歴史上に残る事実的な出来事に付いて、今一度、思いを馳せる日が今年も
また訪れた。
8月6日の広島、9日の長崎への原爆投下は日本だけでなく、人類史上にお
いても忘れてはならない出来事だ。
その教訓として55年には、原水爆禁止世界大会が広島で行われている。
ロシア国民さらには旧ソ連国民は当然の事として広島、長崎への原爆投下
を戦争犯罪としてみなしている。
一方アメリカでは永らくこの戦争犯罪という考えが、統一見解となってこなか
ったばかりか、圧倒的多数が共有する意見ともなってこなかった。
もちろん当初から原爆投下を非難する声は挙がってはいた。
しかしながら核兵器の使用によって終戦を早め、結果的に数十万或いは数
百万の命を救うことが出来たと考える人も多く存在する。
また極最近、日本の現職の防衛大臣が原爆に関して行った発言は、ロシア
人のなかに大きな戸惑いを呼び起こした。
当時の久間大臣は45年8月の原爆投下に付いて、第二次世界大戦終結に
とって仕方なかったと発言した。
さらに久間氏はソ連の日本占領を食い止めたとして、アメリカ側の行いを非
難しない姿も明らかにしている。
これを受けて同日、日本原水爆被害者団体協議会の田中事務局長は、大
臣の発言を侮辱であるとみなす声明を発表し辞任を求めた。
このような発言を許すことは出来ない。ましてや原爆被災者の多くが存命で、
苦しみ続けている。と述べる田中事務局長を多くの社会団体が支持し、結果
的に久間氏は公の場で謝罪の言葉を述べると共に辞任を表明した。
このことに触れたのは全ての歴史的な教訓が、必ずしも生かされている訳で
はないということを確認するためだ。
何の罪も無い人々が大量殺戮されていることを、どうして正当化できるだろう
か。
広島・長崎への原爆投下は、本当の意味で20世紀の過ちであり、ナチスのア
ウスビッツ収容所や、スターリン時代の収容所(?)に並ぶものだ。
これら人類に対する罪である。こうした犯罪は国家や政治体制の枠を超えて
非難されるべきものだ。
ある重大な犯罪を中断しながら、同様の罪を犯すことは出来ない。
そうして善悪の境目は磨り減っていくからだ。
我々の時代にあって核の脅威が薄れたかと言えば、残念ながらそうは判断で
きない。
先ず45年当時とは違い、多くの国が核兵器を保有、あるいは開発製造に必要
な技術を持っている。
核軍縮を定めた核拡散防止条約も、全ての国が加盟している訳ではない。
またかつては国家間の核戦争によって訪れる、核の冬の脅威が指摘されてい
たが、現在このシナリオは核テロリズムと言う、よりはっきりとした脅威を前に
色あせてすらある。
さらに原子力産業の拡大がもたらす高放射能廃棄物の脅威は、人間だけでな
く生物圏全体に及ぶものだ。
平和利用であったとしても、充分危険であることは20年前のチェリノブイリ原子
力発電所での事故が証明している。
また最近では新潟県中越沖地震の際、地元の柏崎刈羽原子力発電所で起き
た事故も、世界中の懸念を呼んだ。
最近の出来事に照らしつつ話を広島・長崎に戻すと、我々には忘れてはならな
いことがあるのだという点を、今一度強調しておきたいと思う。
両都市への原爆投下、さらには人道に反する犯罪に付いて不正が忘却され、真
実が歪められることのないよう願う。
そして最後に広島にある平和記念公園に記念碑から言葉を引用する。
「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」
※(?)は発音が不明瞭で聴き取れず
8月6日放送 ロシアの声・ラジオジャーナル
また訪れた。
8月6日の広島、9日の長崎への原爆投下は日本だけでなく、人類史上にお
いても忘れてはならない出来事だ。
その教訓として55年には、原水爆禁止世界大会が広島で行われている。
ロシア国民さらには旧ソ連国民は当然の事として広島、長崎への原爆投下
を戦争犯罪としてみなしている。
一方アメリカでは永らくこの戦争犯罪という考えが、統一見解となってこなか
ったばかりか、圧倒的多数が共有する意見ともなってこなかった。
もちろん当初から原爆投下を非難する声は挙がってはいた。
しかしながら核兵器の使用によって終戦を早め、結果的に数十万或いは数
百万の命を救うことが出来たと考える人も多く存在する。
また極最近、日本の現職の防衛大臣が原爆に関して行った発言は、ロシア
人のなかに大きな戸惑いを呼び起こした。
当時の久間大臣は45年8月の原爆投下に付いて、第二次世界大戦終結に
とって仕方なかったと発言した。
さらに久間氏はソ連の日本占領を食い止めたとして、アメリカ側の行いを非
難しない姿も明らかにしている。
これを受けて同日、日本原水爆被害者団体協議会の田中事務局長は、大
臣の発言を侮辱であるとみなす声明を発表し辞任を求めた。
このような発言を許すことは出来ない。ましてや原爆被災者の多くが存命で、
苦しみ続けている。と述べる田中事務局長を多くの社会団体が支持し、結果
的に久間氏は公の場で謝罪の言葉を述べると共に辞任を表明した。
このことに触れたのは全ての歴史的な教訓が、必ずしも生かされている訳で
はないということを確認するためだ。
何の罪も無い人々が大量殺戮されていることを、どうして正当化できるだろう
か。
広島・長崎への原爆投下は、本当の意味で20世紀の過ちであり、ナチスのア
ウスビッツ収容所や、スターリン時代の収容所(?)に並ぶものだ。
これら人類に対する罪である。こうした犯罪は国家や政治体制の枠を超えて
非難されるべきものだ。
ある重大な犯罪を中断しながら、同様の罪を犯すことは出来ない。
そうして善悪の境目は磨り減っていくからだ。
折り鶴の子どもたち―原爆症とたたかった佐々木禎子と 級友たち 那須 正幹,高田 三郎PHP研究所このアイテムの詳細を見る |
我々の時代にあって核の脅威が薄れたかと言えば、残念ながらそうは判断で
きない。
先ず45年当時とは違い、多くの国が核兵器を保有、あるいは開発製造に必要
な技術を持っている。
核軍縮を定めた核拡散防止条約も、全ての国が加盟している訳ではない。
またかつては国家間の核戦争によって訪れる、核の冬の脅威が指摘されてい
たが、現在このシナリオは核テロリズムと言う、よりはっきりとした脅威を前に
色あせてすらある。
さらに原子力産業の拡大がもたらす高放射能廃棄物の脅威は、人間だけでな
く生物圏全体に及ぶものだ。
平和利用であったとしても、充分危険であることは20年前のチェリノブイリ原子
力発電所での事故が証明している。
また最近では新潟県中越沖地震の際、地元の柏崎刈羽原子力発電所で起き
た事故も、世界中の懸念を呼んだ。
最近の出来事に照らしつつ話を広島・長崎に戻すと、我々には忘れてはならな
いことがあるのだという点を、今一度強調しておきたいと思う。
両都市への原爆投下、さらには人道に反する犯罪に付いて不正が忘却され、真
実が歪められることのないよう願う。
そして最後に広島にある平和記念公園に記念碑から言葉を引用する。
「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」
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※(?)は発音が不明瞭で聴き取れず
8月6日放送 ロシアの声・ラジオジャーナル