2日朝から3日朝まで、磯自慢酒造(焼津市)で『吟醸王国しずおか』の密着取材&試し撮りを行いました。
磯自慢といえば、地酒に詳しくない人でも名前は知っている、静岡を代表するトップブランド。親交のある東京の酒通マスコミ人の間では「お磯様」と崇められる存在です。
平成元年のちょうど今頃、私は生まれて初めて、酒造りの仕込み中の酒蔵を訪問しました。それが、まだ志太杜氏・横山福司さんがご健在だった頃の、レンガの煙突のある磯自慢。この日から私の地酒取材がスタートしました。当時、一部の地酒専門店から口コミで評判が広まっていましたが、私の周りでは、「磯自慢って海苔か佃煮の名前だと思っていたけど、日本酒だったんだ」と言っていたことをよく覚えています。
それから20年。磯自慢は、静岡吟醸のレベルを底上げし、日本酒市場にその存在感を示した大きな立役者となりました。私はふだん、消費者ともっとも近い、地酒を扱う飲食店を取材しているので、飲食店主の口から、この酒に対する消費者の認知度がケタはずれに高く、水もの商売をする上でどれだけ強みになっているかをよく聞きます。飲み手や売り手にも喜ばれるWin-Win-Winの関係を、静岡のような酒どころのイメージのない地方から発信して築き上げた蔵元の功績は計り知れない…と実感するのです。
さて、この20年間、蔵元を訪ねる機会は数え切れないほどありましたが、今回の密着取材では、私の長年の夢が叶いました。それは、静岡酵母の使い手として比類なき杜氏として敬愛してやまない多田信男さんの麹づくりを、つぶさに見ることができたこと。
多田さんは、私が初めて呑んで驚愕した静岡の酒(当時は志太泉の杜氏さんでした)を造った人で、静岡酵母HD-1という杜氏泣かせの難しい酵母を使いこなす名人。静岡酵母開発者の河村傳兵衛氏によると、「多田杜氏は麹づくりで、米粒ひとつに1本の種麹の菌糸を植え付けることができる〈神業〉の持ち主」とのこと。それを、一度、ぜひ見たいと願っていました。
しかし、そんな〈神業〉を披露する大吟醸クラスの麹づくりを、外部の人間がおいそれと見ることはできないだろうし、おいそれと部外者が踏み込んではいけない聖域のような気がして、これまでなかなか言い出せませんでした。
今回、私が作ろうとしている映像作品には、生意気なようですが、静岡吟醸の技の気高さを後世に残したい、という高い理想があります。多田さんの神業が、その理想に最もふさわしい映像のひとつになると思っていたので、思い切ってお願いしたところ、「何を撮ってもかまいません。映像を観て参考にしようという蔵があったとしても、その蔵それぞれに適した造りがあり、同業者なら、同じようには出来ないと解るから、心配いりません」と快諾してくれました。
私は、カメラマンの成岡さんに、“ここが重要なシーンになる”といった注文は出さず、黙って多田さんの種麹の植え付け作業を撮ってもらうことにしました。作業をしながら、胸元から顔にかけて赤みを帯び、背中も真っ赤になり、玉のような汗が噴出す多田さんの様子に、撮影後、「ほかの作業とは違う、近寄りがたい真剣さが伝わってきた。ただの作業じゃないってわかったよ」と成岡さん。私が、「多田さんの神業である、一点くっきりの見事な突き破精麹が画として残せたら・・・」と吐露したら、今度、レンズを換えて挑戦してみよう、と、こちらも快諾してくれました。
ゆうべは22時前と午前零時に、今朝は4時30分から、数時間おきに麹室の作業。麹室内部(37℃)と蔵(5℃)の温度差をもろともせず、寡黙に働く南部杜氏&蔵人3人衆(杜氏の多田さん、麹屋の今野さん、酛屋の菅原さん)はいずれも60代後半。多田さんと今野さんは30年余、菅原さんも20年来のパートナーです。この2人なくしては、多田さんの麹づくりも静岡吟醸も存在しなかったでしょう。とくに、酒母室で、酒母タンクのフチを拭くタオルにも静岡酵母の名前を書いて、違う酵母のタンクを同じタオルで拭かないよう細心の注意をする菅原さん。私も成岡さんも思わず息を飲んだ、彼の、あるスゴ技は、まさに映像でしか伝えられないお宝シーンになりました。
今は、この3人に、5人の若い蔵人・製造社員が加わり、磯自慢を支えています。撮影初回で、多田さんの麹づくりを見て、すっかり興奮してしまった私ですが、これから最低でも1年は追いかけ続ける蔵元・杜氏・蔵人の暮らしや生き方を通し、人の技が神の領域にまで達し、多くの人を感動させる日本酒造りの真髄を極めてみたい、と意を強くしました。