再三ご紹介した映像作品『朝鮮通信使』の上映会&トークセッションが、静岡市クリエーター支援センター(旧青葉小学校)で開催されました。
14時過ぎから始まった山本起也監督と林隆三さんのトークセッションは、観る者に想像力を与える映像表現の加減具合について深く考えさせる、素晴らしいセッションでした。
歴史ドキュメンタリーといっても、静止画である史料や現風景・遺跡・史跡だけでは作品になりませんし、かといって再現ドラマを作るとしても、朝鮮通信使一行は1000人規模の行列、迎える日本人も数え切れない群集ですから、限られた予算の中でセットを組み、一人ひとりに衣装やかつらをつけてもらい、演じてもらうのは不可能です。CGで作る予算もありません。
それより何より、すべてをリアルに見せる必要があるのかどうか・・・。400年前の話を、完璧に再現するなんてしょせん無理な話です。
監督はむしろ「与える情報がシンプルなほど、観る者の想像力はふくらむのではないか」と考え、隆三さんは、子どものころ、山形出身のお母様が豊かな方言で語り聞かせてくれたクジラの童話の思い出を紹介しながら、「テレビやビデオのない時代、クジラという動物がどれだけ大きいのか、船や人間がどれだけ小さいか、想像するだけでワクワクした。今、自分がやっている朗読公演も、黒幕の前で本を読むだけだが、子どもたちは声を上げて笑ってくれる。最初から映像で何でもかんでも見せてしまったら、ホンモノを見てもさほどの感動はないだろう」と、表現を抑制することで広がる想像力の価値を語りました。
朝鮮通信使を迎える日本の庶民は、先のブログでも紹介したとおり、監督のアイディアで『駿州行列図』という屏風絵に描かれた庶民をデフォルメした人型の絵を、黒子衣装を着た市民エキストラの皆さんに持っていただく、というスタイルを取りました。
隆三さんは、「衣装とかつらを着けた役者よりリアルだった」と、この手法を称賛しました。NHK大河ドラマをはじめ、数多くの時代劇に出演経験のある隆三さんの言葉だけに、時間も予算もない中、150点近い人型絵を制作した美術スタッフや、酷寒の中、薄着の黒子衣装で長時間の撮影に耐えた120人以上の市民エキストラの方々の苦労が報われたような思いがしました。
「シンプルがいい」という話から、隆三さんは、テニスの伊達公子さんの練習を間近に見て、まったく無駄のないシンプルなフォームに唸ったという経験を、楽しそうに話してくれました。
セッション終了後は隆三さん、マネージャーの浜田さん、監督、監修の金両基先生、カメラの成岡さんと一緒に呉服町に出て、『蝶屋』のヒレカツと『ポプラ』のコーヒーで腹ごしらえ。その間も隆三さんは、早稲田大学演劇部出身の金先生と演劇論を交わしたり、伊達公子さんのフォームを再現して見せてくれたり、毎日欠かさないというストレッチ体操やバレエ(!)で鍛えた関節の柔らかさを実演してくれたりと、終始、サービス精神たっぷり。
「たとえ1000人収容の劇場に100人しか観客がいなくても、その方々に心底楽しんでもらいたい。この仕事が好きで、人を楽しませるのが好きで好きでたまらない。好きなことをやっているから観る人も楽しんでくれるんですよ。嫌々やっていたり手を抜いてやっている芝居を見せられても、楽しくないでしょう」と語る隆三さん。それを受けた金先生から、「あなたは何が好きなの?」と振られた私は、つい、「書くことです。文章を書いている時間が至福なんです」と、ちょっと背伸びをして答えてしまいました。
金先生と、ラインプロデューサーの水野邦亮さんは、2008年の年明けまで『朝鮮通信使』韓国語版制作に汗を流しました。20数年前から、静岡で朝鮮通信使の存在にスポットを当てようと地道な活動を続けてこられた金先生も、主要スタッフで最も若い身ながら厳しい予算とスケジュールの管理を一任され、監督や私に余計な負担をかけまいと最後まで一人で責任を貫いた水野さんも、結局は、この仕事が好きなんだな、と思います。
トークセッションの場で、隆三さんや監督の配慮で、金先生や水野さんにもマイクが渡され、スポットが当てられたことがとても嬉しかったです(2人が親子みたいにおんなじポーズで話すのが可笑しかった!)。
内容に関しては、観た人それぞれの受け止め方があったと思います。絵を持った黒子で想像しろと言われてもピンと来ない、という人もいるかもしれません。
このプロジェクトが評価されるとしたら、その理由は、行政の請負仕事といえども作り手が精一杯楽しんで作った、という一語に尽きるでしょう。自分たちが好きで、楽しんでやる仕事だから、限られた資本の中で、最大限、手を抜かずに完走できた・・・そんな気がします。
私は、一緒に走った仲間たちを見ながら想像しました。それまで何の縁もなかった者達が、朝鮮通信使というテーマでつながったということは、たぶん、私たちのご先祖様が、通信使一行を迎えるのに四苦八苦した駿府城下の雑役か、どこかの沿道で見物していた庶民に違いない・・・と。