「ワイン村.jp」 (社団法人日本ソムリエ協会 オープンサイト)(2004年5月~2008年12月終了)に連載していた「キャッチ The 生産者」(生産者インタビュー記事)を、こちらにアップし直しています。
よって、現在はインタビュー当時と異なる内容があることをご了承ください。
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(更新日:2006年11月11日)
第28回 渡邊 嘉也 <NASU WINE>
今回は久しぶりに日本の生産者の登場です。
それも、“こんなところで?”(失礼)、と思うほど意外や意外の北関東のワイナリーを、残暑厳しく真夏を思わせる9月に訪問してきました。
<渡邊 嘉也>(わたなべ よしなり)
NASU WINE(渡邊葡萄園醸造)現当主。
国立醸造試験場を経て、25歳の時に(1993年)渡仏。
ボルドー大学で醸造を学び、シャトー・ロングヴィル・ピション・コンテス・ド・ラランドをはじめ、同グループのシャトーでワインメーカーを務める。
2002年、帰国。
NASU WINE(渡邊葡萄園醸造)の当主になる。
観光地“那須”にワイナリー発見!
栃木県那須塩原市といえば、皇室の那須御用邸を抱え、避暑地としてはもちろん、新緑や紅葉の時期には人気の観光地。
そこに、明治の頃から120年以上も続くワイナリーがあっただなんて・・・。
しかも現当主の渡邊嘉也さんは、ボルドーの著名シャトーの第一線でワインメーカーとして活躍していたというのだから驚きです!
NASU WINE(渡邊葡萄園醸造)
1882年 初代、渡邊謙次が現在の地を開拓
1884年 西那須野町遅沢に「下野葡萄酒株式会社」を創業し、醸造所を設立。
1903年 現在の場所(那須塩原市共墾社)に醸造所移転
2002年 現当主として初めて収穫、醸造を行う
2003年 欧州ブドウ品種を植樹
Q.なぜボルドーへ?家業を継ぐための研修として?
A.昔は、実家のワイナリーは潰してもいいと思っていました(笑)。だいたい、時代が違います。ここでワインをつくっても良いものができないし、日本はワインを生産する場所じゃないと思っていましたから。
Q.では、なぜ実家を継ぐことに?
A.父が亡くなったからです。潰してもいいと思っていましたけど、ブドウ園もワイナリーも歴史あるものですし、それをなくしてしまうのは、やはり忍びないと思いました。
渡邊の家はかつて壬生藩の家老をしていて、この地には開拓のために入り、多くの土地を開拓しました。ここの地名の“共墾社(きょうこんしゃ)”という名前の名付け親も、実は祖父なんです。
そんなわけで、父が亡くなった2001年はボルドーと那須を行き来していましたが、2002年には那須に戻ろうという決心をしました。
Q.すると、あなたが那須で最初に手がけたヴィンテージは?
A.2002年のワインです。その後、03年、04年とリリースし、今は05年が樽に入っている状態です。
Q.この地でのあなたのワインづくりのコンセプトは ?
A.まず “飲みやすい酒質のものをめざす” ということです。
みんなに喜んでもらえるワインであればいいかな、と思っています。
ただ、日本であっても日本でないようなワインをつくりたいと思っています。
というのも、日本とヨーロッパのワインづくりは根本的に違いますから。
ヨーロッパのようなワインをつくることは、今までの日本の中ではムリでした。
Q.ヨーロッパと日本では何が違うのですか?
A.ボルドーも雨が多い点は日本と共通していますが、きちんとブドウづくりがされ、素晴らしいワインが生まれている点が違います。
現在のフランスでは、薬剤の散布などの規制はかなり厳しくなってきていますが、“このタイミングでこれを使う”ということがピンポイントで実施できていることが良い結果を生み出していると思います。
日本の、特に個人経営のワイナリーでは人手も足りず、機械化をするには畑は狭く、投資負担も膨大になってしまいます。手作業では限界があるし、時間もかかり、ボルドーのような合理的なことができません。
よって、良いものを数多くつくることができず、それが日本での問題だと私は思います。外国のようなワインメーキングを日本で行うのは難しいですね。
Q.それでも那須でワインをつくり続けている理由は?
A.どんなブドウをつくればどんなワインになるのか、ボルドーでの経験から明確にわかっています。どこまでブドウから引き出せるのかは、ブドウを見て、食べた段階でわかります。
たしかに今は、天候や病気などの影響で安定して良いブドウが得られませんが、年を重ねて木に抵抗力が付けば・・・。
とりあえず、行けるだけ行こう。そんな気持ちでやっています。
でも、ボルドーにもう一度帰ろうとも思っているんです。客の希望通りのオリジナルオーダーワインをつくるなんてのも楽しいじゃないですか?(笑)
Q.手がけている品種は?
A.畑は約4haあり、白はナイアガラ、ホワイト・アリー、甲州、ポートランド、シャルドネ、ソーヴィニヨン・ブラン、赤はベリーA、キャンベル、スチューベン、メルロ、カベルネ・ソーヴィニヨン、カベルネ・フラン、巨峰(生食用)です。
昔からあるブドウの樹齢は約40~50年ほどで、欧州品種は2003年に植えました。
1粒の濃さのあるブドウ、グミみたいに歯ごたえのあるブドウをめざしています。
ナイアガラ ベリーA
Q.このあたりの気候や土壌はブドウ栽培に向いているのですか?
A.標高は300mほどで、朝晩は涼しい環境にあります。が、雨が非常に多く、それが問題です。
土壌は石が多いので、カベルネなどには非常に向いているかと思います。
Q.ボルドーではどんな仕事をしていましたか?
A.ポイヤックの2級格付け、シャトー・ロングヴィル・ピション・コンテス・ド・ラランドのワインメーカーとして働いていました。また、ピション・ラランドが1997年に取得したシャトー・ベルナドットの立ち上げにも携わりましたし、シャトー・ヴァランドローにも1年いて、2000年ヴィンテージの醸造を行いました。
その他にも、いくつものシャトー(ピション・ラランドのグループシャトー:シトラン、シャス・スプリーンなど)を経験しています。
Q.今後の予定は?
A.父の時代にはハウスで栽培していましたが、2年前にそれを取り払いました。
次は棚を取り払い、垣根仕立てに絞り込んでいきたいと思っています。
ですが、何よりも、毎年安定してブドウが収穫できるようにしたいと思っています。2005年は悪い年でしたが、2006年はそれにも増して悪い年で、6月から7月はずっと雨が降り続きました。そのせいで病気が出て、ほとんどダメになってしまった畑もあります。とはいえ、ナイアガラやキャンベルは無事でしたので、多少の仕込みはできますが・・・
Q.NASU WINE」をどのように販売していきますか?
A.うちのワインは観光地のお土産用ワインではありません。それなりの価格もします。現在はワイナリーでの直売が中心で、他にちょこちょこっと置いてもらっているくらいで、ほとんど販売網がない状態です。まずは首都圏の信頼のおける酒屋さんに取り扱っていただき、いいお客さんに買っていただきたいと思っています。
ナイアガラ種:ものすごーく太い棚の枝!
<テイスティングしたワイン>
マスカット・ベリーA (04年・05年)
04年は深みのある色合いで、非常に色素が濃く、香りも甘くて濃厚。ボディにコクがあり、アルコールのなめらかな口当たりと果実の甘みのある、まろやかな味わいです。
ベリーAのワインは日本ではポピュラーですが、今までに味わったことのないような深みと厚みがあり、ベリーAでもこんなワインになるんだ!とびっくりしました。
05年はまだ樽に入っていたので、樽からのワインをテイスティング。色調は04年よりも薄めで、酸の出方もかなり違います。05年の方が強めに出ていますが、バランスは良好。
「年によって、同じ樹からのブドウでもこんなに差が出ます」と渡邊さん。
05年は、樽熟成していないベリーAもあり、こちらは既に瓶詰めされて販売されています。こちらはちょっと若く、ややカドを感じるかも?
メルロ (02年・03年・04年・05年)
メルロ主体で、カベルネ・ソーヴィニヨンが35%ほどブレンドされています。
02年は、コショウ、グリーンペッパーなどのスパイシーな香りが若々しく香り、タンニンもクリーンで、まだフレッシュな状態。開くまでしばらく待ちたいところ。
03年は、酸の出方が非常にデリケートに感じました。
04年は、やはりグリーンペッパー系の香りは共通して感じるものの、口の中に入れると丸みがあります。コクがあってなめらかで、ボリューム、厚み、甘み、旨味があり、それらを酸が支えています。キレイなタンニンの存在感も感じました。
05年はまだ樽に入っているため、樽からテイスティング。
2年使用樽からのものは、果肉&果実の甘さ、モワモワした感じがあり、フルーツのアロマを濃厚に感じました。
ブラック・マホガニー (03年)
NASU WINEのフラグシップワイン。メルロ主体で、新樽を100%使用。
カスタード、ヴァニラの香りが甘く、口に含むと非常にキメが細かく、酸がエレガント。
「仕込んでから3年後のクリスマス頃から飲めるようにつくっています。今年のクリスマスにいかがですか?(笑)」と渡邊さん。
価格は10,000円・・・ クリスマスにこれが飲めたら、たしかに素晴らしい!
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■ インタビューを終えて
志を抱いて家を出たものの、やむを得ない事情で戻らざるをえなくなった、というのはよくある話です。ですが、そうしたことがあるとしても、まだずっと先のことだと思っていた渡邊さんにとって、お父さんの突然の訃報は大きな打撃だったはず。
良いワインなんてできるはずがない、と思っている土地でワインづくりをしていくのか?
それとも、那須でのワインづくりの歴史を途絶えさせてしまうのか?
かなり厳しい二者択一です。
そして、那須でワインづくりをしていくことを選択した渡邊さんに、2006年、メルロはほぼ壊滅という試練の波が訪れました。
あと1ヵ月もしたら収穫ができるはずの9月の畑に、私はブドウの房を見つけることはできませんでした。まるで収穫後の畑のようです・・・
これはヒドイ・・・、と複雑な思いで渡邊さんに顔を向けると、
「なんとかなるでしょう!」と、笑顔を返してくれました。
たしかに、農園として他の農作物からの収入はあるでしょうが、2002年以来つくり続けてきたメルロが仕込めなくなるとしたら、どんなに無念なことか・・・
1ヵ月後、再会した渡邊さんに「メルロの収穫、どうなりました?」と尋ねると、
今度も「なんとかなるでしょう!」という答えが返ってきました。
逆境を逆境とも思わないなんて、この人、只者じゃない!
“日本のNASU WINE”、そして、“NASU WINEの渡邊嘉也”の名が広く知られるようになる日が、近い将来きっとある!
そう強く思わずにはいられない、渡邊さんとの出会いでした。
『NASU WINE』
テイスティングルームでは、無料試飲および購入が可能です。
(JR東北本線の黒磯駅から車で5分ほど) TEL.0287-62-0548
よって、現在はインタビュー当時と異なる内容があることをご了承ください。
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(更新日:2006年11月11日)
第28回 渡邊 嘉也 <NASU WINE>
今回は久しぶりに日本の生産者の登場です。
それも、“こんなところで?”(失礼)、と思うほど意外や意外の北関東のワイナリーを、残暑厳しく真夏を思わせる9月に訪問してきました。
<渡邊 嘉也>(わたなべ よしなり)
NASU WINE(渡邊葡萄園醸造)現当主。
国立醸造試験場を経て、25歳の時に(1993年)渡仏。
ボルドー大学で醸造を学び、シャトー・ロングヴィル・ピション・コンテス・ド・ラランドをはじめ、同グループのシャトーでワインメーカーを務める。
2002年、帰国。
NASU WINE(渡邊葡萄園醸造)の当主になる。
観光地“那須”にワイナリー発見!
栃木県那須塩原市といえば、皇室の那須御用邸を抱え、避暑地としてはもちろん、新緑や紅葉の時期には人気の観光地。
そこに、明治の頃から120年以上も続くワイナリーがあっただなんて・・・。
しかも現当主の渡邊嘉也さんは、ボルドーの著名シャトーの第一線でワインメーカーとして活躍していたというのだから驚きです!
NASU WINE(渡邊葡萄園醸造)
1882年 初代、渡邊謙次が現在の地を開拓
1884年 西那須野町遅沢に「下野葡萄酒株式会社」を創業し、醸造所を設立。
1903年 現在の場所(那須塩原市共墾社)に醸造所移転
2002年 現当主として初めて収穫、醸造を行う
2003年 欧州ブドウ品種を植樹
Q.なぜボルドーへ?家業を継ぐための研修として?
A.昔は、実家のワイナリーは潰してもいいと思っていました(笑)。だいたい、時代が違います。ここでワインをつくっても良いものができないし、日本はワインを生産する場所じゃないと思っていましたから。
Q.では、なぜ実家を継ぐことに?
A.父が亡くなったからです。潰してもいいと思っていましたけど、ブドウ園もワイナリーも歴史あるものですし、それをなくしてしまうのは、やはり忍びないと思いました。
渡邊の家はかつて壬生藩の家老をしていて、この地には開拓のために入り、多くの土地を開拓しました。ここの地名の“共墾社(きょうこんしゃ)”という名前の名付け親も、実は祖父なんです。
そんなわけで、父が亡くなった2001年はボルドーと那須を行き来していましたが、2002年には那須に戻ろうという決心をしました。
Q.すると、あなたが那須で最初に手がけたヴィンテージは?
A.2002年のワインです。その後、03年、04年とリリースし、今は05年が樽に入っている状態です。
Q.この地でのあなたのワインづくりのコンセプトは ?
A.まず “飲みやすい酒質のものをめざす” ということです。
みんなに喜んでもらえるワインであればいいかな、と思っています。
ただ、日本であっても日本でないようなワインをつくりたいと思っています。
というのも、日本とヨーロッパのワインづくりは根本的に違いますから。
ヨーロッパのようなワインをつくることは、今までの日本の中ではムリでした。
Q.ヨーロッパと日本では何が違うのですか?
A.ボルドーも雨が多い点は日本と共通していますが、きちんとブドウづくりがされ、素晴らしいワインが生まれている点が違います。
現在のフランスでは、薬剤の散布などの規制はかなり厳しくなってきていますが、“このタイミングでこれを使う”ということがピンポイントで実施できていることが良い結果を生み出していると思います。
日本の、特に個人経営のワイナリーでは人手も足りず、機械化をするには畑は狭く、投資負担も膨大になってしまいます。手作業では限界があるし、時間もかかり、ボルドーのような合理的なことができません。
よって、良いものを数多くつくることができず、それが日本での問題だと私は思います。外国のようなワインメーキングを日本で行うのは難しいですね。
Q.それでも那須でワインをつくり続けている理由は?
A.どんなブドウをつくればどんなワインになるのか、ボルドーでの経験から明確にわかっています。どこまでブドウから引き出せるのかは、ブドウを見て、食べた段階でわかります。
たしかに今は、天候や病気などの影響で安定して良いブドウが得られませんが、年を重ねて木に抵抗力が付けば・・・。
とりあえず、行けるだけ行こう。そんな気持ちでやっています。
でも、ボルドーにもう一度帰ろうとも思っているんです。客の希望通りのオリジナルオーダーワインをつくるなんてのも楽しいじゃないですか?(笑)
Q.手がけている品種は?
A.畑は約4haあり、白はナイアガラ、ホワイト・アリー、甲州、ポートランド、シャルドネ、ソーヴィニヨン・ブラン、赤はベリーA、キャンベル、スチューベン、メルロ、カベルネ・ソーヴィニヨン、カベルネ・フラン、巨峰(生食用)です。
昔からあるブドウの樹齢は約40~50年ほどで、欧州品種は2003年に植えました。
1粒の濃さのあるブドウ、グミみたいに歯ごたえのあるブドウをめざしています。
ナイアガラ ベリーA
Q.このあたりの気候や土壌はブドウ栽培に向いているのですか?
A.標高は300mほどで、朝晩は涼しい環境にあります。が、雨が非常に多く、それが問題です。
土壌は石が多いので、カベルネなどには非常に向いているかと思います。
Q.ボルドーではどんな仕事をしていましたか?
A.ポイヤックの2級格付け、シャトー・ロングヴィル・ピション・コンテス・ド・ラランドのワインメーカーとして働いていました。また、ピション・ラランドが1997年に取得したシャトー・ベルナドットの立ち上げにも携わりましたし、シャトー・ヴァランドローにも1年いて、2000年ヴィンテージの醸造を行いました。
その他にも、いくつものシャトー(ピション・ラランドのグループシャトー:シトラン、シャス・スプリーンなど)を経験しています。
Q.今後の予定は?
A.父の時代にはハウスで栽培していましたが、2年前にそれを取り払いました。
次は棚を取り払い、垣根仕立てに絞り込んでいきたいと思っています。
ですが、何よりも、毎年安定してブドウが収穫できるようにしたいと思っています。2005年は悪い年でしたが、2006年はそれにも増して悪い年で、6月から7月はずっと雨が降り続きました。そのせいで病気が出て、ほとんどダメになってしまった畑もあります。とはいえ、ナイアガラやキャンベルは無事でしたので、多少の仕込みはできますが・・・
Q.NASU WINE」をどのように販売していきますか?
A.うちのワインは観光地のお土産用ワインではありません。それなりの価格もします。現在はワイナリーでの直売が中心で、他にちょこちょこっと置いてもらっているくらいで、ほとんど販売網がない状態です。まずは首都圏の信頼のおける酒屋さんに取り扱っていただき、いいお客さんに買っていただきたいと思っています。
ナイアガラ種:ものすごーく太い棚の枝!
<テイスティングしたワイン>
マスカット・ベリーA (04年・05年)
04年は深みのある色合いで、非常に色素が濃く、香りも甘くて濃厚。ボディにコクがあり、アルコールのなめらかな口当たりと果実の甘みのある、まろやかな味わいです。
ベリーAのワインは日本ではポピュラーですが、今までに味わったことのないような深みと厚みがあり、ベリーAでもこんなワインになるんだ!とびっくりしました。
05年はまだ樽に入っていたので、樽からのワインをテイスティング。色調は04年よりも薄めで、酸の出方もかなり違います。05年の方が強めに出ていますが、バランスは良好。
「年によって、同じ樹からのブドウでもこんなに差が出ます」と渡邊さん。
05年は、樽熟成していないベリーAもあり、こちらは既に瓶詰めされて販売されています。こちらはちょっと若く、ややカドを感じるかも?
メルロ (02年・03年・04年・05年)
メルロ主体で、カベルネ・ソーヴィニヨンが35%ほどブレンドされています。
02年は、コショウ、グリーンペッパーなどのスパイシーな香りが若々しく香り、タンニンもクリーンで、まだフレッシュな状態。開くまでしばらく待ちたいところ。
03年は、酸の出方が非常にデリケートに感じました。
04年は、やはりグリーンペッパー系の香りは共通して感じるものの、口の中に入れると丸みがあります。コクがあってなめらかで、ボリューム、厚み、甘み、旨味があり、それらを酸が支えています。キレイなタンニンの存在感も感じました。
05年はまだ樽に入っているため、樽からテイスティング。
2年使用樽からのものは、果肉&果実の甘さ、モワモワした感じがあり、フルーツのアロマを濃厚に感じました。
ブラック・マホガニー (03年)
NASU WINEのフラグシップワイン。メルロ主体で、新樽を100%使用。
カスタード、ヴァニラの香りが甘く、口に含むと非常にキメが細かく、酸がエレガント。
「仕込んでから3年後のクリスマス頃から飲めるようにつくっています。今年のクリスマスにいかがですか?(笑)」と渡邊さん。
価格は10,000円・・・ クリスマスにこれが飲めたら、たしかに素晴らしい!
---------------------------------------
■ インタビューを終えて
志を抱いて家を出たものの、やむを得ない事情で戻らざるをえなくなった、というのはよくある話です。ですが、そうしたことがあるとしても、まだずっと先のことだと思っていた渡邊さんにとって、お父さんの突然の訃報は大きな打撃だったはず。
良いワインなんてできるはずがない、と思っている土地でワインづくりをしていくのか?
それとも、那須でのワインづくりの歴史を途絶えさせてしまうのか?
かなり厳しい二者択一です。
そして、那須でワインづくりをしていくことを選択した渡邊さんに、2006年、メルロはほぼ壊滅という試練の波が訪れました。
あと1ヵ月もしたら収穫ができるはずの9月の畑に、私はブドウの房を見つけることはできませんでした。まるで収穫後の畑のようです・・・
これはヒドイ・・・、と複雑な思いで渡邊さんに顔を向けると、
「なんとかなるでしょう!」と、笑顔を返してくれました。
たしかに、農園として他の農作物からの収入はあるでしょうが、2002年以来つくり続けてきたメルロが仕込めなくなるとしたら、どんなに無念なことか・・・
1ヵ月後、再会した渡邊さんに「メルロの収穫、どうなりました?」と尋ねると、
今度も「なんとかなるでしょう!」という答えが返ってきました。
逆境を逆境とも思わないなんて、この人、只者じゃない!
“日本のNASU WINE”、そして、“NASU WINEの渡邊嘉也”の名が広く知られるようになる日が、近い将来きっとある!
そう強く思わずにはいられない、渡邊さんとの出会いでした。
『NASU WINE』
テイスティングルームでは、無料試飲および購入が可能です。
(JR東北本線の黒磯駅から車で5分ほど) TEL.0287-62-0548