕方がない。世界第4位の経済大国らしく、その国のマスコミにも矜恃を持って欲しい気がしてならないのだ。

最後にカタカナ語排斥論者でローマ字批判派から一言。エミー賞の会場で女性が「将軍」=SHOGUNを「ショーガン」と読み上げたこと。アメリカ人ならば先ず「ショーグン」とは読まないのだ。

9月16日 その2 英語とカタカナ語について一言

2024-09-16 14:55:27 | コラム
言葉は正しく理解して使いましょう:

*ライドシェアー:
自民党総裁選に立候補しておられる小泉進次郎氏と河野太郎氏は、このライドシェアーの推進派だと理解している。しかも、御両所ともアメリカの一流私立大学留学経験者で、小泉氏の場合は修士号まで持っておられる。即ち、高い英語力の持ち主であるという事だと認識している。

そこで、疑問に思う点を取り上げてみよう。それは「ライドシェアー」というカタカナ語を英語にしてみれば“ride share”となって、文法から見れば誤りなのである。解りにくくなるかも知れないが「動詞が二つ続いていては意味を為さない」のだから。さらに、アメリカでは通常は“ride sharing”と言われているにも拘わらず、彼等は「シェアー」というカタカナ語をそのまま使っておられる点だ。

河野氏は現職のデジタル化担当大臣であり、小泉氏も環境大臣という閣僚経験者だ。それならば、「ライドシェアー」を推進されるときに「この言葉は本来の英語と同じように『ライドシェアリング』と表記すべきであり、私はその表現を使う事を、関係する各方面に要望したい」とでも言って欲しかった。国務大臣たる者はカタカナ語の表記を訂正するくらいに、国語に対して厳格であるべきではないのだろうか。

第一に、これまでに何度も指摘してきたことで、河野氏の担当である“digital”の正確な発音をカタカナ表記すれば「ディジタル」となっても、「デジタル」ではあり得ないのだ。「次の質問を」だの「それは何処の河野さんの話」などと人を食った答え方をするくらいなら「デジタルって何の事」くらいは言って欲しかった。

*CPA:
先ほど、公認会計士のTS氏をCPAのTS氏としてあった。このCPAは“Certified Public Accountant”の頭文字を取った略語で、全世界共通かどうかまで確かめたことはないが、アメリカでは使われている。

だが、2006年1月に一回目の心筋梗塞を発症して以降、何度も循環器系に異常を来して救急車で搬送され病院で治療を受けた結果で、医療の専門語と救急隊の用語を何時の間にか覚えてしまった。その中に、実は「心肺停止」乃至は「心停止」の意味で使われている“CPA”があったのだ。最初の内は気にしている暇などなかったが、「何故、公認会計士が関係するのかな」とは感じていた。

だが、看護師さんたちに訊けばCPAは「心肺停止」の状態の意味で、生命の危機のことであると知るようになった。そこで調べてみれば、CPAとは“Cardiopulmonary arrest”の略語であると分かった。実は、私は2006年8月に意識を失って心臓マッサージまで受けたことがあった。看護師さんに訊けば「それはCPAだった事よ」だった。

真っ暗で何にも見えない世界でふわふわと浮いていたようだったと覚えているが「花も咲いていなかったし、川も見えていなかった」ので、そういう話は俗説だと思っている。CPAから話の筋が変わってしまったが「同じアルファベットを使った略語には二通りの意味がある」という点を取り上げてみた次第。

自転車は危険な乗り物ではないのか

2024-09-16 07:24:49 | コラム
何故、人々はあれほど自転車に乗りたがるのだろうか:

先ずは導入部として「1990年代に初めて上海に行って、自転車専用の幅広いレーンを無数の自転車が走っている状態を見て驚愕させられた。これは土地が広い中国でから可能なことで、我が国で多くの自転車が公道を走り出したらどうなるのだろうか」と、心配させられていた。ところが、「我が国では自転車は著しく増えたが、道路行政はとても追いついていない」と言っておこう。

次には「自転車を漕ぐ運動は体の為になる」と言われていることがあり。確かにその通りであり、私が2015年に重度の心不全で入院した回復した後には、リハビリテーション科で毎日小一時間の運動があったが、その中にはエアロバイクを20分間も漕ぐという科目もあった。という具合で、健康の為になると信じている人が多いのだろうと思う。現に、ジムでもエアロバイクでは常時大勢の人が懸命になって走っている。

昨日取り上げたアメリカ・カリフォルニア州のBARTから、CPAのTS氏が自転車有害論とでも言いたい意見を寄せて頂いた。日頃から「無謀運転であり法律無視の自転車が歩行者に与える危険性」を訴えてきた私には大いに賛成したい内容だった。

特に支持したし賛成したかった点は「自動車やバイクと違って、保険もないまま走り続けているように思えてならない。せめて、歩道を走る自転車は保険付きでないとダメ。くらいな事はしておく必要があるのに。」という主張だった。私はすべからく「自転車皆保険制度」でも設けて欲しいとすら考えている。

何年か前のことで、片手に飲み物かスマホだったかを持った若い女性が歩行者をはねて、死亡させたという事件があった。自転車に乗っている人たちには、それほどの危険性がある乗り物だという意識か自覚があるのだろうが。いや、ないのだろう、あればあれほど傍若無人に乗り回せないだろう。

交通問題の専門家が「電動アシスト付き自転車の前後に子供を乗せると、その重量は100kgを超える。それが20kmででも疾走して歩行者に当たれば重傷だけでは終わらない大事故になる」と指摘していたのを承知して、乗っているのだろうか。兎に角自転車通勤というか、最寄りの駅まで自転車で乗り付ける人の数は減ることがないようだし、歩道を我が物顔で疾走する輩も跡を絶たない。

その状態に対応して行政(地方自治体か)が打った手は、放置自転車の取り締まりと、警察による街頭での違反車の取り締まりと指導だけである。他に「努力義務」だったかに指定したのが「運転者のヘルメット着用」だった。これなどは私に言わせれば「とんでもない見当違い」なのである。何故なら、ヘルメットは運転者が事故に遭ったときの安全対策であっても、歩行者の保護では全くないから。

事故の被害者は置き去りなのだ。この有様では自転車皆保険制度は絶対的に必要だと思うし、歩行者向けにも「対自転車貰い事故保険」でも作って貰いたくなる。

取り締まりであるが、ここ新宿区では新大久保駅と高田馬場駅周辺には常に監視員が巡回していて放置自転車を見張っておられるし、一定時間が過ぎれば遠慮会釈無しに撤去していく。新大久保駅の近くには(ここから見える場所)巨大な放置自転車を保管する2階建て設備がある。

それだけではなく、駅から600mほどの我が家の近所の歩道には、常に乗り捨てられた盗難に遭ったと思える自転車がボロボロになって放置されている。狭い道路の両端には「自転車はここを走行せよ」との標識が描かれているが、それを無視して歩道を走る者、特に女性と高齢の男性が多い。高齢者である当方は何度か歩道を走る人を、危険を冒して注意したことがあったが、殆どの場合逆ギレして絡んでくる始末だった。

自由民主党総裁選の候補者たちは聞こえが良くても実行できるのかと思うような政策を述べておられるが、この自転車問題と言うよりも、それがもたらす危険性と交通事情に与える悪条件問題には、誰一人として触れていない。「巧言令色鮮仁」と昔から言われているではないか。交通事情の改革は票にはならないのだろうか。


9月19日 その2 ようこそアメリカ合衆国へ

2024-09-15 11:02:59 | コラム
BARTから見たアメリカという国:

BARTとは「バート(BART)は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州サンフランシスコで運行されている鉄道である。正式名称はBay Area Rapid Transit(ベイエリア高速鉄道)で、「BART」は頭字語である。サンフランシスコ・ベイエリア高速鉄道公社(San Francisco Bay Area Rapid Transit District)が運営している。」とWikipediaにある。モノレールではなかった。

知人がサンフランシスコに行って、空港(SFO)からBARTを利用して目的地に行くと聞いて、2010年1月に初めてこの鉄道を利用したのを思い出した。それは、SM氏に案内されてLos Angelesから遙か北にあるOaklandまで行って、BARTを利用してUCのバークレー校で開催されたUCLAとのバスケットボールの試合を観戦に行った時のことだった。

40年近くアメリカに住んでいるSM氏も券売機でやや手間取っていたが、無事に切り抜けて乗車。車内は広くて快適。暫くして、あの自転車専用とでも言うのか、斬新なデザインのヘルメットをかぶった若い東洋系の女性が、電動アシスト付き自転車を抱えて乗ってきた。我々が立っていた場所が自転車を置く場所だったようだった。と言うよりも、そういうかなり広い場所が用意されているのだ。

そこで、その女性に色々と尋ねてみた。アメリカでもこの種の自転車は普及し始めていて、その価格も日本と同様に10万円以上するとの話だった。この女性は勤務先への通勤にはこの自転車を利用する方が、自動車通勤よりも経済的なので(今風に言えば「コスパが良い」か)使っているそうだった。

但し、勤務先ではこの服装では宜しくないので、ロッカーに着替えは用意してあるとも語っていた。「なるほど。如何にもアメリカ風の合理的考え方だな」と思って聞いた。因みに、彼女は二世のベトナム系アメリカ人だった。

さて、我々の目的地(バークレーという駅だったかどうか、全く記憶がない)で下車して、改札口を通過して気が付いたことがあった。それは「自転車を担いだ人専用の幅が広いゲートがあったこと」だった。何時からBARTが運行を始めて、何時頃から電動アシスト付き自転車が普及し始めたのか知らないが、それ専用のゲートまで用意するとは、アメリカらしい物の考え方だなと感じた。

アメリカにも「省エネ」という思想が普及し、あの女性のように自転車+BART通勤者が増えたと見るや、直ちにそれ専用の改札口まで儲けてしまうという手を打っていたのだ。我が国でも、このようなアメリカ式の合理主義というか、必要とあれば即断即決する方式は取り入れられないかもと考えた。

我が国では土地が狭くて余裕がないにも拘わらず、都内の駅の周辺に有料の駐輪場を設けても、違法駐輪者に悩まされている状態なのである。土地が有り余っているかのようなアメリカでは駅周辺に駐輪場を設けるのではなく、車内持ち込みを認め専用の改札口まで作ったのだ。アメリカを礼賛するのでないが、彼等の手法は受け身ではなく、自分の方から行動を起こしていくのである。

アメリカでは駐車場は屋内・屋外とも充分にあるし、その気になれば駐輪場も併設が可能だろう。それでも、自転車の車内持ち込みを認めるのだ。もし、我が国で自転車の車内持ち込みを認めれば、都内などでは毎朝自転車持ち込み専用の列車を運行せねばならなくなるのではないだろうか。都内に急増する高層建築のオフィスビルには、駐輪専用の場所は設けられているのだろうか。

いや、そんな事を心配する前に、自転車専用のレーンもなく、狭い幅の歩道を我が物顔で疾走する自転車が絶えない事態を解消できない道路行政の不行き届きの解消を図って貰いたいし、同時進行で自転車利用者の道路交通法違反を厳しく取り締まって貰いたい物だと思う。