杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

多文化共生の原点

2008-02-26 23:43:23 | NPO

0226_2  26日は丸一日、浜松でNPO協働フォーラム「多文化共生の地域づくり」の取材。日系南米人労働者が多い県西部地区で、言葉や生活習慣の違い等から地域で生じるさまざまな問題を、行政や地域やNPOが肩書きを超えて協働で考えようという会です。

 

  

  私の多文化共生経験といえば、3年前に妹夫婦が住むアラスカを、両親を伴って訪れたとき、肝心の妹が、麻酔看護師の資格取得のためワシントンDCの大学院に急遽入学が決まり、不在で、義弟のショーンとカタコトの英語で3週間、オートキャンプをしながら過ごしたこと。父はどうせ言葉が通じないからと、ハナからコミュニケーションをとる気がなく、母は、ショーンが理解しようとしまいとすべて日本語で話を通そうとします。私はその板ばさみで四苦八苦しましたが、ショーンは両親が笑顔を見せるたびにホッとしていたようでした。私も、彼が元気にジョークを飛ばすたびに安堵しました。外国人とのつきあいの原点は、とにかく笑顔で挨拶することだ、としみじみ実感しました。

 今日のお話でも、ブラジル人に日本語を教えるボランティアの方が、いっぱしのNPO活動家や行政の担当者を前に、「外国人は、挨拶を返してくれない無反応な日本人にとまどい、自分たちが拒否されたような気持ちになる。それは外国人だろうと日本人同士だろうと、人間ならば同じこと。みなさん、挨拶だけでも笑顔でしましょう」と、小学生に諭すような提言をしたのが印象的でした。

 

  

  私は仕事柄、ほぼ毎日ように初対面の人に会います。時には会っていきなり、その人が嫌がるような質問や、個人の人生観にまで突っ込むような取材をしなければならない日もあります。そんなとき、唯一心がけるのは、話をするときは相手の目を見てハキハキした声で話す、最初と最後は笑顔で挨拶するという、まさに小学校の先生に教わるようなこと。それしか手がありません。

  

  もちろん、見た目の態度を繕ったところで、まったく通じない相手も大勢いました。映像作品『朝鮮通信使』の制作中は、私にとって初めて接する異分野の人たち―朝鮮通信使というディープな分野を研究する先生方や、若い映像クリエーターの人たちとのコミュニケーションづくりに苦慮しました。ある程度の年齢やキャリアのある人は、それだけ引き出しをたくさん持っていますから、あれこれ引き出しを突っつくうちにコミュニケーションのきっかけを見つけることができますが、引き出しの少ない若い人は難しいですね。とくに横文字の肩書きを持つ人の中には、挨拶はおろか、報・連・相がまったくできない人も多く、私にとっては異分野どころか同じ日本人とは思えないことも。それでチーム仕事ができるんだから、自分とは次元の違う才能の持ち主なんだと思うしかありません。

 

  

   仕事が終わった後もつきあいが続く人に共通するのは、いつでも笑顔で挨拶が交わせる人・久しぶりの連絡でもちゃんと返事をくれる人。すごーく単純なことです。日本が本格的な多言語・多文化社会を迎えるなら、なおのこと、目に見える行動が大事なんだなと思います。