私は学生時代、井上靖の小説が好きで、舞台となった町をよく歩きました。琵琶湖の湖北、滋賀県高月町もそのひとつ。『星と祭』という小説に出てくる高月町の渡岸寺十一面観音は、学生時代に出会った仏像の中でもとりわけ深く、心に残っています。京都や奈良のメジャーなお寺ではなく、湖北の里のひっそりとした寺に、かくも美しい観音様が隠れ棲んでおられたのかと感動したものです。
2006年秋、東京国立博物館で開催された『仏像・一木にこめられた祈り』展を、樹木医の塚本こなみさんと一緒に観に行ったとき、展示フロアのセンターポジションで神々しく立つ渡岸寺十一面観音に、20数年ぶりに再会しました。なんだかすごいメジャーなステージに上がって、手の届かない存在になってしまった、という印象でした。
その直後、映像作品『朝鮮通信使』の脚本を書く話をもらい、わずか1ヶ月で初稿を上げるハメになり、観音像の記憶はどこかにふっとんでしまいました。
1ヵ月後、監修の金両基先生に初稿を見てもらったところ、「この本には感動が足りない」と意外な指摘を受けました。韓国朝鮮文化研究の重鎮で、人権問題活動家としても知られる先生のことですから、指摘を受けるとしたら、記述の誤認や表現的な問題だろうと思っていたのです。プロデューサーは予算や日程を気にして、記述に問題がなければこのままで行くと言いましたが、山本起也監督は闘志に火がついたようで、「感動が足りないと言われた本で、演出は出来ない」と書き直しを断行。私は初稿に入れなかったエピソードを検証しなおし、追加のシナリオハンティングに飛びました。
その中に、朝鮮通信使の接待役として活躍した対馬藩お抱えの儒学者・雨森芳洲(1688~1755)の故郷・滋賀県高月町がありました。独学で朝鮮語をマスターし、国際感覚を身に着けていた芳洲と、日本の国粋主義の象徴的な存在だった時の幕閣・新井白石(1657~1725)との対立は、朝鮮通信使の専門書に必ず出てくる有名なエピソードで、これだけでも1本の映画が出来るくらいです。45分という尺の制限を課せられていた段階では、家康とかかわりのないエピソードは削るしかないという判断で、芳洲には触れずじまいでした。
とかく史実の羅列になりがちな歴史ドキュメンタリーで、「感動」を与えるとしたら、それは、やはり、その当時の人間の考えや心の動きをていねいに描いて、彼らも自分たちと同じように悩み、対立する者と理解しあう努力を重ねて苦境を乗り越えたんだ…というような共感を、観る者から引き出さなければなりません。芳洲も白石も、著書や日記類が数多く残っており、人物像が明確だったという利点がありました。しかしこの作品のメインには扱えないし、有名なエピソードが多いだけに中途半端にも扱えない。正直に言えば、手を出さないほうが無難だったわけです。
雨森芳洲の史料を保管する高月町観音の里歴史民俗資料館は、渡岸寺のすぐ横にあります。資料館を訪ねる前、私は監督を誘って渡岸寺十一面観音に会いに行きました。仏像にさほど関心がなさそうだった監督も、「きれいな仏様だなあ」と感嘆し、しばらくじっと見上げていました。20数年前に初めてお会いしたときは古い御堂の中にひっそり立っておられたのに、今は、新設された立派な宝物堂の中。“祈り”の対象から“鑑賞”の対象になってしまったような気がしましたが、それでも横に座った監督の、連日の疲労をしばし忘れて癒しを感じているような表情に安堵しました。その後、資料館の学芸員・佐々木悦也さんに、芳洲の名著「交隣提醒」をじっくり解説していただき、脚本に使えそうなエピソードをいくつか上げてもらいました。
脚本の直しにわずかな光明が見え始めたのを感じ、資料館を後にしようとしたら、展示フロアに置かれた〈釈迦苦行像〉の前で、監督が、「俺、これ持って帰りたい」とつぶやいています。十一面観音の秀麗な姿態とは対照的な、骨と皮ばかりになった悲壮なお姿ですが、彼の眼は釘付けになっていました。・・・監督は監督なりに“苦行”の中にいるんだな、と気づかされ、声をかけるのをためらいました。
井上靖は『星と祭』で、十一面観音をこんなふうに紹介しています。
「十一面観音さまは、頭上に戴いた仏さまたちとごいっしょに、それぞれ手分けして、衆生の悩みや苦しみをお救いになろうとしているお姿でございます。十一の観音さまのお力を一身に具現しているお姿でございます。観音さまはご承知のように如来さまにおなりになろうとして、まだおなりになれない修行中のお方でございます。衆生の悩みや苦しみをお救いになることをご自分に課し、そうすることによって、悟りをお開きになろうとしていらっしゃる・・・」
仏像も、歴史上の人物も、映画監督も、それまで私にとっては次元の違う世界の、堅固で完璧な存在でした。しかし実際は自分と同じように悩みや苦しみと向き合い、乗り越えようと努力している…と思うと、「感動」を書く気力が湧いてきました。
古い御堂でひっそりたたずんでいた頃の観音さまは、未熟な私にとっては実際のところ、“鑑賞”の対象に過ぎなかったのかもしれません。今なら、観音さまがどんな場所におられようと、そのお姿に素直に合掌できるかもしれません。15日の上映会が終わったら、もう一度、お会いしに行こうと思っています。