疲れが溜まっている。
それは、自分でも驚くほどの疲れだった。
昨日の昼、レギュラーのドラッグストアの仕事をいただいた。
通常は、B4サイズが多いのだが、今回は新規出店をアピールするので、サイズはB3。
ただ、長年やっているので、フォーマットは8パターン用意してある。
それを担当者と話を詰め、一番合致したフォーマットに当てはめていく。
パターンが決まってしまえば、あとは慣れた手順を踏んでいけばいいから、その後は流れ作業のようなものだ。
昨日の午後3時から作業を進めて、今朝の5時に初稿が完了。
途中、夕飯の支度や風呂、仮眠などで5時間くらい中断したから、正味9時間ほどで作業は終了したことになる。
それほど、疲れる仕事というわけではない。
ただ・・・・・・・・・・、
私には、3歳年の離れた実の姉がいる。
その姉から毎日のように、留守番電話が吹き込まれる。
それは、昨年の11月ころから続いている恐怖の電話だった。
「死んでもいいですか」
少ないときで2回、多いときで20回以上、毎日吹き込まれるのだ。
身内ではあるが、これはストーカーではないか、と思うことがある。
この姉は、50数年の人生の中で、働いたことは1年足らずしかない。
それ以外、人さまの役に立ったことがない。
一般的には、「引きこもり」と言える状態だが、引きこもりの正確な意味を私はよく知らないので、姉のことを世間で言う引きこもりの方たちと同列に置いていいものか迷っている。
この姉は、生産性のあることをしたことがない。
ただ、唯一、パチンコ業界と競馬業界には貢献しているようなので、その点だけは生産性があると言っていいかもしれない。
結婚したことがない。
もちろん、子どももいない。
今年87歳になる老齢の母親と川崎で暮らしている。
母親の年金で、優雅な生活を送っている。
ただ、本人には、優雅な生活を送っているという自覚は、全くないようだ。
働かず、家事もせず、昼間はたまにパチンコ、競馬、そして夜7時から酒を飲むという日常は、私から見たら、この上もなく優雅なものに思えるが、本人は「私は世界一不幸な女なの」といつも嘆いている。
友だちは、いない。
だから、毎日「死んでもいいですか」の電話を弟の私にかけてくる。
憂鬱になる。
母と私は、姉が若い頃から、精神科の医者に通わせようと努力した。
しかし、そのたびに「死ぬわよ。死んでやるから」と姉は泣き喚く。
姉は刃物や鋏などを極端に怖がる性質なので、刃物で自分を傷つけることはできない。
だから、料理もできないのであるが、それは幸いなことと言っていいのかどうか。
姉は、私たちが医者に連れて行こうとすると、壁を叩きまわって、泣き喚く。
そして、最後には「死ぬんだから」と言いながら、頭を壁にぶつけるのだ。
だから、川崎の実家の壁は、かなりの範囲、凸凹している。
しかし、本気で死ぬ気はないようで、頭から血を流すことはないし、思い余って母が地区の民生委員さんを呼び、民生委員さんが持て余して救急車を呼ぶという事態を飽きるほど繰り返すのだが、病院で検査してもらっても毎回脳波は正常だった。
ただ、姉には同情すべきこともある。
2008年の夏に大腸がんになったのである。
それは、長年の不摂生のせいではあるが、それは姉にとって人生最大の危機であり大きな悲劇と言えた。
姉は、冗談でも「死んでやるから」とは言えなくなった。
幸い手術は成功して、いまも転移せずに、手術前のように極めて「優雅な生活」を送っている。
そして、「死んでやるから」が「死んでもいいですか」に変わったのが、昨年の11月。
がん手術後の姉は、他のことは一度も長続きしたことがないのに、毎月一度の検診だけは特別らしく欠かさずに受けに行く優等生だ。
お医者様に、毎回聞くに堪えない悪態をつくので、私は最初の2回だけ付き添いして、あとは姉ひとりで行かせることにした。
検査は姉ひとりで行き、検査結果は私だけが聞く。
そして、抗がん剤(かなり高価)を私が薬局に取りに行き、姉に顔を合わせることなく、それを実家の郵便受けに入れて、私は我が家へと帰る。
それが一番、私の精神を安定させる手順だからだ。
姉の顔を見ると、私は毎回「絶望という定義」を必ず頭に思い浮かべることになる。
それだけは、避けたい。
私は、哲学者ではないのだから。
明日は、その検査結果を聞きに行く日だ。
そして、昨日の夜から深夜にかけて、「死んでもいいですか」の留守電が、34回(私が徹夜に近い形で仕事をしているのに、まるでそれを見透かしたような拷問のような電話)。
新記録だ。
これで「疲れない」と言えるほど、私の精神はタフではない。
それは、自分でも驚くほどの疲れだった。
昨日の昼、レギュラーのドラッグストアの仕事をいただいた。
通常は、B4サイズが多いのだが、今回は新規出店をアピールするので、サイズはB3。
ただ、長年やっているので、フォーマットは8パターン用意してある。
それを担当者と話を詰め、一番合致したフォーマットに当てはめていく。
パターンが決まってしまえば、あとは慣れた手順を踏んでいけばいいから、その後は流れ作業のようなものだ。
昨日の午後3時から作業を進めて、今朝の5時に初稿が完了。
途中、夕飯の支度や風呂、仮眠などで5時間くらい中断したから、正味9時間ほどで作業は終了したことになる。
それほど、疲れる仕事というわけではない。
ただ・・・・・・・・・・、
私には、3歳年の離れた実の姉がいる。
その姉から毎日のように、留守番電話が吹き込まれる。
それは、昨年の11月ころから続いている恐怖の電話だった。
「死んでもいいですか」
少ないときで2回、多いときで20回以上、毎日吹き込まれるのだ。
身内ではあるが、これはストーカーではないか、と思うことがある。
この姉は、50数年の人生の中で、働いたことは1年足らずしかない。
それ以外、人さまの役に立ったことがない。
一般的には、「引きこもり」と言える状態だが、引きこもりの正確な意味を私はよく知らないので、姉のことを世間で言う引きこもりの方たちと同列に置いていいものか迷っている。
この姉は、生産性のあることをしたことがない。
ただ、唯一、パチンコ業界と競馬業界には貢献しているようなので、その点だけは生産性があると言っていいかもしれない。
結婚したことがない。
もちろん、子どももいない。
今年87歳になる老齢の母親と川崎で暮らしている。
母親の年金で、優雅な生活を送っている。
ただ、本人には、優雅な生活を送っているという自覚は、全くないようだ。
働かず、家事もせず、昼間はたまにパチンコ、競馬、そして夜7時から酒を飲むという日常は、私から見たら、この上もなく優雅なものに思えるが、本人は「私は世界一不幸な女なの」といつも嘆いている。
友だちは、いない。
だから、毎日「死んでもいいですか」の電話を弟の私にかけてくる。
憂鬱になる。
母と私は、姉が若い頃から、精神科の医者に通わせようと努力した。
しかし、そのたびに「死ぬわよ。死んでやるから」と姉は泣き喚く。
姉は刃物や鋏などを極端に怖がる性質なので、刃物で自分を傷つけることはできない。
だから、料理もできないのであるが、それは幸いなことと言っていいのかどうか。
姉は、私たちが医者に連れて行こうとすると、壁を叩きまわって、泣き喚く。
そして、最後には「死ぬんだから」と言いながら、頭を壁にぶつけるのだ。
だから、川崎の実家の壁は、かなりの範囲、凸凹している。
しかし、本気で死ぬ気はないようで、頭から血を流すことはないし、思い余って母が地区の民生委員さんを呼び、民生委員さんが持て余して救急車を呼ぶという事態を飽きるほど繰り返すのだが、病院で検査してもらっても毎回脳波は正常だった。
ただ、姉には同情すべきこともある。
2008年の夏に大腸がんになったのである。
それは、長年の不摂生のせいではあるが、それは姉にとって人生最大の危機であり大きな悲劇と言えた。
姉は、冗談でも「死んでやるから」とは言えなくなった。
幸い手術は成功して、いまも転移せずに、手術前のように極めて「優雅な生活」を送っている。
そして、「死んでやるから」が「死んでもいいですか」に変わったのが、昨年の11月。
がん手術後の姉は、他のことは一度も長続きしたことがないのに、毎月一度の検診だけは特別らしく欠かさずに受けに行く優等生だ。
お医者様に、毎回聞くに堪えない悪態をつくので、私は最初の2回だけ付き添いして、あとは姉ひとりで行かせることにした。
検査は姉ひとりで行き、検査結果は私だけが聞く。
そして、抗がん剤(かなり高価)を私が薬局に取りに行き、姉に顔を合わせることなく、それを実家の郵便受けに入れて、私は我が家へと帰る。
それが一番、私の精神を安定させる手順だからだ。
姉の顔を見ると、私は毎回「絶望という定義」を必ず頭に思い浮かべることになる。
それだけは、避けたい。
私は、哲学者ではないのだから。
明日は、その検査結果を聞きに行く日だ。
そして、昨日の夜から深夜にかけて、「死んでもいいですか」の留守電が、34回(私が徹夜に近い形で仕事をしているのに、まるでそれを見透かしたような拷問のような電話)。
新記録だ。
これで「疲れない」と言えるほど、私の精神はタフではない。